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万年寝不足のFランク、あくびで最強バレしそうなので、ビビりの筋肉おっさんを『伝説の英雄』に仕立て上げて隠居します  作者: 九条 綾乃


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第3話 英雄ゲンゾウ爆誕

「……それで? この異常数値について、何か合理的な説明はありますか?」


 冷徹な声が、重厚な執務室の空気を凍りつかせた。新宿御苑ダンジョン探索者ギルド、支部長室。革張りのソファーに深く沈み込みながら、蓬カナタは居心地の悪さに胃をさすった。

 目の前には、黒いスーツを隙なく着こなした美女が座っている。長い黒髪を後ろで束ね、リムレスの眼鏡の奥から、まるで解剖医のような鋭い視線を投げかけてくる女性。この支部の最高責任者、九条シオリだ。


「えっと……説明も何も、機材の故障じゃないですかね?」


 カナタは視線を逸らしながら、精一杯の愛想笑いを浮かべてしらばっくれた。テーブルの上には、数枚の写真とデータシートが並べられている。

 一枚は、あくびで消滅したミノタウロスのクレーター跡。もう一枚は、先日アイアン・センチピードを粉砕した際の、壁に空いた大穴。そして、当時の周辺魔力濃度を記録したグラフ。

 そのグラフは、赤い折れ線が天井を突き破り、測定不能領域へと垂直に伸びていた。


「故障、ですか。当支部の測定器は、昨日最新鋭のものに入れ替えたばかりですが」


 シオリは眼鏡の位置を中指で押し上げながら、淡々と言葉を紡ぐ。その声には、一切の感情が乗っていないがゆえの底知れない圧力が満ちていた。


「蓬カナタさん。あなたの登録データを確認しました。魔力値2。Fランク。活動歴3年。主な実績は浅層でのゴミ拾いと薬草採取。……そんな人間が、なぜBランク指定の災害個体をあくびで消し飛ばせるのですか?」


「いや、だから……」


「さらに昨日。資材置き場にて、中層クラスのアイアン・センチピードが一撃で粉砕されました。現場にいたのは、あなたと……そちらの彼だけ」


 シオリの視線が、カナタの隣で縮こまっている巨漢に向けられた。岩鉄ゲンゾウ。身長2メートル超、筋肉の要塞のような男は、今は借りてきた猫のように小さくなっていた。

 見た目は、鬼神の如き強面。しかしその実態は、ただ体が頑丈なだけの小心者だ。偉い人の前に出されるだけで、心拍数が危険域に達してしまう。


「ひぃっ……わ、わしは……ただの荷物持ちでごわす……。通りがかりの善良な市民で……」


 ゲンゾウが震える声で弁明する。冷や汗が滝のように流れ、強靭な筋肉が小刻みに痙攣していた。彼にとって、この状況はダンジョンのモンスターと対峙するより遥かに恐ろしい。

 自分の無力さがバレてしまうのではないか。見掛け倒しのデクの坊だと罵られるのではないか。そんなトラウマが、彼の喉を締め付ける。


「……岩鉄ゲンゾウさん。あなたのデータも見ました」


 シオリは手元のタブレットに目を落ぐる。


「Fランクの荷物持ち(ポーター)。身体耐久値だけは測定不能ですが、攻撃力、魔力値ともに最低ランク。……奇妙なバランスですね」


「そ、それは……生まれつき体が硬いだけで……」


「ですが、昨日のセンチピードの死体。あれは物理的な打撃によって粉砕されていました。それも、戦車砲の直撃を受けたかのような威力で」


 シオリの目が細められる。


「蓬カナタさんの魔力バグ。岩鉄ゲンゾウさんの異常な耐久値と、矛盾する破壊力。……あなたたち、一体何者なのですか? 正直に話していただけない場合、未登録の危険因子として拘束し、詳細な検査を受けていただくことになります」


「け、検査……!?」


「ええ。脳のMRIから魔力回路の生検まで、一週間は拘束されますよ。解剖まではしませんが、痛くないとは保証できません」


 ゲンゾウの顔色が土気色に変わった。注射一本で泣き叫ぶほどの痛がりな彼にとって、それは死の宣告に等しい。カナタもまた、冷や汗を流していた。

 一週間も拘束されたら、安眠どころではない。ストレスで魔力制御(蓋)が外れ、研究所ごと吹き飛ばしてしまう可能性が高い。

(どうする……? バレるか? いや、正直に言っても信じてもらえないし、信じられたらモルモット行きだ……!)

