孝行したい時に親はいないもの(4)
母娘で飲み続け、夕方の6時まであと少し。部屋がだいぶ暗くなってきたため、電気をつけた。
「は!****!?***!」
明るくなった瞬間、携帯ゲームをしていたアメリスタ公は飛び上がって叫んだ。
「ちょっと、床をドンドンしないでくださいよ!下の人に迷惑でしょう!」
「***?*****?」
「…はいはい、次はこれで遊んでください」
照明に興味を持った彼に懐中電灯を渡すと、すぐに大人しくなった。
「もうすぐね。ちょっとドキドキしちゃう」
お母さんは胸を押さえて言った。
「ドキドキするけど、何だか自信なくなってきた…」
「自信って、戻って来いって言われること?」
「うん。駄目なら駄目で、また普段の生活に戻るだけなんだけどさ」
テーブルにぐったり伏せて目を閉じた。お母さんがそんな私の頭を優しく撫でる。
「駄目だったらお見合い相手探してあげるわよ。叔母さんも行き遅れのあんたを心配して、こっそり知り合いを当たってるみたいだし」
ああ、今お母さんと一緒に住んでる叔母さんか。ちょっと前自分に孫ができたからって、次は姪である私の世話をするつもりなのだろう。お母さんを見上げると、彼女は手を止めて優しく笑った。
「そう、叔母さんによろしく言っといて。今回は死ぬ気で頑張ったから、これで上手くいかなかったらしばらく自力で探す気力なんてないと思う」
「ネガティブね。誰に似たのかしら」
その時、懐中電灯で遊んでいたアメリスタ公がパッと顔を上げた。
「どうしたんですか?」
聞くと彼は口に人差し指を当てて、辺りを探るように見回した。
ゴ……ゴゴゴ……ゴゴゴ…
低い地鳴りのような音が小さく聞こえ、それはだんだんと大きくなっていった。
「何?穴が空くの?」
少し怖くなって、隣にいたお母さんにそろそろと抱きついた。
「そうみたい。あんた達が出てくる前も、こんな音がしたもの」
お母さんは私をしっかり抱き返して言った。
「***!」
アメリスタ公が叫んで指したのはベッドの上。そこに黒いものが見えた。ぐいぐいと空間を押し上げるようにその黒いものは大きくなり、やがて向こうの世界で見たのと同じ、闇の入り口がぽっかり空いた。
「アヤヤ、楽しい時間をありがとう」
急にアメリスタ公の言葉が分かるようになった。そうか、世界が繋がったから、翻訳ピアスが機能しはじめたんだ。
「何?モリタン。さよならでも言ってるの?」
ピアスのないお母さんには何と言ってるのか理解できないままらしい。
「お礼を言ってるのよ。楽しかったって。穴が空いたらこのピアスが翻訳してくれるようになったみたい」
「便利なもの持ってるのねえ。それじゃあ、どういたしましてって伝えて」
私はアメリスタ公に向かって口を開いた。
「公爵様、母は"どういたしまして"って言ってます」
意識すれば、口がエンダストリア語に動くのが分かった。
「やはりアヤヤは君の母上だったのだな。君に似て、気立ての良い、とても愛らしい女性だ」
彼は50代の母親に"愛らしい"なんて歯の浮くようなセリフを、さらりと言ってのけた。
「モリタンは何て言ってるの?」
「お母さんのこと、気立てが良くて愛らしいってさ」
「あ、愛らしい?…あっはっはっはっは!」
そのまま訳したら、お母さんは大笑いをした。
アメリスタ公は笑い続けるお母さんの手を取って胸に当て、にっこり笑った。
「さようなら。アヤヤ」
言葉は通じなくても、アメリスタ公が何を言ったのか感じ取ったようで、お母さんは笑った顔のまま頷いた。
「元気でね、モリタン。その懐中電灯、お土産にどうぞ」
「お元気で」
通じない者同士なのに違和感の無い会話をした後、アメリスタ公は私を見た。
「この光るもの、貰っても良いかい?」
「ええ、母もどうぞって言ってます。」
「ああ良かった。非常に興味深いからな。それから君とも、あの夫が意気地なしならさよならだ。一応言っておこう。ありがとう、元気でな。」
お母さんと同じように手を胸に当てられ、懐中電灯を持った彼は、闇の中へと消えて行った。
「……、やっぱり駄目かな、お母さん」
アメリスタ公が行ってしまった後、私はポツリと呟いた。
「待って沙弥、何か聞こえない?」
「え?」
耳を澄ますと、小さく声が聞こえる。お母さんと穴の近くまで寄ると、だんだんはっきりその声が聞こえるようになった。
「サヤ!」
穴のすぐ目の前まで来ると、声が私の耳から全身を貫き、胸が締め付けられた。足がふら付きそうにになって、隣のお母さんに捕まる。
「フォンスさん……?」
「…ほらね。言った通り、しつこいでしょ」
自分でこうなるようトラップを仕掛けておいて、いざ呼ばれたら戸惑った。私の足は行きたいと言っているのに、顔はお母さんを見つめていた。その間もずっとフォンスさんの私を呼ぶ声が聞こえる。
「沙弥…彼の声、泣いてるわ」
お母さんは闇をじっと窺いながら言った。
「戻ってくれサヤ!君がいないと駄目なんだ!」
時々ひっくり返る悲痛な叫び声。
「私の…俺の側にいてくれ!!」
彼の涙と想いがそれに乗って私に伝わる。
「行ってもいいわよ、沙弥」
「お母さん…」
「男は女の涙に弱いけど、女だって男に泣かれたら弱いものよ。お父さんの時も同じだったわ」
そうこう言ってる内に、穴が少しずつ歪んで小さくなり始める。
「どっちでもいいから早くしてください!」
バリオスさんの声も聞こえた。きっと彼の限界が近いのだろう。
「お母さん、今まで育ててくれてありがとう。先立つ不孝をお許しください」
「何それ?」
覚悟を決めて別れの挨拶をしたら、怪訝そうな顔をされた。
「ここでの1年は向こうでの90年。行ったら1年待たずに私の寿命が来るから、親孝行できない」
「普通逆でしょ。孝行したい時に親はいないもんなのに、孝行して欲しい時に子がいないなんて…」
そのままトンと胸を押されて、私は背中から闇の中に倒れこんだ。
「親不孝過ぎて笑っちゃうわっ!!」
最後に見たお母さんの顔は、泣いていた。
沙弥の叔母さんに関しては「若い想いは盲目になりがちなもの(4)」に一瞬だけ出てきました。ディクシャールとの会話の中です。