狂想散花(1)
これは、アメリスタであったもう一つの隠されたストーリーです。後半に残酷描写を含む予定です。苦手な方はご遠慮ください。
始まりは本編の「いない人を信じるのは辛いもの(5)」辺り、フォンスがルイに連れて行かれたところからです。
鬱蒼とした森の中、二人の男が火を囲んでいた。既に夜も更け、時折梟の鳴く声が聞こえる。
「ダントール司令官、見張りは俺がやりますから、寝てもいいですよ」
二人の内、若い方が言った。
少し線の細い、優しそうな顔立ちのその男は、エンダストリア王宮の侍女達に中々人気があった。だがその一方、恋人を一人に絞ることなく次々と乗り換えていったため、一部で悪い噂も立っていた。しかし本人はそんなことを気にする風でもなく、優れた実力で飛躍的に昇格したにも関わらず、同僚や後輩に対する気さくな態度を変えることはなかったことで、軍での評価は良いものだった。
「敵の君がそこまで気を使わなくていい」
ダントール司令官と呼ばれた30代の男は、若い優男の申し出をぴしゃりと断った。彼のこの辺では珍しいスカルの風貌は、月明かりに肌が透け、髪は光り輝いていた。
優男はダントールの放つ幻想的な輝きに目を細め、忌々しげにに顔を背けた。幼い頃から闇の中で燻り続ける己が、惨めに思えてくるからだ。
「そんなに警戒しなくても、こっちは客人としてアメリスタに招くんですよ。獣が襲って来ても、放って逃げたりなんてしません」
「そういう問題ではない」
一応気を使ってやっているのに、またもや申し出を無下にされ、優男はため息をついた。
「サヤのこと、そんなに怒ってるんですか?大丈夫ですよ、あの女は簡単にはくたばらない。大事な異界の秘密兵器もほら、壊されちゃった」
「キート!サヤに何をした!?」
優男、キートは口に人差し指を立て、急に怒り出したダントールに向かって「しぃ…」と言った。すると遠くから狼の遠吠えが聞こえ、ダントールは決まり悪そうに乗り出した身を元に戻した。
「ムキになんないでください。国境で言った通り、あの糞女は今頃ピンピンしてますよ」
キートは"糞女"の所だけやけに力を入れて、壊れた玩具を手の中で転がした。
「…君が逆に何かされたような言い方だな」
「ええ、これを壊されました。本気で殺してやろうかと思ったけど、でっかい声で人のこと不細工とか短足とか言いやがって、近所が騒がしくなったから断念せざるを得なくなっちまった。そうしたら今度は俺が諜報員に向いてないだの弱いだの、好き勝手言われましたよ」
愚痴を吐き出すかのように早口で一気に言ったキートは、肩を竦めて後ろの木に寄り掛かった。
「フッ…、彼女はあの鬼熊ディクシャールに"うさぎさん"とあだ名を付けるくらいだ。君が口で敵う相手じゃないだろうな」
キートの話を聞いたダントールは軽く笑って、月明かりを見上げた。その瞳は穏やかだ。
「あんなのと結婚するなんて、あなたも変わった女に手を出したんですね」
「…知っているのか?だが手は出していないぞ」
怪訝そうに聞かれたキートは、クツクツと肩を震わせて笑った。
「結婚のことは知ってますよ。俺は書庫であいつの入館許可証を確認したんですから。そこにはっきり、サヤ・ダントールって書いてたら、気付かない方がおかしいでしょう。面白いことになったと思って黙ってましたけどね。それにしても、まだ手を出してなかったとは…。あんなちんちくりんじゃ、その気にならなかったとでも?」
「下卑たことを言うな」
不快に眉をひそめたダントールに、キートはとうとう片手で顔を覆い、本格的に笑い始めた。
「何が可笑しい、キート」
「いや、だって相手は異界の女でしょう?何に利用するつもりで結婚したのか知りませんけど、俺が口説いても頑なだったから、とっくに抱いてるのかと思いましたよ」
「…サヤと結婚したのは、彼女が入館許可証を作るために戸籍が必要だったからだ。他意はない」
するとキートは急に笑うのをやめ、顔の手を外し、きな臭い目でダントールを見た。
「それにしては、他にもサヤのために色々と走り回ってたじゃないですか。きっかけが何にしろ、女は一度抱いておいた方が扱い易い。それとも、ヴァーレイに気を使ってるとか?」
「……」
