第四話 黒魔術
街を取り囲む石壁は、魔物が入りこまないようにされている。王国騎士と聖堂騎士が手を取り合って結界が発動しているのだ。
表向きは。
本当の狙いは手を取り合っての部分が大きい。両者の騎士団は、仲良く国の治安を守っていますというポーズを取っているだけである。
民からしてみれば、結局のところ護ってくれている。だから、見て見ぬふりをして直視しないようにしている者が多い。
人は己が巻き込まれなければ、基本的に無関心な生き物だ。それが裏でどんな策謀が渦巻こうが知ったことではない。
門番と少しやり取りして、街を出た馬車は目的地へと向かう。
馬車の中ではリィーンとハナビが並んで座る。向かい側進行方向に背を向ける形で、イローネが座っていた。
「改めて自己紹介しよう」
そう口火を切ったのは、イローネのほうだ。
「私はイローネ・デュアル・ヴルム。外で先導してるのが、セドリック・デュアルだ」
ヴルムという苗字は聞いたことがある。教会派の貴族で、敬虔な女神レヴィの信徒一家。王党派とは真っ向から対立している貴族の一つだ。今の聖堂騎士の団長も、ヴルム家関連の者がついていたはずだ。
「私はロゼリアです」
「わ、私はハナビなのです」
簡素的な挨拶を済ませると、頭を下げた。それでと続きを促すと、イローネは口を開く。
「今から行くところは『神祇の塔』だ」
この街に住む人間なら誰もが知っている初級迷宮の名前だ。
カッパーランクへの昇格試験に用いられる。この塔を登り切ることが、冒険者になった者が最初に目指す目標である。
「そんなところに何の用で?」
「神祇の塔に地下空間があるのは知っているか?」
「教会管轄で立ち入り禁止にしてる区間ですよね?」
興味をそそられた冒険者が足を踏み入れ、何人も帰ってこなくなった。ゴールドランクですら帰ってこなくなった頃、冒険者たちは誰も勝手に入ろうとしなくなった。
化け物がいる。お宝がある。教会が何か良からぬことをしている。色々な噂はあるが、街の人たちの間では触らないことが最善だということになっている。
「我々は今からそこに行く」
「え、えぇ!?」
イローネの言葉に素っ頓狂な声を上げたのはハナビだった。
「わ、私は何もできないのですよ!? そんな危険なところに行って、騎士様の足を引っ張ってしまうのです」
「落ち着け、そんなことはわかっている」
ワタワタするハナビを宥めるが、彼女は混乱しっぱなしだ。
「まぁ、普段なら市民を巻き込んだりしないのだが、こちらもそうはしてられない事情があるもんでな……」
まだ整理の追いついていないハナビの代わりに、リィーンが答える。
「彼女が狐族だからですか」
「そういうところだ」
外の景色は穏やかな平野が続いている。隣との国境から遠く作られた首都は、比較的安全な場所に作られている。
ふと見れば、駆け出しと思える冒険者か兵士と思える人間が、ウサギの魔物を追い回していた。
「すまんが一つ、魔法をかけさせてもらう」
イローネがそう言って唱えた呪文は黒魔術の口封じだった。特定の情報を何らかの方法で伝えようとすると、少しの間伝えようとしたことを忘れてしまうというものである。
つまるところ、これから話す内容に関しては口外されては困るということ。
「元々神祇の塔というのは、迷宮の上に建てられたものだ」
要約すると、迷宮の力を削ぎ落とすために祭壇の役目として建てられたものらしい。
その昔、巨大な魔物が溢れ返った迷宮だった。ミスリル冒険者や騎士団長の力を持って踏破した。しかし、十数年という短い周期で再び魔物たちは溢れてしまう。
見かねた教会が永続的に力を注ぎこむことで解決した。その端末になっているのが、神祇の塔ということになる。
「なるほど、ブロンズランクの昇格試験として定期的に冒険者を送り込んでいるのは」
「どうしても溢れてしまう弱い魔物を討伐したり、踏破の証として定期的に魔力を補充してもらうためだ」
だからこの街には教会も国力も冒険者も何もかもが集まってくる。
人々は昔のことは忘れ、ただ平和な街として暮らしている。
もちろん教会はいまだに解決しようと模索している。定期的に騎士を送り込んでは、迷宮の力を弱めようと尽力していた。
そして、そのつい昨日見つかったのが、狐族の紋章だったわけだ。
「ハナビが必要な理由は分かりました。ですが、私が必要な理由は何ですか?」
正直なところ、今ひとつ関係ないで済む話である。
「一つはお前のことを見極めるため。この国に有害か無害か」
有害と判断したなら始末する。言外にそう言っている。
「もう一つは、お前の持っている加護が今から行くところと性質が似ていること」
「どのように?」
「それは分からん。女神レヴィ以外の何かだと答えるしかない」
聖騎士がそう言い切るということは、本当にそうなんだろう。
この世界はレヴィ以外にも女神はいるが、実際に精力的に動いたのはレヴィだけ。それが今となって介入してきた? 何故?
