記憶
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今日も私は、共同住宅の窓から、ぼんやりと空を見上げる。深く濃い灰色の空を。
子供のころ、一度だけ青い空を見たことがある。雲の切れ目から覗いた、青い空。
「なんて綺麗……」と母は喜んでいたが、私には理解できなかった。あの青さが、私には不気味に感じたからだ。空は灰色が当たり前。青い空なんて気持ち悪い。そう思った。
「母さん、お腹がすいたよ」
「ぼくもお腹がペコペコだよ」
子供たちの声で、ふと我に返る。二人の子供はいつも腹を空かせている。もちろん、私も。政府からの配給食はいつも必要最低限。親子3人が生きていけるギリギリしか届かない。
「どうしてこんなことに……」と思うが、仕方がない。だって、これは私自身が選んだ結果なのだから。
資本主義が極限に達した結果、この国では貧富の差があまりにも大きくなりすぎた。下層階級に生まれた者は、低賃金で働く労働者として一生を終える。働いても働いても、決して抜け出せない貧困。夢も希望もない人生。
でも、女性にはもうひとつの選択肢が与えられる。二人の子供を育てるのであれば、労役が免除されるのだ。プラスチック鉱山に送られることも、海底サルベージに駆り出されることもない。
働くのが嫌だった私は、政府による人工授精を受けて二人の子の母親になった。そしてここ、共同住宅の一室と配給食を得られるようになったのだ。
この空虚な生活は、私自身が選んだ結果。だから、誰のせいでもない。
「労役よりはマシなんだから、仕方ないわよね……」
灰色の空を見上げて小さくそう呟くと、子供たちの食事を用意した。
「はい、これはお昼の栄養ブロック。ちゃんと噛んで食べるのよ」
「やった、母さんありがとう」
「母さん、ありがとう」
子供たちは無邪気だ。こんな味気の無い栄養ブロックを喜んで食べる。無味無臭で、冷えた粘土のような食事。この子たちは1日3食、ただこれだけを食べ続けている。
「成長に必要な栄養はすべて含まれています」と政府はいう。その言葉に嘘はないだろう。事実、こうして2人の子は元気に育っているのだから。
でも、これは本物の食事ではない。私にはわかる。遠い昔、私の母は、年に数回ではあったけど、本物の食事を作ってくれた。肉と野菜が煮込まれたスープ。熱々でとろとろのスープ。あれは本当においしかった。
この子たちに対して格別の愛情はない。ただ労役から逃れたいためだけに産んだ2人の子供。ただ、そんな私でもときどき母性のようなものを感じるときはある。
たまには本物の食事を与えたい。そう思ったのだ。
私はなけなしのクレジットをかき集めて、放棄地域の地下に向かった。ここには闇市があり、クレジットさえあれば欲しいものが手に入る。
怪しげなバイヤーたちと交渉して、わずかばかりの冷凍肉と乾燥野菜を手に入れることができた。
母のレシピはわからない。なんとなく「肉と野菜を煮込んだだけ」。そんな朧げな記憶をたどって、私はスープを作り始めた。調味料は合成塩しかないけど、たぶん母も塩しか使っていなかったはずだ。
思っていた以上に料理は楽しかった。忘れていた鼻歌を歌いながら、私は鍋をかき混ぜた。子供のために料理を作ることがこんなにワクワクするだなんて、いまのいままで知らなかった。あのときの母も、こんな気分だったのだろうか。
そして2時間後、熱々でとろけるようなスープが出来上がった。
「さあ、二人とも、今日はごちそうよ。昔、お母さんのお母さんが作ってくれた、とってもおいしいスープ!」
しかし、子供たちの表情は冴えない。
「すーぷ、ってなに?」
「なんか、変なにおいがする……」
「これは、肉と野菜を煮込んだものなの。熱々でとってもおいしいのよ」
「やだよ。そんな変なもの、食べたくない!」
「ぼくもやだ。気持ち悪いよ」
「そんなことないでしょ。昔はみんな、これが大好きだったのよ」
「そんなの嘘だよ。先生は、ブロックが一番体にいい、っていってたよ」
「うん。人間は昔からブロックを食べてた、っていってたよ」
「違うの。みんな昔はこういうご飯を食べてたの、本当よ」
「やだよ、食べたくない。ブロックちょうだい!」
「ぼくもブロックが食べたい。ブロック大好き!」
ようやく私は理解した。
この子たちにとって、栄養ブロックこそが「本物の食事」なのだ。
このスープは、昔私が見た「青い空」。
不気味で気持ち悪い空でしかない、ということを。
すっかり冷えたスープを一口すする。
おいしい。楽し気に料理する、母の顔を思い出す。
しかしもう、母の味は消えた。
あの子たちは、将来、どんなときに私の顔を思い出してくれるのだろう。
そしてまた私は、ぼんやりと空を見上げた。深く濃い灰色の空を。




