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第二話 豚貴族

 あの後、リィーンは男に秘密の呪いをかけて自由にした。奴隷契約よりは簡易的で制限できることも一つまでと少ないが、使い勝手の良い魔法だ。

 この街を目指している間に必要になるだろうと、野生動物を使って練習しておいたものだ。

 リィーンはどうやら魔術才能、特に倫理観を無視した黒魔術の才能に長けているようだった。

 これも前世の記憶が戻った影響なのかどうかは今はどうでもいい。家族を殺した奴を見つけることができるなら、とことん利用してやることに決めた。


 きっとそれが己がこの世界に生まれた理由で、前世を思い出した理由だろうだから。


 酒場に戻ると、女将が心配そうなフリをして状況を聞いてきた。とある貴族に奉仕に行くことになったことを伝えると、僅かに口角が上がっているのを見逃さなかった。

 感情を隠せないほどとは、一体いくら紹介料を貰えるのか。考えたところでバカを見るだけなので、追及しないことに決める。


 男が用意した宿屋に泊まり、明日に備えることにした。

 紹介する貴族は変態で、後ろ暗い噂も数多く持っている。

 ついたあだ名は豚貴族。私腹を肥やす姿はまさしく、貴族という肩書きに飼われた家畜といったところだろう。

 そんな人間が一貴族の襲撃情報を持っているとは思えない。しかし、小娘が一日で得た情報としては中々な取っ掛かりでだ。


 明日、男は朝早く迎えに来ると言っていた。まだまだ夜は長いが、早めに支度をして休む。ここ数日の移動で入れなかったお風呂で体を洗って寝ることにした。

 前世は男だったわけだが、十六年リィーンと過ごしていた記憶があったおかげが、己の裸については何にも思わない。義務的に体をきれいにすると、そのまま絹のパジャマを着て就寝する。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 夢を見る。いつも同じ夢を。

 一江永人は火事で焼かれるマンションを見つめているのだ。

 門限を破ってしまい遅く帰ったある日、親に怒られるとビクビクした帰り道のことだった。いつもと周りが騒がしいのと消防車のサイレンが何か良からぬことを告げてる気がした日であった。

 その日、一人の男が焼身自殺を測った。自分一人で死ぬのは怖いと、ガソリンを撒いて凶行に走る。

  結果は全焼。永人の両腕も含めて逃げ遅れた住人が何十と死んだ。


 そんな幼き光景は脳裏に焼き付いたまま、毎夜の夢として現れる。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 リィーンは六時にはいつも目が覚める。

