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医療財政と医療技術(湿潤療法を知って)

 GDP。国内総生産の事で、重要な経済指標の一つでもあります。これは、そのまま文字通り、国内で生産された付加価値の総量です。例えば、誰かが稲を育ててお米を一千万円分売れば、それは国内総生産に含まれます(肥料なんかを輸入していれば、引かなくちゃいけませんが)。サービスでもこれは同じで、肩たたきをやって商売として100円稼いだら、それだって国内総生産に含まれます。小売店ならば、例えば5円で仕入れたお菓子を10円で売れば、その利益分(10-5で5円)は、国内総生産に含まれます(時々、勘違いをしている人がいるので一応書いておきました)。早い話が経済活動の証拠みたいなものですね。

 さて。この国内総生産を上昇させる事が、基本的には経済社会の目標の一つのように言われています。では、どうして国内総生産を上げなくてはいけないのでしょうか? 答えは簡単で、そうすれば社会が良くなるからです。こう書くと、「そんな事はない経済的な豊かさで、社会が良くなるとは限らない」と、そう言う人がいるかもしれません。これは間違ってはいません。国内総生産を上げなくても、社会が良くなる可能性はあるし、国内総生産量が上がったからといって、社会が良くなるとは限らない。

 ですが、それでも国内総生産はどうしても上げなくてはならないのです。何故なら、そうしなければ人々の生活が維持できない構造に既にこの世の中はなっているからです(長くなり過ぎるので、説明は割愛します)。

 政治的な問題がなく、純粋に経済構造で考えてもこれはそうなのですが、取り分け日本には深刻な財政赤字という大問題があります。日本が国家破産しない為には、是が非でも、国内総生産を上げ続けなければいけないのです。それは避けて通れない。

 ですが、そんな中でも幾つかの例外がある事はあります。生産量を上げるどころか下げた方がいい分野があるのですね。例えば、ゴミが減って、廃棄物処理に関わるコストを減らせば国内総生産は下がりますが、社会的にはプラスです。二酸化炭素その他の有害物質を排出しませんし、それに、これは節税にも繋がるでしょう。これと同じように、実は医療に関わる生産量も下げた方が良いという現実があります。

 既に日本の医療財政は危機的状況に陥っています。高齢化社会を向かえ、膨らむ医療費が財政を圧迫し始めているのですね(医療費の一部には、税金が用いられています)。だから例えば、個人に“予防”の意識を強く持ってもらい、病院の世話になる機会を減らせれば、国内総生産は減りますが、社会全体にとってみればプラスな訳です。

 まぁ、早い話が医療費のコストは削減した方が良いという事です。

 知っている人も多いでしょうが、日本の医療制度は、国際的に観ても高く評価されています。日本では、少しくらいの病気で命を落とすなんて(今のところ)信じられない話ですが、充分な医療を受けられない他の国では、お金が足りなくて命を落とすくらい普通に起こっているのです。ですが日本では、だからこその意識の低さも目立つのかもしれません。優れた医療制度に頼り、自分の健康管理を怠ってしまう(因みに、これはモラルハザードの一例です)。

 しかし、前述した通りにその医療制度はいつまで維持できるか分かりません。生活者に重い負担がかかる(現役世代の負担が特に重くなる可能性が大きい)時代が、すぐそこまでやって来ています。つまり、個人に“予防”の意識を持ってもらう事がどうしても必要な時代になってしまっているのです。医療費にかかるコストを下げなくてはいけないし、そもそも医療費が高くなるかもしれず、病気になったら命を落としかねないからです。

 ただし、コスト削減手段は何も予防だけではありません。医療技術を発展させ、効率を上昇させる事ができれば、それはそのまま医療費の削減に繋がります(その場合、“実質”国内総生産は下がりません)。

 では、その医療技術の発達は可能なのでしょうか?

