校正者のざれごと
私はフリーランスの校正者をしている。
校正というのは非常に地味な仕事だ。以前は知名度も低かったが、テレビドラマなどで扱われたこともあり、最近では少しは人に知られるようになったと思う(ドラマでは校正者の役を美しい女優さんが演じていたが、まああんな校正者はいまだかつて見たことがない)。簡単に言えば、文章を読んで、文字の間違いや固有名詞の表記の違い、事実関係の異なる部分などを探して指摘する仕事だ。
出版社や校正プロダクションの事務所へ出社して仕事をする場合もあるが、私のようなフリーランスの校正者は、自宅で仕事をすることも多い。仕事があるとその都度依頼が来て、校正紙(「ゲラ」という)が送られてくる。終わったら納品に行くか、宅配便で返送する。基本的に、人と接することのない仕事だ。自宅で一人ゲラと向き合い、ひたすら文字を目で追っていく。こんな生活が何日も続く。家族がいなかったら、本当に何日も言葉を発しない生活だ。私はこれを「地底生活」と呼んでいる。
校正者には本好きが多いといえば、誰が聞いても納得だろう。でも、私はほとんど本を読まない。学生の頃などはよく読んでいたが、校正者になってからは何年も本を買っていないし読んでもいない。もちろん、プライベートでは、の話だ。仕事で毎日毎日こんなに文字を目で追う生活をしていたら、さすがに何か読もうという気力もなくなってしまう。
きっとほかの校正者もそうだろうと思い、あるとき、校正者の集まりでたまたま隣にいた人に聞いてみた。「この仕事してると、なかなか本って読まないですよね」
すると彼は即座に答えた。「いやいや、そこは別腹というか……」
ふつう読むよね、といった反応だった。ちょっと恥ずかしくなって、「そうですよね」などと合わせておいた。そうか、仕事であんなに読んでいても、まだ読むのか。すごいな。
その集まりがお開きになり、外に出ると、となりにはホルモン屋があった。
暖簾には大きく『内蔵』の文字。
この暖簾の前で数人の校正者が立ち止まり、うれしそうに話している。「これは、わざとですかねえ」「まさか、誤植?」ホルモンを指す「ないぞう」なら正しくは『内臓』のはずだ。でも、もしかしたら何か意図するものがあってこうしているのかもしれない。校正で間違いを指摘することを「赤字を入れる」などというが、実際はエンピツで疑問を出すことが多い。この『内蔵』のようなケースも、書いた人の意図がわからないので、赤字で修正するのではなく『蔵』の字にエンピツで「OK?」などと書いておいたりする。
こんなことで盛り上がれるのは校正者だけだよな。地味だけど、ちょっと楽しい。