言葉にしなければ分からないもの(9)
しばらく隠れて待っていると、二人が帰ってきた。とりあえずトニーの服の裾に少量飛び散っている赤いものは見ないフリ。それから私達は、防御壁の前まで移動した。
「ねえ、これって触っても平気?」
私はウズウズして横にいたフォンスさんに聞いた。
「防御壁はあらゆる物質を跳ね返す。下級術師の壁ならまだしも、バリオス殿レベルの術師が張ったものなら、確実に吹っ飛ばされる。触ってみたい気持ちは分からんでもないが、やめておきなさい。」
「そういえばトニーに借りた初心者用の教本にも、そんなこと書いてましたね。気持ちは分かるって、フォンスさんは触ったことあるんですか?」
「軍に入った時の洗礼みたいなものだ。訓練場の真ん中に、わざと上級術師に防御壁を張らせて、入隊したての者達を送り込むんだ。初めて見る奇妙な壁に興味を持って触れた途端、皆派手に飛んでいく。コートル殿が悪戯心でやり始めた洗礼でな。私もラビートも痛い目にあったよ」
フォンスさんはディクシャールさんと顔を見合わせて苦笑した。ナイスミドルは中々お茶目な性格のようだ。
「トニーは?」
「僕?触ってはいないけど、吹っ飛ばされてきた奴の巻き添えを食らったよ」
可哀相に。でも何となくトニーらしい感じだ。今の彼はほぼ前と同じように見える。昨日の今日で本当に立ち直ったというわけではないだろうが、彼なりに気持ちを切り替えたのかもしれない。
「どうやって向こう側に私達のことを伝えるんですか?」
「防御壁の精度は、術師の精神集中力に比例する。吹っ飛ばされるが、触れればそれが壁を張った術師に伝わる。術師と関わりの深い者であるほど、大きな感情を持って触れるほど、誰が壁に触れたのかが伝わりやすくなるのだ」
何だかよく分からない話だが、ようは吹っ飛ばされるの覚悟で、誰かがこの壁に触らなきゃいけないということか。
「今度は俺の出番だな」
待っていましたとばかりに前へ出てきたのはディクシャールさんだ。
「この壁の術師がバリオスさんじゃなかったらどうするんです?まさか術師全員と知り合いなわけないですよね」
「全員と知り合いだ。王宮の術師達は、俺を見た途端、腰を抜かして逃げて行く。ここ数年でバリオス殿は耐性がついたみたいだがな。俺を知らぬ術師などいない」
それは知り合いとは言わない。一方的に怖がられているだけじゃないか。ポジティブ・シンキングにも程があるだろう。だけど少なくとも、フォンスさん奪還に向かったディクシャールさんが、国境にいるということは伝わるというわけか。
「じゃあ、ちゃっちゃとお願いしますよ」
「任せろ。…さっさと開けろゴラァッ!」
ディクシャールさんが思い切り壁を殴った瞬間、拳の触れた部分が円形に波打ち、ゴゥゥンという聞いたことのない不思議な音と共に彼の巨体が後ろに吹っ飛んだ。
「ぐっ…!」
フォンスさんとトニーが後ろで構えていたが、支え切れずに3人一緒に倒れ込んだ。
「…おうおう、この警戒心むき出しの感触は、泣き虫根暗のワイスだな」
ゆっくり起き上がったディクシャールさんが、不敵に笑いながら言った。
「誰よそれ。吹っ飛ばされた感触で相手の術師まで分かるんですか?」
「…いや、そんな芸当ができるのは、丈夫なラビートだけだ。こいつは若い頃、術師を片っ端から捕まえては防御壁を張らせて、自分の拳とどちらが強いか腕試ししていたからな。うっ…!」
衝撃は大きかったようで、フォンスさんは苦しそうだ。
「大丈夫ですか?トニーも…」
「うん、何とかね…」
「呆れた。術師をいじめて遊んでたなんて。趣味悪過ぎですよ、ディクシャールさん」
私の言葉なんて聞いていないディクシャールさんは、もう一度壁の前まで戻り、拳を振り上げた。
「開けろワイス!」
彼が拳を突き出し、壁に触れる直前、ブゥーンというさっきとは違った不思議な音がしたと思ったら、いきなり壁に穴が空いた。一番手前の壁に続いて、その奥も次々と瞬間的に空いていき、とうとう人が一人通れるだけの入口ができた。
「どわっ!」
拳の行き場を失ったディクシャールさんは、そのまま穴を通ってエンダストリア側に倒れ込んだ。
「…うわ、すっごい嫌われようだわ……」
呟いたのは、今までディクシャールさんの行動を生暖かい目で見ていたリリーだった。後ろで、起き上がったトニーとフォンスさんも苦笑している。
「さっさと来い!すぐに閉じるぞ!」
国境を越えたディクシャールが呼んだ。私達は急いで穴まで走った。