「さすがに気付いていたでしょう。自分を慕う真面目で可愛い部下が、何故一人の女を追いかけ回すのか。宿舎での騒ぎもあなたの耳に入らないわけがない。本当に許可証を作るだけで他意はないなら、さっさと真実を教えてやれば良かったんだ。後先何も考えてなさそうなあの女は別として、軍幹部のあなたがあえて隠すなら、何か他に利用目的があると、普通は思いますよ。」
キートはふて腐れた顔で押し黙ったダントールを、心の中で嘲笑った。身体能力は獣並だと言われ、軍でも一目置かれてきた目の前の男が、無力な女一人に傾倒していることを分かった上でわざと言ったからだ。
「まあ、今更どうでも良いことですよ。俺の仕事はあなたが評価していた部下4人を消して、アメリスタに連れて来ることだけですからね。エンダストリアの陰謀を暴くことじゃない」
「……、乾いた考え方だな。故郷への愛国心はないのか?」
虫酸が走るような言葉を聞いてしまったと思い、キートは舌打ちをした。彼は一度だって国を想ったことはない。命令されれば私生活を犠牲にしてでも動く、そのやり方をアメリスタの上司達は、愛国心故だと誤解することは多い。だがそんなものは、彼の心の中に砂粒ほどもありはしなかった。
「やだなあ、ないに決まってるじゃないですか。言われたことをこなさなきゃあ食っていけない。あなたなら、分かるでしょう。スカルに帰れず野垂れ死にそうになっていたのをコートル司令官長に拾われた、っていう話は有名です。愛国心で軍に入ったなんて、言わせませんよ。それに今もないでしょう?」
ダントールの過去は、噂好きな侍女達のほとんどが知っていた。そしてそれを聞いたキートが睨んだ通り、ダントールはただ淡々と任務をこなすだけで、愛国心も出世欲もあまりないように見受けられた。サヤが現れる前までは。
「ないな。そこは君の言う通りだ。だが、愛国心はなくても忠誠は誓っている。友人や恩人を裏切ることはしない。それに今はサヤがいる。彼女は巻き込まれただけだ。愛国心の有無に関係なく、巻き込んだ責任者として、出来る限りのことはしてやらねばならない」
「綺麗事ですね」
相変わらず気に食わない男だ、とキートは思った。最初はやり方は違えど、自分と同じニオイがすると思っていたのに、いざ蓋を開けると、淡々とした裏で実はかなり感情の激しい熱血漢だったのだ。キートはそんなダントールが嫌いだった。
「二番煎じだな。ラビートにもよく言われる」
愛国心がないもの同士、自分の方が遥かに器用な生き方をしているはずが、結局後になって多くのものを手に入れていたのは不器用なダントールだ。友人、恩人、慕ってくれる部下、そして家で待つ家族。ダントールを見ていると、もやもやして仕方がない。キートはいつもそう感じながら、第3隊で共に任務をこなしてきた。
「…まだ言ってませんでしたけど、実は俺、こないだサヤを殴りましたよ。」
「何だと!?」
途端に余裕だったダントールの顔が歪む。キートにとって、嫌いな奴を言葉で翻弄するのは楽しい遊びのはずなのに、今はこちらを睨み付けるダントールを見て、腹の奥がムカついて堪らなかった。
「そんなに拳を握り絞めて、仕返しに殴りたいんですか?良いですよ、サヤと同じ頬と鳩尾を殴ればいい。使い捨ての俺には、後で仕返しをしてくれるような人間はいませんから、誰も咎めませんよ」
「……ちっ」
こういう言い方をすれば、ダントールは殴らない。キートにはそれが分かっていた。案の定、ダントールは舌打ちをするだけで拳を引っ込めた。
「…俺は、あなたのそういうところが大嫌いだ」
優しさは人を弱くする。同情は人を苛立たせる。信頼は人を縛り付ける。それがキートの信条だ。
「構わん。全ての人間に好かれたいとは思っていないからな。」
「奇遇ですね。俺も同じことをいつも思っています。でも何故か、あなたとは気が合わない。」
羨ましくなんてない。ただたまに魔がさすだけ。人の負の感情に当てられた時のゾクゾク感は、誰にも理解できない境地だろう。キートはそう思い直して、焚火に枝を放り込んだ。
随分さかのぼったところからスタートしちゃいましたね……
しかもトニーの番外編と言っておきながら、初っ端から三人称単視点(ルイ視点)。
トニーファンの方、ごめんなさい。
でも対決の部分だけ書いても、よく分からないまま終わってしまって、また新たな番外編を付け加えなければならなくなるので、ルイの心情も読んであげてください。
*活動報告に、人気ランキング総集編をアップしました。