 ベッドから這い出し、顔を洗い、朝食を済ませて、服を着替える。

 ちょうど準備を済ませた頃にノックがあった。返事をすると「俺だ」と聞き覚えのある声が聞こえる。


 ドアを開けると、昨日の男が立っていた。リィーンを見る瞳には、怯えと怒りが混じっている。


「そんなに身構えなくても、私のことを話さない限り取って食わないよ」

「いきなり人の指を斬り落とす奴に言われたところで、説得力ねーよ」


 見せてきたのは包帯が巻かれた右手。剣で叩き切ったために切断面がズタズタで、引っ付けることは不可能だったらしい。


「自業自得でしょ。命があるだけ御の字と思うことだね」

「こんなイカれ女と関わった俺が馬鹿だったよ……」


 己がイカれていることは否定しない。何のためらいもなく剣を刺し、何のためらいもなく自分の貞操さえ危険にさらす。端から見れば完全に異常者だ。

 しかし、相手取る人間たちは幼い子どもでさえ躊躇いもなく殺す者たちだ。異常者には異常者として対抗するしかない。


「良いか。紹介はするが、中でお前がどんな目に遭おうが俺は関係ないからな」


 そう考えれば、自己防衛能力が働く彼はまだ正常な人間なのかもしれない。


「分かってる。その代わり──」

「お前がやることには一切口を出さない。というか、出せない」


 男にかけた秘密の呪いは、『リィーンについて不利益になることを喋れない』というものだ。破れば全身に痛みが走り、さらに強行すると心臓を止める。

 人の生き死にさえ左右する魔法なのに、黒魔術の中では初級に入っているのだから末恐ろしい。


「じゃぁ、ついてこい」


 一通りの確認を終えると、彼は案内を始めた。



 一等地。貴族の屋敷が連なり、喧騒とも離れた場所。貴族たちは自身の威厳を誇示するかのように大きな土地に大きな屋敷を作る。

 裏には壮絶な縄張り争いがあると思うと、猫の縄張り争いのようだと思えてくる。実際はそんなに可愛らしいものではないだろうが。


「止まれ」


 ある邸宅の前に来ると、二人のうちの一人の門番兵士に止められた。男は何事か説明すると、門番は納得したように頷いた。


 重々しい門の横にある小さな入り口を開くと、ついてこいと門番が先導する。二人はその後ろを何も言うことなく歩く。

 屋敷までは長い前庭が続き、二分ほどして邸宅の前に着いた。

 見上げろほど大きな邸宅は、威圧感がある。己の家で大きな屋敷は見慣れているが、向こうは落ち着いた装飾が多いのに対して、こちらは趣味の悪い装飾が多い。吠えてる獣の彫刻など、大きく見せようと威嚇する動物のようだ。


 貴族は威厳がないといけない。しかしそれは、威嚇と混同してはいけない。人に好かれてこその威厳だと、リィーンの小さい頃に父が教えてくれた。眼前の屋敷にあるのは、その真反対を行く佇まいであった。


 門番がドアを二回ほど大きく叩く。中から使用人らしき少女がヒョコリと顔を出した。

 見覚えのある少女だ。狐の耳を持ち、二本の尻尾を持つ少女。赤色の大きな瞳が、不思議そうな色合いを見せていた。


「あ、あなたは……!」


 リィーンの顔を見て驚いていたが、すぐに口ごもる。申し訳なさそうに頭を数回下げてから、ドアを開けてくれた。

 

 広い玄関ホール。その中央で立ち止まると、「ここで待て」と言って門番は帰っていく。

 二人で立たされてしばらくすると、使用人たちがやってきて並んだ。


「やあやあお待たせしたねぇ〜」


 ねっとりとした野太い声は、どこか理性が拒否するかのような嫌悪感がある。

 玄関ホール中央にある階段上から、一人の男が男獣人に跨っていた。


 太っていて着ている服がはち切れそうだ。ところどころに散りばめられた金の装飾が余計にいやらしさを増させていた。

 笑顔を見せた歯は全部金色。本当に全部金歯にしているやつなんているんだと、素直な感想が漏れる。頬の肉が下瞼を押し上げて、目が閉じているように見える。金色の短髪は手入れしていないのか、部屋の光をテラテラと反射していた。


 豚貴族──アドス・ナリウス。その名称に違わぬ嫌悪感を見せる。


 アドスは跨っている獣人の男に、軽いムチを打つ。低く唸った彼は、アドスを落とさないように細心の注意を払いながら階段を下る。

 その間に召使たちが、リィーンの背後に並んでいく。一列では収まりきらず、三列にまで渡った。

 一人の白髪混じりの男性が、リィーンのすぐ近くに立った。背筋を伸ばし、“右手を前に左手を後ろ腰に据えた”男性だ。召使いたちの中でも一際威厳を放つ彼は、執事長なのだろうと想像できる。


「ふぅ〜待たせたねぇ〜……こいつが思ったよりも鈍くてね〜」


 アドスの声は、周囲の状況を確認するリィーンの視線を戻すのに十分だった。

 見ると乗っている獣人を二度三度と鞭を打っている。うめき声と痛々しい鞭の音が玄関ホールに響き渡った。


「それで、君がぼくに仕えたいっていう娘かなぁ〜?」


 開いていない目がこちらを見ている。裸を見られているのではないかという気持ちになり、何故か恥ずかしさが込み上げてくる。

 顔を背けたい欲求を我慢して、服の裾を掴んだ。


「ロゼリアと申します」


 深々とお辞儀をしながら名前を口にする。


 名乗ったのは、リィーンの屋敷に仕えていたメイドの名前。当然、彼女も既にこの世にはいない。

 リィーンとは違って下民の生まれのため、貴族に名前が知られている可能性は皆無である。

 そして、苗字を名乗らないのは、位の高い家しか苗字を持っていないためである。お金目当てで貴族の屋敷に仕えたい。町娘のようなボロい服装。そんな人間が苗字を持っていたら、怪しまれるのは目に見えていた。