 これまで僕は、科学技術が十分に発達している現代という時代では、それは難しいと思っていました。著しい発展は望めないし、それにはかなりの研究コストがかかるだろうとそう予想していたのです。ところが、灯台下暗し的な感じで、これまでの医療では見逃されていた点があったらしいのです。

 それは皮膚に関する治療。そして、その新しい治療方法は“湿潤療法(治療)”と呼ばれています。

 発想の根本は、“人間の治癒能力を最大限に活かすこと”(説明を読んだ上での、僕の解釈ですが)で、その為に、「消毒をしない(水洗い程度しか行わない)」「乾燥を防ぐ」を治療の基本としています。

 消毒をしない、と聞くと驚く人がいるかもしれませんが、どうしてそれでも大丈夫なのか理屈を聞けば納得ができると思います。

 傷に対し消毒をするのは病原菌の繁殖を抑える為ですが、実はその心配もあまりないらしいのです。何故なら、人の体には元より強力な免疫機構が存在するからです。そして人の細胞を殺せば、その免疫力は発揮できません。そして消毒は、細菌を殺す事もできますが、同時に人の細胞を死に至らしめてしまうのです。つまり、本来なら人は病原菌に対抗できるのに、消毒がその力を奪ってしまっているのです。そして、病原菌が繁殖するような特異な条件(人の免疫機構が働かず、水分が流れない)が揃わなければ、病原菌は繁殖しないのに、それを理解せずに過剰な消毒を行ってしまっている、というのが「消毒をしない」事の根拠になっているのです。

 (これは逆に言えば、病原菌が繁殖する条件が揃ってしまっている傷、例えば深い傷などに対しては、湿潤療法以外の特別な処置が必要になってくる、という話でもあるので注意してください)

 この治療方法の根拠は、これだけではありません。

 傷の治療には、当然ながら人間の細胞を護る事が大切です。ところが前述したように、消毒してしまうと細菌も死にますが、人間の細胞をも殺してしまう。結果、却って傷の治癒が遅れてしまうらしいのです。乾燥を防ぐのも基本的には同じ理由です。人間の細胞を護る為。ただし、その他にも細胞を再生させる為に人体が分泌する滲出液を逃さないという意味もあるそうです(ただし、ある程度の流動性がないと、病原菌が繁殖してしまうので、その点は充分に注意しなくてはならない)。

 肝心の効果ですが、既に臨床レベルで実践されていて、充分な実績があるようです(残念ながら、統計的に纏められた資料は僕には発見できませんでしたが)。そして、従来の消毒とガーゼによる治療方法よりも、治癒効果が著しい。

 この治療方法、テレビで紹介されているのを観た事はあったのですが、その時僕は「ふーん」程度で受け流していました。恥ずかしながら、そこにある重要性に気が付かなかったのです。

 ですが、“傷はぜったい消毒するな”という本を読んで、その価値に気が付きました。著者は、夏井睦という方で、この人本人が湿潤療法を試行錯誤して(なんと臨床レベルで)方法を確立し、インターネットで普及してきたそうです。

 (もっとも、似たような試みを実践していた人は他にもいたようですし、同様の原理はアメリカ医学会では既に知られてもいたようなのですが)。

 この治療方法を僕がすんなり受け入れられたのは、説得力のある説明と充分な証拠によるところも多いでしょうが、もしかしたら、個人的な謎が、この“湿潤療法”の原理を理解して氷解したからなのかもしれません。

 数年前に、僕は首辺りの皮が剥け、痒くなるという何かの皮膚病にかかりました。大して辛くもなかったので、医者にはいかなかったのですが、その時に“治るから”と言われ、白色ワセリンを塗る事を薦められて、塗ってみたのです。と言っても、半信半疑でした。何故なら、白色ワセリンは人体に対して無害なだけなものだと思っていたからです。ところが、塗ってみたら瞬く間に治ってしまった。当然、僕は不思議に思いました。ワセリンの効果といったら、“保湿”くらい。乾燥が防げるだけです。どうして、治ってしまったのだろう?