 詰んだ。そう思った瞬間だった。カナタのポケットに入っていたスマートフォンが、勝手に起動した。


「――そこまでよ、支部長さん」


 スピーカーから、合成音声ではない、流暢な女性の声が響く。シオリが眉をひそめた。


「……誰です?」


「私は彼らのマネジメントを担当しているAI、ナビよ」


 スマホの画面が明滅し、テーブルの上の大型モニターに強制接続される。画面に映し出されたのは、複雑なグラフと、ゲンゾウの顔写真付きの経歴書(偽造済み)だった。


「単刀直入に言うわ。あんたの目は節穴ね。見るべき相手を間違えてる」


「どういう意味ですか?」


「隣のヒョロガリ――カナタを見てみなさいよ。魔力値2、万年寝不足、やる気なし。こいつがミノタウロスを倒せるように見える?」


 シオリは改めてカナタを見た。目の下には濃い隈、猫背で、今にも寝そうな顔。どう見ても英雄の器ではない。覇気のかけらもなく、ただただ帰って布団に入りたいというオーラしか発していない。


「……確かに、外見からは未知の力を感じませんが」


「でしょ? こいつはただの「お飾り」。あるいは「介護役」よ。真の化け物は――そっちのデカブツよ」


 ナビの声が高らかに宣言する。スポットライトのような演出効果が、モニター上のゲンゾウの顔写真に集まる。そこには、英語で書かれた物々しい経歴が羅列されていた。


「彼の名は岩鉄ゲンゾウ。かつて海外の紛争地帯や深層ダンジョンを渡り歩いた、伝説の傭兵。歩く要塞ウォーキング・フォートレス、沈黙の破壊神と恐れられた、元Sランク相当の実力者よ」


「はぇ!?」


 ゲンゾウが素っ頓狂な声を上げた。目玉が飛び出んばかりに見開かれている。

(な、何を言っているでごわすかこのスマホは!? わしはただの田舎出身の力持ちで、海外なんて行ったこともないでごわすよ!?)

 ゲンゾウが否定しようと口を開きかける。だが、机の下でカナタが彼の太ももを強烈につねった。


「(痛っ!?)」


「(合わせてくださいゲンゾウさん! このままだと人体実験ですよ!)」


 カナタが小声で囁く。人体実験というワードに、ゲンゾウがビクリと震える。


「彼はある事情で引退し、今は力を隠して隠居生活を送っていたの。でも、昨日の暴走事故で、とっさに力を解放してしまった。……カナタは、彼の力が暴走しないように制御する安全装置リミッターの管理役ってところね」


 ナビの嘘は精巧かつ大胆だった。瞬時にネット上のデータベースを改ざんし、海外の怪しげなサイトに「GENZO」の伝説を捏造して流し込んでいるのだ。シオリは手元の端末を操作し、裏取りを始めたようだが、表情が次第に驚愕へと変わっていく。


「……北米の惨劇の生存者……アマゾンの守護神……? これが、彼の経歴……?」


 全部、今ナビが作った嘘である。だが、シオリのような真面目な人間ほど、データとして提示された情報を無視できない。それに、ゲンゾウのあの異常なまでの耐久力についての辻褄が合う。Sランク相当の肉体強度がなければ、昨日のような芸当は不可能だからだ。


「岩鉄さん……でしたか。あなたが、それほどの実力者だと?」


 シオリの視線が変わった。不審者を見る目から、猛獣を見る目へ。畏怖と、そして強い興味を含んだ眼差し。それは、ゲンゾウが長年夢見ていた強者に向けられる視線そのものだった。

(あ……)