「ふむぅ、ふむふむふむぅ〜……?」


 アドスが顔を近づけてくる。思わず身を引きたくなるのを我慢した。

 彼はしばらく観察したあと、納得するように頷いた。


「合格! 今日から僕にしっかり奉仕するように〜」

「分かりました」


 平静を装って、再び頭を下げる。


「マーモン。彼女を風呂に案内しろ〜」

「御意に」


 マーモンと呼ばれたのは、先ほどの執事であった。彼は礼儀正しく腰をおって頭を下げる。


「そしてそっちの男」

「へ、へい」


 唐突に呼ばれたのは、リィーンと一緒に来た彼。自分が呼ばれるとは思わなかったのか、背筋を慌てて伸ばしていた。


「その手、包帯巻いているけどどうしたんだい〜?」

「へ、へぇ。ちょ、ちょっと指をやっちまいまして」

「それじゃぁ不自由だろぉ〜。丁度いい薬が入ったんだ、治してあげよう」

「わ、わざわざアドス様に治していただくほどのものでは」

「良いから良いから、可愛い子を連れてきてくれたお礼だよぉ〜。勤勉なものには勤勉な対価をって言うじゃないかぁ〜」

「そ、それならばお言葉に甘えまして」


 やはり権力は怖いのだろう。あの男がペコペコ頭を下げ続けている姿は、取引先の電話対応をするサラリーマンそのものである。まぁ、冒険者風情など貴族の一声でどうにでもなるということの現れでもある。


「それではロゼリア様。ここからの案内はハナビが担当いたします」


 二人のやり取りを背に、マーモンが一人の少女を紹介してくれた。それは、見たことのある狐の獣人だ。

 ハナビと呼ばれた少女は耳を嬉しそうに動かし、尻尾を少し揺らしている。


「ハナビです。よろしくなのです」


 にこやかな笑顔に、思わずよろしくと返してしまう。


「他のものは持ち場に戻るように!」


 マーモンの声と手を打つ音で、使用人たちはそれぞれ戻って行く。

 残されたリィーンは、ハナビの案内に従うことになった。


「あの、昨日はありがとうございました」


 途中、先に口を開いたのはハナビのほうであった。

 前を少し歩く彼女は、チラリと恥ずかしそうにこちらを見る。


「たまたまだよたまたま」

「たまたまでも私を助けてくれたって事実が嬉しいのです」


 何かしら含みのある言い方だなと考え、狐の獣人だからかと納得する。忌み嫌われ差別されてきた彼女は、人に助けられた経験が少ないのだろう。あんなのでも助けられたと思うのだから、相当に重症だ。


 本当にたまたま目に入り、たまたまあの店主が気に食わなかっただけなのに。


 リィーンは一度庭を通り、離の館に案内される。


「ここが使用人たちが泊まる場所になるのです」


 本館と違いどこか質素な印象を与えるそれは、隅に追いやられているという言葉が似合うものだった。まるで同じ空間を共有したくないとでもいうように。

 それにしては、新しい使用人を雇うのにわざわざ出迎えるなどと、あの男の行動はどこかチグハグである。

 何かあるなと直感が物語るが、その何かが分かるにはピースが足りない。


「あ、あの……」


 考えごとをしていると、少し申し訳なさそうにハナビがこちらを見つめていた。


「今、空いてる部屋が私との相部屋しかないのです……そ、その」

「問題ないよ」

「本当なのですか?」


 心配そうに見上げる彼女の目を見ながら、しっかりと頷いた。

 彼女の顔は明るくなり、尻尾がさらに揺れた。

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