難関な過程でも結果は単純なもの(5)
「こんな所に座って、どうしたんだ?」
不意にフォンスさんの声がした。
「あ…ああ、お帰りなさい」
彼が帰って来るということは、もう夕方なのか。しばらく冷えた床に座っていたからだろう、腰が少し痛かった。
「ぼうっとして、体調でも悪いのか?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
笑顔で立ち上がったのに、フォンスさんは怪訝そうな顔を解かない。
「誰か来ていたのか?さっき近くでヴァーレイと擦れ違ったが…」
フォンスさんの視線を辿ると、テーブルに置きっぱなしだったカップが2つ見えた。
「ええ、明日は立ち会えないから、挨拶に来てくれたんです」
「…彼も慌てたようで様子がおかしかったが…、まさか、何かされたのか!?」
肩を掴まれて険しい顔で問われた。どうやら大事と勘違いされているようだ。されたっちゃあされたが、フォンスさんが心配するようなことではない。
「いいえ何も。ただぼうっとしてただけです」
「しかし…」
「フォンスさんって心配性ですね。トニーは優しい人だから、私の嫌がることはしませんよ」
そこまで言うと、ようやくフォンスさんは私の肩から手を離した。
「すまない。ヴァーレイはそんな人間ではなかったな…。何も変わりないならいいんだ。ああそれから、明日のことを話しておこう。まだ君は詳しく説明されていないだろう?」
そういえば、いつやるかを聞いただけで、他は何も連絡がなかった。世界の繋ぎ目に飛び込むのは私だというのに、おざなりな扱いだ。
「異界に行ってみたいとアメリスタ公が言い出してな、今日まで詳しいことが決められなかったんだ」
「行ってみたいって…私と一緒にですか?」
一体何を考えてるんだ、あのリーマンオヤジ公爵は。あんなのと帰るくらいなら、フォンスさんを引き込んでやりたいくらいだ。
「…行ってどうするんですか」
「遺骨を自身の手で埋めたいらしい。向こうとこちらでは時間の早さが随分違うのだろう?こちらで1ヶ月ほどバリオス殿の回復を待って、もう一度世界を繋ぎ、公爵を帰還させるそうだ」
「え、本当に召喚術で繋ぐだけで異界に渡れるとは分からないのに、帰りまで上手くいく保障なんてあるんですか?」
頭で考えるだけなら簡単そうだが、公国の当主にそんな危険なことをさせても良いのだろうか。楽観し過ぎだぞアメリスタ。
「帰りは初代公爵も君も来れたのだ。行きが大丈夫なら成功するだろう。問題はその行きなのだが、繋ぎ目を見て無理そうなら私が止める」
「と、止めるんですか?」
「当たり前だろう。もっとはっきり言えば、敵国の当主がどうなろうと知ったことではないが、君がこちらの事情を汲んで危険を侵すのは駄目だ。王宮の上層部と公爵は乗り気だが、君から帰還方法の話を聞いた時から、私は何も納得してはいない。帰るのなら、安全だという確信がなければ…」
納得してないって、今更ですか!?今朝まで普通にしてたのに、言葉が足りないにも程があるだろう。読めん、この人の考えてることは本当に読めん!
「もうすぐいなくなる人間に、そこまで気を使わなくても良いですよ。それに、アメリスタ公の無事を知ったことではないなんて、言わないで。失敗すればまた戦争になっちゃう。私の方が、繋ぎ目に飛び込みさえすれば、あなたの責任も罪悪感も消えるでしょう」
理解出来なさ過ぎて、苛々した。中途半端に優しくされても辛いだけなのに、突き放しもしなければ受け入れようともしない。言うまいと思っていた辛辣な本音が口を突く。
「…消えるものか」
フォンスさんの顔が歪んだ。そのまま手が伸びてきたから、一瞬叩かれるのかと目を瞑ったが、がさついた大きなそれで頬を包まれただけだった。
「君がいた事実は、私の中から消えはしない」
「…どうしてそういこと言うんですか?人の気も知らないで」
「知っている」
あっさり言われた言葉を、危うく聞き逃しそうになった。彼は私の気持ちを知っているのか?だとすればいつから?どうやって?頭の中が疑問付だらけで聞きたいことがまとまらない。
「何となく、感づいていた。好意を持ってくれているのでなければ、ここでの生活は説明のつかないことが多々あった。いくら昔からラビートに朴念仁だと言われてきた私でも、一緒に暮らしていれば薄々分かる」
フォンスさんは私の頬に添えた手をゆっくり動かし、髪を梳いた。
「知って、どう思ったんですか?」
やっと聞けた。私が一番聞きたかったこと。彼の正直な気持ちが知りたい。
「嬉しかったさ。異界から来た君は、何の偏見もなく、世間体を気にすることもなく、ただ好意を持ってくれた。いつも前向きで明るくて、料理だって美味い。私が迷った時は言葉で救ってくれた。そんな君が、戸籍上だけではなく、事実上も妻になってくれたら、どんなに良いだろうと思った」
私の想いはとっくに届いていたのだ。そしてフォンスさんも私のことを…。ああ、こんな土壇場になって欲しかった言葉を貰えるなんて。あんなに悲しくて切ない思いをしたのは何だったんだ。鈍感なのは、私の方だったのだろうか。
「…あなたが望めば、本当の妻になるのに、どうしてそう言ってくれないの?」
もっと喜びを表現したいのに、文句しか出てこない。
「言えるわけがない…。向こうの世界には、君がいなくなると心配する者がいるのだろう?君の人生は向こうにあるんだ。勝手に引きずり込んだ側の私が、感情で縛り付けて良いことじゃない。君は元いた世界で幸せを見つけるべきだ。今回の方法が危険なら止めるが、ちゃんと帰れるのなら…」
"戻ってくるな"、か。フォンスさんは皆まで言わなかったが、聞かなくてもその表情から分かった。やっと彼の考えていることが読み取れたというのに、ちっとも嬉しくない。
想いが通じ合っているのに、明日お別れなのに、抱きしめてもくれなければ、キスもしてくれない。運命の人だと思うくらい本気だったのに、何て味気ない終わり方なのだろう。
私の幸せを勝手に決めないで
心が叫んでいたが、それを口には出さなかった。ここで言い返して険悪な雰囲気にはしたくなかった。