少し考えてみたが、わからないに帰結した。そもそもリィーンには関係ないのだから、深く考えたところで無駄である。
要件が終わると、少し気まずい空気が流れる。ハナビは萎縮してしまっているし、イローネも無駄口を叩く気はないようだ。
そんな空気を破るように、馬車は停車した。御者がドアを開けると、イローネに続いて外へと出た。
森の中、開けた広場に立っているのは古めかしい塔。所々にヒビ割れや苔むしているところは雰囲気があるというものだろう。
広場にいた冒険者の一人が、塔から飛んできた小型のコウモリみたいな魔物を切った。
若い冒険者たちは歓声を上げ、拍手をしたりとわき上がってある。
ランクアップ試験に使われている塔というだけあって、駆出しのやる気に満ちた者が多い印象である。ここからさらなる困難を得て成長するのか、落ちぶれるのかはその人次第であろう。
「イローネ様! セドリック様!」
神祇の塔から声が聞こえた。教会の僧兵のものだ。彼は必死の形相でこちらへと走ってくる。
「一体どうしたんだい? そんなに慌てて」
応答したのはセドリックのほうだった。前に出て、僧兵へと近寄っていく。
僧兵は膝に手を置いて、呼吸を整える。顔には汗をかき、肩で息をしている。何かがあったなんて明白であった。
「魔物が! 止まりません!」
直後、爆音が起きた。周囲の冒険者から悲鳴が漏れる。神祇の塔入口を破壊し出てきたのは、巨大なフォックスベアーだった。
体長五メートル以上の狐の耳と尻尾を持った熊。大きな肉体から振り下ろされる手は、人を簡単に潰してしまう。獰猛な牙は、頭蓋を噛み砕く。
唐突のことに冒険者たちの悲鳴が伝播する。それもそのはず、普段はゴールドランクの冒険者が相手をする魔物だからだ。
「クソ! セドリックは、相手を頼む! 私は冒険者たちに避難と説明をする!」
「ヤレヤレ、到着して早々思いやられるなぁ」
ため息をつき、セドリックは剣を抜いた。
イローネは冒険者たちのもとへ。ハナビはリィーンの後ろに隠れる。
リィーンはフォックスベアーを見つめる。
魔物から放たれるのは黒いマナ。従属と混乱、精神錯乱に凶暴化と幾重にも重ねられた黒魔術。
なるほど、己が呼ばれた理由はおおよそ理解した。そして、理解した上で敢えて口を閉ざす。
魔物にかけられた幾重の黒魔術は、何故かすべて把握できる。その中で一番危険なものだって、瞬時に見分けることができた。
自壊。
フォックスベアーには、その黒魔術がかかっていた。一定の条件が揃えば、体が壊れてしまうものだ。
自壊と言っても様々なものがある。例えば、塵芥となって消える。粉砕する。そんなものが代表的だろうか。
しかし、魔物にかかっているのはその類いではない。
“生命が尽きたとき、身体は爆発し果てる”
自壊にその命令が付け加えられている。
そんなものがついているなぞ、初見で見抜くのは無理だろう。
「悪いが、僕は強いよ」
格好つけたセドリックが剣を振った。大きな身体は縦に割れ、断面には臓物が見える。
一息吐くと、そのまま粉切れに斬る。
ゴールドランクの魔物を一瞬で制圧してしまうあたり、さすが聖騎士と言えるだろう。しかし──
爆音。爆風。
肉片は飛び散り、セドリックを巻き込む。
近くにいたハナビは悲鳴を上げて、リィーンのメイド服の裾を強く掴んだ。
リィーンは舞い上がった砂埃をただ見つめていた。
「何があった!?」
音を聞きつけてか、イローネが戻って来る。一部始終見ていた僧兵が彼女に状況を説明をする。
それを聞いて、彼女はふぅーと長く息をついた。
「セドリック無事か?」
舞い上がる砂ぼこりに声を掛ける。その声に返答はあった。
砂ぼこりが晴れると、剣を納める彼の姿が見える。
「まったく、僕の顔に埃がついたよ」
無傷の彼は、大きく息をついた。
セドリックの無事を一応確認したイローネは、僧兵へと向き直った。
「とりあえず、ここにいたものを落ち着かせはした。詳しい説明と誤魔化しは任せた」
「い、イローネ様たちは、どちらへ?」
「これから私たちは奥の調査に行く」
「し、しかし凶暴な魔物が比べ物にならないくらい」
「ちょっと予定狂ったくらいではどうってことない。他の警備の僧兵たちも集めて、何とか隠ぺいに努めてくれ」
二人の会話を聞いていたハナビが、リィーンの背中からヒョコリと顔を出す。耳と尻尾は不安そうに垂れていた。
「あ、あんな危険な魔物がいっぱいいるところに今から行くのですか?」
「大丈夫。無事に送り届けると約束した。聖堂騎士が約束を反故することはない」
反故することはなくても、隠すことはあるのではないのだろうか。
守れなかった理由など、いくらでも作り出せる。
当然、目をつけられたくはないので、そんなことは思ってもリィーンは口にしない。
「ところで、ロゼリアさん」
イローネの顔から表情が消える。
「魔物が爆発したとき驚いた様子はなかったけど、知っていたのか?」
声色は取り調べをする警察のようなものだ。
「まさか、頭が追いつかず何もできなかっただけですよ」
こちらは愛想笑いを浮かべる。
まだ訝しげな様子だったが、追及することはなかった。