 ゲンゾウの心臓が高鳴る。いつもなら「おいデクの坊」「邪魔だどけ」と言われる自分が、今は伝説の傭兵として見られている。

 怖い。バレたら終わりだ。だが、それ以上に――心地よかった。


「……い、如何にも」


 ゲンゾウは、震える声を必死に抑えて、低い声を出した。それは恐怖による震えだったが、シオリには底知れぬ実力を隠す重低音に聞こえたようだ。


「わしは……静かに暮らしたいだけでごわす。力を行使するのは……好まぬ」


 これは本心だ。力がないから戦えないし、痛いのは嫌だから。だが、その言葉はシオリの中で勝手に翻訳された。なるほど。過去に修羅場をくぐりすぎた反動で、戦いを避けている……いわゆる「不殺の誓い」を立てた英雄……!

 シオリの瞳に、計算高い光が宿る。ギルドとしては、新宿御苑のような重要拠点に、強力な守護者が欲しい。公式なSランク探索者は多忙で、なかなか常駐してくれないのが悩みだった。

 そこに現れた、フリーの(元)Sランク実力者。これは利用できる。


「……話は分かりました。しかし、データだけでは信じられませんね」


 シオリは立ち上がり、懐から一枚のコインを取り出した。500円硬貨だ。


「実力を見せていただきましょう。私がこのコインを指で弾きます。全力で防御してください」


「は?」


「私が使うのは弾丸バレットのスキルです。ライフル弾程度の威力はありますよ」


 シオリの手指に、青白い魔力が収束する。彼女もまた、支部長を務めるだけあって元Aランクの実力者なのだ。

 ゲンゾウが真っ青になる。ライフル弾など食らったら、いくら体が頑丈でも無傷では済まない。痛いのは絶対に嫌だ。


「ちょ、待っ――」


「行きます!」


 問答無用。シオリの指先から、音速を超えたコインが射出された。ヒュンッ! という風切り音と共に、銀色の閃光がゲンゾウの眉間へ迫る。

(ひぃぃぃっ!! 死ぬぅぅぅっ!!)

 ゲンゾウは恐怖のあまり、目を閉じて叫ぼうとした。体はすくんで動かない。

 だが、その瞬間。ドンッ。背後から、カナタの手がゲンゾウの背中に添えられた。


「コネクト。燃料マナ充填率120%。強制駆動」


 ナビの電子音声は、誰にも聞こえない速度で処理された。カナタの体内で渦巻く核融合炉クラスの魔力が、瞬時にゲンゾウの肉体へと流し込まれる。

 ドクンッ!! ゲンゾウの心臓が早鐘を打つ。だがそれは恐怖の動悸ではない。全身の血管を駆け巡る、圧倒的なエネルギーの奔流だった。

(な……んだ、これ……?)

 ゲンゾウは目を見開いた。迫りくる銀色の閃光が、まるで止まっているかのように遅く見える。体が軽い。指先ひとつにまで、無限の力が満ち溢れている感覚。

 怖いという感情が吹き飛び、「できる」という確信だけが脳を支配する。

(見える……取れる!)

 ゲンゾウの右手が、思考よりも速く動いた。無駄な力みはない。カナタから送られてくる純度100%の魔力が、ナビの制御によって最適な身体操作へと変換される。

 岩のような手が、残像を残して空を切った。

 パシッ。

 乾いた音が一つ。静寂。ゲンゾウの指先には、変形することなく、傷一つつかないままの500円硬貨が摘まれていた。


「…………は?」


 シオリの声が裏返った。全力の『弾丸』を、指先で摘んで止めた? しかも、魔法障壁も展開せず、純粋な肉体操作だけで? それは、Sランク探索者の中でも上位の身体強化能力者でなければ不可能な芸当だ。


「こ、これは……」


 ゲンゾウ自身が一番驚いていた。彼は自分の指先にあるコインを見つめ、そして自分の拳を握りしめた。

(すごい……これが、力……!)