 実際には、その保湿こそが重要だったのですね。図らずも僕は“湿潤療法”と同じ事を行っていたのです(“湿潤療法”は、人体の回復能力を最大限に活かしますから、傷の治療以外にも効果があるのです)。実体験と理論的な根拠と実践的な証拠が揃っているのなら、認めない訳にはいきません。

 ですが、この“湿潤療法”は、前述した“傷はぜったい消毒するな”という本によると、医学会から認められてはいないそうです。2009年に出た本ですがね(個人レベルで実践している医者は多数いる)。普及すれば、世の中の役に立つだろう事は目に見えているのにも拘らず。それなら、少しくらいは協力しなくちゃいけないはずです(でもって、こんな文章を書こうと思い立ったのですが)。

 先に説明しましたが、今は医療費の削減を実現する為に、医療技術の発展が強く望まれている時代です。それが、研究コストのかからないものならば特に。もちろん、経済的な理由がなくてもそれで救われる患者が多数いるのなら、できるだけ迅速に普及すべきですが、医療制度を破綻させない為に、特に急がなくてはいけないのですね。

 (保守的な学者達の考えを、一般の人達が覆していく、というのは痛快ですしね)。

 新しい考えや発見を、学者(に限らず世の中)が認めないという事は、どの時代でもよく観られるものですが、この“湿潤療法”についてもどうやら同じ現象が起きているようです。この点については、本の中では、科学革命パラダイムシフトに触れて説明してありました。そこで僕は、別の視点からこれを述べてみたいと思います(同じ事を述べてもつまらないですし)。


 自然科学は遥か昔から存在していた訳ではありません。例えば、万有引力の発見で有名なニュートンは、自然科学者ではなく、自然哲学者です。この時代には、そもそも自然科学は存在しなかったので、自然哲学者なのですね。もちろん、技術や理論ならばその昔からあったのですが、それらが“科学”になる為には、帰納的思考の重要性を社会が受けれいれる必要があったし、また、公開性や研究を支える社会体制も必要だったのです。

 (科学は、純粋に理論的なもののみで成り立っている訳ではなく、それを支える社会体制も含めて成立しているのです)。

 帰納的思考というのは、調査や実験によって情報を集め、そこから理論を作っていこうという発想です。

 何かしらの結論を出す為には、充分な量の正しい情報が必要です。情報がなければ、どうとも結論付けてはいけない。簡単で当たり前の話なのですが、人間社会はそれを中々理解できなかったのです。

 さて。

 もうちょっと踏み込んで考えてみましょうか。

 では、一体、どれだけの正しい情報があれば、充分だと言えるのでしょうか? 実は、これを設定する事はできません。どれだけ情報を集めても幾らでも隠れた情報が存在する可能性があるし、得られた情報が正しい事を証明する手段もないからです。そして、同じ情報から複数の結論に至れもする。どれが正しいのか、証明する事もできません。

 つまり、経験科学においては、何かを完全に実証する事はできないのです。全ての理論は仮説。

 ただし、それじゃ理論を体系化するのに不便です。だから、ある程度確からしい情報が得られたなら、それをもって証明できた、と便宜上してしまうのです。でもって、その線引きですが、実はこれに何か客観的な基準がある訳じゃないのです。社会(或いは、個人)の物差しによるのですね。早い話が、それは主観的なものなんです(以上は、科学が哲学や宗教から分離する際に議論された事を簡単に述べたものです)。

 そしてその程度のものだからこそ、今の(自分が信じている)説が間違っている可能性を常に考えなければいけないのです。もしも、今までの説で説明できない情報が現れたなら、それにより今までの説を変えていかなければならないからですね。

