第6話 仕組まれた暴走
「……ひどいでごわす」
岩鉄ゲンゾウは、スマートフォンの画面を見つめながら、巨体を小さく丸めていた。場所はダンジョン・スパの休憩所。本来なら湯上がりのフルーツ牛乳を楽しむ至福の時間だが、今の彼にその余裕はない。
画面に表示されているのは、SNSやニュースサイトのコメント欄だ。
岩鉄ゲンゾウ、エネルギー独占疑惑。リゾート運営の裏で魔石価格高騰。英雄失格? 私利私欲のために市民生活を犠牲に。今日から計画停電だってよ。ふざけんなスパ野郎。
「わしは……ただ、みんなに安らぎを提供したかっただけでごわすのに……」
ゲンゾウが涙目で呟く。彼のガラスのハートには、ネットの誹謗中傷はあまりにも劇薬だった。
「気にしなきゃいいじゃないですか。炎上なんて、寝てればそのうち消えますよ」
隣のマッサージチェアで、蓬カナタが気だるげに言った。彼はアイマスクをしたまま、全身をもみほぐされている。このスパの維持には彼の魔力が不可欠だが、逆に言えば、ここにいる限り彼は魔力過多による頭痛から解放されている。メンタルの強さは、間違いなくSランク級だ。
「しかし、実際に地上の電力が不足しているのは事実のようでごわす。わしたちの行動は、間違っていたのでごわそうか……」
ゲンゾウの真面目な性格が、罪悪感を刺激する。そこへ、湯上がりの聖女アリスがやってきた。彼女はコーヒー牛乳を片手に、毅然と言い放った。
「迷うことはありません、ゲンゾウ。これは試練です」
「試練……でごわすか?」
「ええ。俗世の愚民たちは、目の前の利便性にしか目が行かないのです。御使い様が作り出したこの楽園の真価を理解できないだけ。……ほら、御使い様も愚かな……と嘆いておられます」
(マッサージが強すぎて痛って言っただけなんだけど)
カナタは心の中で訂正したが、口には出さなかった。面倒だからだ。
「……呑気なものね」
ナビの声が割り込む。いつもより少し、ノイズ混じりの緊迫した声色だ。
「カナタ、起きて。状況が動いたわ。……毒島の仕業よ」
「あいつ、また来たのか?」
「いいえ、今回は遠隔攻撃よ。ダンジョンの管理システムに、外部からハッキングが仕掛けられてる。それも、かなり大規模な」
カナタがアイマスクを外した瞬間、リゾート内の照明が瞬いた。穏やかなヒーリング・ミュージックが一瞬途切れ、不協和音のようなノイズが走る。
同時刻。地上、資源管理局本部。薄暗い作戦室で、毒島は腕を組んでモニターを見下ろしていた。周囲には、彼が雇い入れた非正規のハッカー集団がキーボードを叩いている。
「進捗はどうだ?」
「セキュリティ・ウォール突破。制御権、80%掌握しました」
リーダー格のハッカーが淡々と報告する。
「九条シオリとあのAIが組んだプロテクトは強固ですが、所詮は守るためのプログラム。こちらのように壊すだけなら容易い」
「結構だ」
毒島は冷ややかに笑った。
「目的は分かっているな? ダンジョン・コアの敵対識別信号を強制的にONに戻せ。そして、リミッターを解除してモンスターを活性化させるんだ」
「局長、確認ですが」
ハッカーが手を止めずに尋ねる。
「リミッター解除を行えば、地下20階層にいる人間――つまり岩鉄ゲンゾウたちや、従業員として働いているアリス一行は、暴走したモンスターに襲われます。生存率はゼロに近いですが」
「構わんよ」
毒島は表情一つ変えずに言った。
「彼らは事故に巻き込まれるのだ。リゾート化などという無謀な実験を行った結果、システムが暴走した……そういうシナリオだ」
「地下の施設も全壊しますが」
「壊れて結構。むしろ、あのふざけた風呂場など邪魔なだけだ。更地に戻れば、また効率的に魔石が採掘できる」
毒島にとって、人命も倫理も、天秤の片側にすら乗らない。重いのはエネルギー確保という国益と、そこから生まれる自身の権益だけだ。彼らは狂っているわけではない。「10人の犠牲で100万人の電力が賄えるなら、それは正義である」と本気で信じている、冷徹な合理主義者なのだ。
「それに、多少の揺れが地上に伝わるかもしれんが……まあ、新宿の一部で地盤沈下が起きる程度だろう。都市開発の予算がつくだけだ」
「了解しました。……では、実行」
ハッカーがキーを叩いた。その指先一つで、地獄への扉が開かれた。
地下20階層。異変は唐突に訪れた。
「警告。警告。システム・オーバーライド。管理権限が剥奪されました」
無機質な館内アナウンスが響く。照明が暖色系の柔らかい光から、警戒色の赤へと切り替わる。
「な、何事でごわすか!?」
ゲンゾウが立ち上がる。目の前で、背中を流してくれていたスケルトンの動きが止まった。その眼窩に灯っていた青い光が消え、禍々しい深紅の光が点灯する。
「スケルトン殿……?」
「キシャァァァァッ!!」
スケルトンが咆哮し、手ぬぐいを投げ捨てて、近くにあったデッキブラシを槍のように構えた。それだけではない。マッサージをしていたゴーレム、ドリンクを運んでいたスライム、案内係のゴースト。数百体のご当地モンスターたちが、一斉に殺戮モードへと反転したのだ。