 いつも憧れていた、漫画の中のヒーローのような動き。それが今、自分の体で実現できた。カナタの手が背中にある限り、自分は無敵なのだ。


「……失礼しました」


 シオリは深く頭を下げた。その顔には、完全な敬意と、隠しきれない興奮が浮かんでいた。


「疑って申し訳ありません。岩鉄ゲンゾウ様。あなたの実力、本物ですね」


「……う、うむ」


 ゲンゾウは、震えを止めて胸を張った。今なら言える。この状況なら、堂々と言える。


「わしの筋肉は……鉄壁でごわす」


 ナビに言われた台詞ではなく、心の底から湧き上がった言葉だった。


「では、取引をしましょう」


 シオリは席に戻り、新たな書類を取り出した。


「今回の騒動、および過去の器物破損については、ギルド側ですべて揉み消します。修理費も請求しません」


「本当でごわすか!?」


 ゲンゾウが食いついた。彼にとって修理費は死活問題だ。


「その代わり、あなたにはギルド公認の特務探索者として活動していただきます。対外的にはSランク相当の英雄として振る舞ってください。ギルドの顔として、広告塔になってもらいます」


「え、えいゆう……?」


「蓬カナタさんは、そのマネージャー兼サポーターということで登録を変更しておきます。これなら、あなた方の素性を隠しつつ、当支部としても戦力を確保できる。……悪い話ではないはずです」


 カナタとナビは、心の中でガッツポーズをした。完璧だ。目立つ役割は全てゲンゾウに押し付け、カナタは「付き人」として影に隠れることができる。


「……どうします、ゲンゾウさん?」


 カナタが小声で問いかける。ゲンゾウは、自分の掌を見つめていた。まだ、あの全能感の余韻が残っている。もしこの契約を受ければ、危険な任務につくことになるだろう。

 だが。

(カナタ殿といれば……わしは、本当の英雄になれる)

 一生、見掛け倒しのデクの坊として生きるか。それとも、借り物の力であっても、夢見た英雄として輝くか。

 答えは決まっていた。


「……受けるでごわす」


 ゲンゾウはニヤリと笑った。


「その話、乗った。ただし、カナタ殿をわしの相棒バディとして常に同行させること。彼がいなければ、わしは……その、調子が出ぬゆえ」


「ええ、構いませんとも」


 シオリは満足げに頷き、握手を求めた。こうして、虚構の英雄「岩鉄ゲンゾウ」が誕生した。

 ギルドを出た後、三人は並木道を歩いていた。ゲンゾウは、どこか高揚した様子でスキップ交じりに歩いている。巨体が揺れるたびに地面が少し揺れる。


「やりましたな、カナタ殿! わし、コインを止めましたぞ! まるで達人のようでしたぞ!」


「すごかったですよ、ゲンゾウさん。完璧な演技でした」


 カナタは気だるげにあくびをしながらも、安堵していた。魔力を大量にゲンゾウに流したおかげで、体は羽のように軽い。今日は帰ってぐっすり眠れそうだ。


「調子に乗るんじゃないわよ、二人とも」


 ナビが画面の中で腕組みをする。


「これは始まりに過ぎないわ。シオリって女、相当な食わせ物よ。タダで借金を消してくれるわけがない」


 その予言通り、カナタのスマホに新たな通知が届いた。ギルドからの緊急依頼だ。

 指名依頼:特務探索者・岩鉄ゲンゾウチーム。新宿御苑ダンジョン最深部にて異常反応あり。直ちに現地へ向かい、原因を究明せよ。


「……最深部?」


 カナタは足を止めた。最深部。そこはダンジョンのコアが存在する場所であり、未知の領域だ。


「おいおい、いきなりボス戦かよ……」


「ま、任せるでごわす!」


 ゲンゾウが拳を鳴らす。


「今のわしらなら、ドラゴンだろうが何だろうが、ワンパンでごわす!」


「元気だなぁ……。俺はもう帰って寝たいのに」


 文句を言いながらも、カナタはゲンゾウの背中を追った。彼の中で、少しだけ意識が変わり始めていた。自分の厄介な体質が、誰かの夢を叶える役に立つ。

 それは、今まで感じたことのない悪くない気分だった。


「行きますよ、英雄さん」


「おうよ、相棒!」


 最強の勘違いコンビ、いよいよダンジョン最深部へ。そこで待ち受けるのは、この国のエネルギー問題を揺るがす重大な秘密だった。

お読みいただきありがとうございました。

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