狂想散花(4)
アメリスタ公はキートを直轄下に置いた後、ジグモンド大将を呼びつけた。
「エンダストリアに異界人がいると?!」
「そう身を乗り出すな、ジグモンド。君は見た目に迫力があり過ぎる」
頼りない上司に言われ、ジグモンドは浮かしかけた腰を戻した。
彼はアメリスタ軍の最高幹部で、長年公爵家に仕えてきた。軍事音痴の上司に代わり、これまで足りない人材を、エンダストリアから幾人も引き抜いてきたのもこの男だ。
「キートのことは怒らないでやってくれ。任務自体は成功させたのだからな」
「そういう問題ではありませぬ。全てを報告するのが彼の義務です」
「毎日毎日君がそう熱り立つから、キートが萎縮して報告をしなくなるのではないか?」
甘ったれた意見を言われ、ジグモンドは本気で呆れながらも、顔には出さなかった。
「それでだな、キートから聞いた話によると、どうやらその異界人は、初代と故郷が同じかもしれないという可能性が出てきた。私は彼女に会ってみたいと思っている」
ジグモンドは首を傾げた。今の戦況は、アメリスタが圧倒的に有利だ。エンダストリアはここしばらく防戦一方な上に、キートがダントールを連れて来たことで、軍が混乱していることは確実だ。一気に攻め込むチャンスなのだ。アメリスタ軍の士気も最高潮に達している。それなのに何故今、エンダストリアにいる異界人にわざわざ会う必要があるのか、全く理解できなかったのだ。
「……、どのような目的で?」
嫌な予感を覚えながらも、ジグモンドは尋ねた。
「実はな、初代の遺言に、我々では読めぬ文字で書かれた部分があるのだ。独立して我が国がエンダストリアを凌ぐ力を持つことは、初代からの悲願である。だがそれを成し遂げた更に先に、アメリスタ家直系の子孫にしか伝えられていない、真の目的があるのだ。その目的が何かは読める。読めるのだが、その後に書かれた読めぬ部分が知りたい。そこに初代の本当の願いが書かれている気がしてならんのだ」
ジグモンドは頭を抱えたくなるのを耐え、代わりに目を閉じた。
「すまぬ、ジグモンド。これまで独立のため、軍事に向かん私に代わり、君が尽力してくれたことには重々感謝している。今が絶好の機会だということも、分かっているのだ。だがもう少しだけ、待ってはくれぬか。異界の女は、大人しく待っているような性格ではないらしい。ダントールを生かしておけば、その妻である彼女はここへ来るかもしれん」
アメリスタ公は部下であるジグモンドに頼み込んだ。ジグモンドには分かっていた。彼がこういう性格であることを。国の頂点に立つには性根が優しすぎるのだ。それ故に初代の境遇に同情し、先代まで慎重になっていた独立戦争を、当代で起こした。ジグモンドはずっと、優しい彼には受け止めきれないであろう戦の汚い部分を裏で処理し、支え続けてきた。
「10日間だけです」
暫しの沈黙の後、ジグモンドは目を開け、静かに答えた。
「ジグモンド……」
「10日間、国境の警備を緩めましょう。どこから来るか分かりませんから、南北両側の人員を減らします。10日待っても来なければ、ダントールは処刑。それでよろしいですね?」
「君なら分かってくれると思っていたぞ!」
喜ぶアメリスタ公を他所に、ジグモンドは無表情で「では、失礼します」と言って、部屋を出て行った。
国境の警備が緩められてから8日目。北側からトーヤン人らしき女が、離れ離れになった家族を探すため、国境を通りたいと言って来た、という情報が入った。忌々しそうなジグモンドの横で、アメリスタ公は胸をなで下ろした。
堂々と屋敷を訪ねて来れば、丁寧に案内するはずだったが、キートが大人しくないと言った通り、彼女は門番の腹を壊させ、下働きとして侵入した。しかも侵入したのは彼女一人だけではない。もう一人、エンダストリア人らしき女と、別ルートで男二人が新人兵として潜り込んだのだ。
「どうするんです?旦那様。サヤと一緒に入った女は別として、男二人はダントール司令官の部下と、鬼熊ディクシャール司令官ですよ。しかもディクシャール司令官なんて、怖い嫁から逃げてきた農夫って……ププッ」
「その態度は何だ!?姿勢を正せ!!」
領主を前に、やけに砕けた態度のキートを、居合わせたジグモンドが叱った。
「まあまあ、私の部屋でそう怒鳴るな。サヤという女一人ではなかったのは想定の内だ。逆に一人で来れる方がおかしい。とりあえずはもう少し泳がせる。彼女が使用人の浴場を見るまでな。」
アメリスタ公は悪戯を思いついた時のような笑みを浮かべた。
「浴場を見せてどうするんです?」
「うむ、浴場は初代様が故郷を想って作られたのだ。使用人の宿舎のも、屋敷にあるものと同じように作った。あれを見た彼女の反応が知りたい。本当に故郷が同じなら、何か思うことがあるはずだ。」
「さっさと連れてきて、直接聞いた方が早いでしょうに。」
キートは思った。面倒なことをするものだ、貴族の考えることは理解出来ない。
「何を言うか、風呂に浸かると気持ち良いのだぞ。彼女はきっと長旅で疲れているだろう。私は彼女とは友好的に話がしたいのだ。遺言を読んでもらうのだからな。敵地での緊張が少しでも解れた方が良いとは思わんか?」
「そうですか。旦那様がそう言うなら、泳がせますよ。」
次の指示を受け、キートがアメリスタ公の部屋を出ると、ジグモンドが追いかけてきた。
「あまり図に乗った態度を取っていると、本当にその口を縫い付けるぞ?」
「どうぞ。でも縫うより殺した方が早く静かになると思いますけど……っう!」
口答えをした瞬間、キートは腹を思い切り殴られた。
「ここまで育て上げたのだ。殺しはせん。」
ジグモンドは言い捨てて、その場に座り込んだキートを通り越した。
「…どうせ使い捨てなのにさ」
すれ違いざまにキートが呟いたが、彼はチラリと睨んだだけで、何も言わずに去って行った。