「ひぃっ!? み、みんな、どうしたのでごわすか! わしら、仲間ではなかったのか!?」
ゲンゾウが後ずさる。スライムが高熱の酸を吐き出し、ゲンゾウの足元のタイルを溶かす。
「毒島のハッキングが完了したのよ」
ナビが焦ったように叫ぶ。
「コアの命令コードが書き換えられた! 今の彼らに従業員としての記憶はない。ただの侵入者排除プログラムに戻ったわ!」
「そんな……嘘でごわす! ポチ! ポチはどうした!」
ゲンゾウが視線を巡らせる。大浴場の中央で、巨大な骨ドラゴン――ポチが身を震わせていた。その瞳の色が、明滅している。青と赤。理性と本能がせめぎ合っているようだ。
「グゥ、ルル……ガアアアアっ!!」
だが、毒島の送信した強制信号は強力すぎた。ポチの瞳が完全に赤く染まる。次の瞬間、ポチは巨大な顎を開き、ゲンゾウたちに向けて火炎ブレスを吐き出した。
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
ゲンゾウがカナタを小脇に抱えてダイブする。間一髪、熱波が頭上を通過し、脱衣所のロッカーを溶解させた。
「か、カナタ殿! どうにかできないのでごわすか!?」
「……ナビ、ハッキングし返せ!」
カナタが叫ぶが、ナビは苦渋の声を返す。
「無理よ! 向こうは数百人のプロを動員して論理の壁を作ってる。こっちは私一人(とあんたの魔力)。押し負けるわ!」
ズズズズズ……!! 地面が激しく揺れ始めた。天井からパラパラと瓦礫が落ちてくる。
「それに、まずいことが起きたわ」
「なんだ!?」
「毒島の奴ら、計算をミスったわね。……あんたがこのリゾート化のために注ぎ込んだ魔力量を甘く見てた」
毒島は、システムを初期化すれば元に戻ると考えていた。だが、現在のダンジョンは、カナタの規格外の魔力によって無理やりリゾートというありえない形態に固定されていたのだ。その状態で強制的に初期化をかけた結果、システム内部で致命的なエラー(競合)が発生した。
「どういうことだ?」
「制御不能の熱暴走よ。コアが処理落ちして、内部エネルギーが逆流してる」
ダンジョンの中心にあるコアが、不気味に膨張を始めていた。もはやモンスターを操るどころの話ではない。
「予測被害が出たわ。……15分後、この階層を中心とした大規模な崩落が起きる」
「崩落……?」
「爆発じゃない。空間を支えきれなくなって、内側に潰れるのよ。地下20階層が完全に圧壊。その余波で、地上の新宿御苑一帯に直径2キロメートルの巨大なシンクホール(陥没穴)が開くわ」
「……あいつ、新宿の一部で済むと思ってやがったな」
カナタは毒島の考えを読み取った。毒島にとって、地下にいる自分たちが圧死するのは計画通り。地上に穴が開くのも想定内の被害。だが、カナタにとっては違う。
「俺の寝床を潰されて……その上、俺のアパートまで穴に落ちるってのか……?」
許せない。自分の安眠を妨害する奴は敵だが、自分の帰る場所を物理的に消そうとする奴は、もはや害悪だ。
「ゲンゾウさん」
カナタは、怯えて震えている巨漢の肩を叩いた。
「……へ?」
「帰り道が塞がれた。このままだと俺たちは生き埋めだ」
「い、生き埋め……嫌でごわす! 暗いのも狭いのも怖いのでごわす!」
「だろ? だから、止めに行くぞ」
カナタは暴走するコアの方角を指差した。そこは、正気を失ったモンスターたちがひしめく地獄の中心地だ。
「あそこに行って、直接システムを叩き直す。毒島の遠隔操作を、現地から物理的に遮断するんだ」
「む、無理でごわす! あんな数のモンスター、勝てるわけがない!」
「勝たなくていい。……突っ切るんだ」
カナタはゲンゾウの背後に回り、その広い背中に手を当てた。
「安心しろ。あんたは硬い。絶対に壊れない。俺の魔力を全部使って、あんたを無敵にする」
ドクン。カナタの手から、温かく、そして力強いエネルギーが流れ込んでくる。それは恐怖で凍りついたゲンゾウの心を溶かし、強制的に勇気を注入する劇薬だ。
「……本当に、壊れないでごわすか?」
「ああ。俺が保証する。あんたは世界一の盾だ」
ゲンゾウは、涙を拭った。彼の足元で、怯えていたアリスが立ち上がる。
「私も行きます! 聖なる加護で、道をお作りします! この楽園を汚す悪魔に、神の鉄槌を下しましょう!」
「時間は15分。……急ぎなさい!」
ナビの号令と共に、カナタはゲンゾウの背中に飛び乗った。おんぶの体勢。これが、二人の合体フォームだ。
「行くぞ、相棒! 泥んこ遊びの時間だ!」
「ひぃぃぃっ! やけくそでごわす! どけどけぇぇぇぇっ!!」
ゲンゾウが地面を蹴った。その巨体が、暴走したモンスターの群れに向かって砲弾のように突っ込んでいく。冷徹な計算で動く毒島と、生存本能で動くFランクたち。勝負の行方は、物理と論理が交錯する最深部へと委ねられた。
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