 これは、“反論を受け入れなくちゃいけない”という事を意味してもいます。科学的合理性の基準の一つの考え方に、“反証主義”というものがあるのですが、これは“反証できる構造を持った理論を科学と呼ぼう”というものです。この“反証主義”は、多くの科学者からその重要性を認められているのですが、その理由は今までに述べてきたものとほぼ同じです。

 (理論に限りませんが)成長する為には、今までのものを否定し、新しく作り変える必要性があります。だから“今までのものを否定する”勇気が重要だって話ですね。

 これは科学の理想的な態度の一つです。一般社会では、科学を権威として扱ってしまうことが多いので勘違いしている人が多いですが、実は科学には慎重かつ謙虚な姿勢こそが求められるのです(もっとも、これは飽くまで理想であって、そうはなっていないケースはたくさんあるのですが)。

 もちろん、これを成り立たせる為には、間違った理論を信じていた人を責めるような真似はしていけないし、自分の誤りを認めることができた人を賞賛する、という事も忘れてはいけません。

 さて。これを踏まえて、“湿潤療法”に対する医学会の態度を観てみましょうか。まぁ、敢えて説明するまでもなさそうですが“湿潤療法による著しい治療効果”という、今までの説では説明できない情報が現れたにも拘らず、それを頑なに拒絶している。それは科学的な態度とは言えません。そしてそれは恥ずべき態度でもあります(重要な情報を無視して反論を拒絶するのは、心霊科学などの擬似科学に特徴的に観られる態度だとも付け加えておきましょう)。

 ただ、ここで少し弁護しておくと、帰納的思考というものは、実は大変に難しいものです。得られた情報をどう分析するかで、大きく結論が変わってしまう。平均を求めるというような単純な統計処理ですら、これは起こります。ましてや、治癒という多数の要因が重なる現象で、かつ理論を練るよりも先に実践していかなければいけない現場では、情報を軽視するという事態に陥ってしまっても仕方ないという側面もあるかもしれません。

 ただ、日本の学界が保守的というのは、何も医学に限った話ではないらしいので、それだけが要因という訳ではなさそうですが。自然界の同期現象を数学的に解明した「蔵本モデル」で世界的に有名な物理学者の蔵本由紀は、日本でそれを発表した時、全く注目されませんでした。この理論は、多方面の技術発達や研究に貢献し、ノーベル賞受賞に値すると高名な学者から評価されているくらいに素晴らしいものであったにも拘らず、です。埋もれそうだったこの方の理論を発掘したのは、海外のアート・ウィンフリという優秀な科学者でした。

 何かを評価するのには“見る目”も重要で、そして、日本の学界はその“見る目”がないのだという話もあります。が、これはそれだけの話ではないでしょう。日本の教育レベルや研究費を考えれば、もっと多くの斬新な理論が生み出されてもおかしくないのに、保守性や権威主義の所為で、新しい芽が詰まれている、という批判が日本にはあるのです。改善していかなくてはならない問題点でしょう。


 帰納的思考の重要性と難しさについて、もう少し付け加えておきましょう。

 もちろん、湿潤療法においても、これは同様です。実は僕の一番の懸念点はここです。

 治療効果を統計的に整理したものを発見できない(僕が見つけられなかっただけという可能性も充分にあります)。様々なデータを統計的に纏めると、今までには見えてこなかったものが見えてきたりと、とても重要なものなんです。ところが、それをしている形跡がない。

 ただこれを責めるのは酷でしょう。普通、研究というのは、それを専門にしている科学者が行います。ですが、湿潤療法を研究している夏井睦さんは、個人で医者です。医者としての仕事をこなしながら、研究を続けなければいけません。

 どんな基準でどう数値化して、どうデータとして纏めていくのか。これらを決めつつ、実際に作り上げなくちゃいけない。これは、かなりの重労働です。他の仕事をしながらで出来る事ではない。

