狂想散花(5)
サヤがベテラン下働きのミシェーラに懐き、頃合いを見計らって交渉に成功したキートは、アメリスタ公の部屋に向かった。サヤの出した条件の許可を取るためだ。
「ルイ!」
目的の部屋まで後少しという所で、キートは呼び止められた。
「お嬢様、何かご用ですか?」
「さっきはとても親しげだったわね。」
「はあ、親しげ?」
エマヌエーラに詰め寄られ、キートは一瞬何の事か分からなかった。
「昔馴染みの私には冷たいくせに、見慣れない下働きには腰なんか抱いちゃって…」
それを聞いてキートはやっと思い当たった。サヤと話していた玄関の丁度上の階は、エマヌエーラの部屋があり、窓から見える位置だったのだ。実際の会話は殺伐としたものだったが、彼女が親しげに見えたということは、交渉の内容までは聞かれていないのだろう。
「俺の仕事のやり方はご存知でしょう?」
「…どうだか」
いよいよキートはめんどくさくなってきた。ただでさえサヤの相手をして来て気分が悪いのに、それを何故貴族の小娘に見咎められなきゃいけないのだ、と彼の苛々は積もる。
「あれはこの前話した異界の女です。俺はああいう餓鬼っぽく突っ掛かる女は好みじゃない、とはっきり言えば納得していただけますか?」
キートはわざとエマヌエーラの目を強く見つめて言った。
「……っ!それ、私に対する厭味?私も餓鬼だって言いたいの?」
「おや、思い当たるんですか?」
バシッ!
肩を竦めたキートの頬に、軽い衝撃が走った。
「あ…、ご、ごめんなさい……」
ひっぱたいたエマヌエーラの方が動揺して、後ずさった。
叩かれて外れた視線を徐にエマヌエーラへ戻したキートは、いきなり彼女の首を左手で掴み、廊下の壁へ乱暴に押し付けた。
「うっ!」
エマヌエーラの息が詰まる。だがキートはお構いなしに空いていた右手で、高級な彼女の服の襟を引き、露になった滑らかなその肩に顔を近づけた。
ガリッ…
「痛っ!」
肩を噛まれたエマヌエーラは声を上げた。キートは歯型から滲んだ血を舐め取ると、ニヤリと猟奇的な笑みを浮かべた。
「俺が殴られてやり返せないのは、ジグモンド大将だけですよ、お嬢様」
そしてやっと首を解放されたエマヌエーラは、初めて見るキートの姿に震えた。
その時、遠くからエマヌエーラを探す侍女の呼び声が聞こえた。
「ほら、内緒で俺に会いに来るから、侍女達が探してるじゃないですか。今あったことを正直に話せばいい。あなたの意向一つで、俺みたいな人間の首は、簡単に飛ぶ。」
「そ、そんなことしないわ。」
エマヌエーラは涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
「あ、そう。言わないならそれで構いませんよ。でも俺に関わると、碌なことにならない。それに今は敵国の人間が屋敷に侵入している。危険な目に遭いたくなければ、部屋で大人しくしていてくださいね」
俯いたエマヌエーラを置いて、キートはその場を去った。そして彼が廊下の角を曲がった時、侍女がエマヌエーラを見つけた声がした。目に溜まった涙の訳を聞かれた彼女は、「ゴミが入った」とだけ言った。それをキートは歩きながら背中越しに聞き、フンッと鼻を鳴らした。
翌日キートは約束通りサヤを迎えに行った。同室の女に睨まれたが、そんなものは彼にとって気にする程のものではない。
屋敷の地下で見たサヤとダントールの再会に、キートは反吐が出そうになった。互いを想うあまりに擦れ違っている二人はまるで、エマヌエーラが幼い頃お気に入りだった絵本のお伽話宛らに見えたのだ。
そしてサヤが百面相をしながら廊下を歩いている時、キートはそっとこちらを窺うエマヌエーラを見つけた。また性懲りもなく……と彼は苛立ったが、気付かないふりをして、違う方向に行こうとしたサヤを呼び、足早に歩き去った。
「ちょっと、早いわよ。見失っちゃうじゃない。そんなに急いでるなら先に言えば良かったのに」
小走りで追いついたサヤは、少し息を切らせながら文句を言った。
「急いでるわけじゃないさ。苦手な女を見かけたもんでね」
「だから逃げたって?あなたにも苦手な女なんていたんだ。トニーに女癖が悪いって聞いてたから、ちょっと意外」
キートは横で一生懸命足を動かすサヤを見下ろした。足のコンパスが違うのか、彼が少し大股で歩くだけで、途端に慌てだす。小柄なサヤの脳天を見ながらそんなことを考えた彼は、クスクスと笑いが込み上げてきた。
「何よ」
「いや、君はこの前、俺のこと短足とか言っただろ。君の方が短いんじゃないかって、今ふと思ったんだ」
明らかに馬鹿にした口調で言われたサヤは、呆れ顔でキートを見上げた。
「……、私はあなたみたいな失礼な男に、次々と引っかかる女の気が知れないって、今ふと思ったわ」
「口説く必要のない時ならこんなもんさ。それとも、一回本気で口説かれてみたい?」
キートは後方の離れた所から刺さる、エマヌエーラの視線を感じながら、サヤの腰を抱いた。
「やめてよね。見てよほら、鳥肌が立っちゃったわ。」
サヤの腕には本当に鳥肌が立っていた。
「俺もだよ。気が合うね」
キートが更に体を寄せると、サヤはとうとう飛び退き、「馬鹿じゃない?」と言い捨てて、前を早歩きで進みだした。
「そうそう、早く行っちゃって」
前を行くサヤと後ろに隠れるエマヌエーラの両方に聞こえるよう、キートは大きな声で言った。