 そしてだからこそ、医学会はこの“湿潤療法の効果”を早くに認めて、研究対象にするべきだとも思うのです。個人の労力ではどうしても不充分な点が出てきてしまうから。

 湿潤療法にも問題点や気をつけなくてはいけない点があるはずです。それらを体系的に纏めるのにも、それは役立つでしょうし、治療方法の更なる発展も期待できます。

 僕が湿潤療法を知って驚いた点にアトピー性皮膚炎にも効果があった事例があります(恐らく、人間の治癒能力を活かすからなのでしょうが)。夏井さん自身は専門ではないので、深く追求していませんでしたが、このメカニズムが解明されれば、助かる人が大勢出てくるはずです(もしかしたら、それにより他の病気の治療にも役立つかもしれない)。

 実は、僕も中学生の頃に、アトピー性皮膚炎になった事があります。その時、医者にステロイド剤を処方されたのですが、これをあまり使いませんでした。ベトベトしてて気持ちが悪かったからです(この態度は、駄目なんでしょうが)。放っておいたら、そのうちに治ったのですが、後でステロイド剤の副作用を知って青くなりました。なんと、一時的には効果があっても、アトピー性皮膚炎が逆に酷くなってしまうケースがあるのだとか。

 もし使い続けていたら、どんな状況に陥っていたか分かりません。そして、実際にこの副作用で苦しんでいる人は大勢いるのです(今はどうか知りませんが)。

 湿潤療法でも、アトピー性皮膚炎の治療が難しかったケースはあるそうなので、単純に火傷や傷の治療と同じ原理は適応できないと考えた方が良いのでしょう。とするのなら、本格的な研究の必要性が望まれるはずです(他にも、湿潤治療の原理では、及ばない点があると夏井さん自身の手によって書かれてありました)。


 医療費の話に戻りますが、この湿潤療法の採用によって、どれだけの削減が可能かは未知数です。ただし、プラスの効果がある点だけはほぼ確かだと考えて良さそうです。

 単純な医療費の節約だけでなく、治癒が速くなれば、それだけ患者が社会復帰する速度も上がります。それは、実質的に労働力が増える事を意味します。

 高齢化社会によって、労働力が不足していくと言われているこれからの時代、これがどれだけ有用な事なのかは分かるでしょう。

 もしも、これを読んでいるあなたが、火傷や傷、その他皮膚病で苦しんでいる人を見かけたら、この湿潤療法を教えてあげてください。

 その人はそれで助かるでしょうし、その成果がそのままこの治療方法を普及させる力になるはずです。そして、治療方法を普及させられたなら、医学会にこれを認めさせる事も可能になるのです。

 もちろん、日本でこの治療方法が普及すれば、海外にも普及していく可能性は多いにあります。すると、高いコストのかかる医療を受けられない避難民などの、海外の人達も多いに助かるはずです。

 湿潤治療には難しい技術が必要ありませんし、高い医療器具も必要ありません。サランラップやワセリンなどで誰でも実践可能なのです。

 酷い火傷を負ったにも拘らず、金がない所為で放置されているような患者が、世界にはたくさんいるんです。

医学会の反発については、参考にした本が2009年に出たものなので、今の現状は分かりません。

ネットで検索してみたら、「普及に賛成」という言葉が登場する記事があったのですが、会員制で続きは読めませんでした。

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[一言] 湿潤療法は、高齢者の褥瘡治療などでは十年以上前から行われています。傷口を豚革由来のシートで覆い、一日一回生理食塩水で洗い流すという感じです。まさか医学界では認められていないとは知りませんでし…
[良い点] 実体験と書籍を元にした興味深い話でした。 [一言] 案外切り傷ってなめっているだけでも治りますよね。いやそれとは違うかw 現在私は介護の勉強をしているのですが、その中の医療系の勉強で、皮…
[一言] 二回目の感想で失礼します。 遅れましたが、傷はぜったい消毒するな、拝読いたしました。 やはり、実際に読むとすごいですね。 前回は何も知らず、失礼な感想申し訳ありませんでした。 この本の中で…
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