4 お伽界へ
「それで、お伽界にはどうやって行くのですか?」
私は大伯母さんに聞いた。
「そうね……」
大伯母さんは少し考えてから、
「この近くの神社から行けそうだわ」
と、答えた。
「そうなんですか?」
「ええ」
(桃太郎というからてっきり……)
桃太郎は岡山が発祥の伝説だと聞いたことがある。
「もっと遠くに行かなきゃいけないと思ったかしら?」
まるで私の心を読んだかのように大伯母さんが言った。
「ええ……まあ……」
「もちろん、桃太郎発祥の地に行ってもいいんだけれど、とりあえず今回は近くの神社から行くことにしましょう」
「はい」
というわけで、出発は次の日曜日に、ということになった。
「一日で帰ってこられるんですか?」
私の問に大伯母さんは、
「ええ、というより、お伽界とこちらの世界とでは時間の流れが違うのよ」
「時間の流れ……?」
「そう、お伽界で数日過ごしたとしても、こちらの世界では数秒くらいかしらね」
「そんなに違うんですか!?」
「そうよ、だから時間のことはそれほど気にしなくてもいいのだけれど……」
「けれど……?」
「あまり長い時間はいないほうがいいわね」
「それはどういうわけで……?」
「それは、向こうの世界にいればそれだけ年を取ってしまうからよ」
大伯母さんが困ったような笑顔で言った。
「あ……なるほど」
そういう事態は是非とも避けたいものだ。
「それから……」
と言いながら、大伯母さんが変わった形の袋のようなものを取り出した。
「……?」
なんだろうと思いながら私が見ていると、
「これはね【桃太郎の腰巻き】というの」
「桃太郎の腰巻き?」
オウム返しに聞く私。
「ええ、お話にもあるでしょう?」
「お話にも……?」
私は桃太郎の話を思い出そうと記憶をたどったが、
(腰巻きなんて出てきたっけ?)
今ひとつ思い出せない。
「ほら、『桃太郎は腰巻きからきび団子を取り出して犬にあげました』って、あるでしょ?」
「あ……そういえば」
そんなシーンもあったかも。
「まあ、便利なカバンだと思って使って頂戴。ほぼ無限に収納できるわよ、でも……」
「でも……?」
「必要なものは向こうでも手に入るから、それほど色々とは持っていかなくても大丈夫よ」
大伯母さんはニッコリ笑顔で言った。
「はい……わかりました」
そうは言いながらも、私は既に脳内で持って行く物リストを作り始めた。
(服は何着くらい持ってこうかな……マンガも必需品だし……あと、お菓子も!日持ちするものなら……)
と、私がすっかり自分の世界に没入していると、
「それじゃあ、今日はそろそろ帰るわね」
そう言いながら大伯母さんが立ち上がった。
「もう、お帰りですか?」
母が驚いた様子で言いながら、心配そうに私を見た。
(……私ももう少し色々詳しい話が聞きたいかも……)
「ええ」
そう言いながら大伯母さんは私達を見た。
「大丈夫よ、心配はいらないわ。危険なことはないから」
大伯母さんが言うと、
「ああ、俺の時も何事もなく帰って来られたんだから大丈夫だ……何があったのかは殆ど覚えてないけどな……」
と、父が付け加えた。
終わりの方で少し気になることを言ったような気もするけど。
「はい……」
と、私は答えた。
大伯母さんが帰ると母が父に詰め寄った。
「本当に大丈夫なの!?」
「大丈夫だって」
父は何も心配することはないという顔で、ゆったりとお茶を飲んでいる。
それを見て母の怒りオーラが一段上がった。
「あなたは男だから大丈夫だったかもしれないけど、桃はか弱い女の子なのよ!」
と、怒りのボルテージを上げながら言う母に、
「そうだよ!私だって花も恥じらう、か弱い十六歳の少女なんだからね」
と、私も便乗した。
そうは言ってはみたものの、私の心の中では既に不安よりも楽しみが増幅してきていた。
(ここで、行くのをやめたら……)
きっと気になって気になって夜も眠れなくなってしまいそうだ。
でも……、
(お母さんは本当に心から私のことを心配してくれている)
それが凄く嬉しかった。
そんなお母さんの気持ちをお父さんにも解ってほしかった。
なので、私も一緒にお父さんに訴えたのだ。
「わ、わかったよ、ごめん……」
とお母さんと私の共同戦線にタジタジのお父さん。
「今度大伯母さんが来た時に桃のことをしっかり頼んでおくから、な?」
と請け合ってくれた。
それを聞いて私が、
「うん、お願いね、お父さん!」
と、私があっさり承諾した形になったものだから、お母さんが、
「桃……!本当にいいの?」
と、キッとした表情で私に言った。
「う、うん……お父さんも行ったことあるって言うし、私も興味あるかなって……」
お母さんの鋭い返しに怯んでしまった私の答えは、尻すぼみになってしまった。
「はあ……そのへんはやっぱり血筋なのかしらねぇ……」
心持ちトーンを和らげてお母さんが言った。
「ごめんなさい……お母さん」
と、私が謝ると、
「桃が謝る必要はないわ」
「でも、お母さんに心配かけちゃうから……」
「母親が娘のことを心配するのは当たり前でしょう?」
そう言いながら、母は私の肩を両腕で柔らかく抱いた。
「……気をつけるのよ」
「うん……ありがとう、お母さん」
母に抱かれながら、チラリと父を見ると、心持ち気まずそうな表情をしていた。
(きっと後で長いお話があるんだろうな……)
と、私は心のなかでちょっとだけ面白がってしまった。
そういうわけで、家庭内のいざこざも未遂で済み、お伽界へ出発する日曜日がやってきた。
「家を出るのは、普段通り学校に行く時と同じくらいの時間にしましょう」
と、大伯母さんから言われていたので、そのとおりに準備をして待っていた。
やがて、大伯母さんが訪れた。
「気をつけてね、桃」
母はそう言いながら、私をギュッと抱きしめてくれた。
「うん……行ってきます、お母さん」
「大伯母さん、桃をお願いします」 父が大伯母さんにそう言って頭を下げていた。
「ええ、任せて頂戴」
大伯母さんが笑顔で答える。
「それじゃ、行きましょう」
大伯母さんに導かれて私は家を出た。
一度振り返ると、門のところで母と父が見送ってくれていた。
母は胸の前で手を組んで、父はポケットに手を入れた格好で、じっとこちらを見ていた。
道を左に曲がる直前に、私は大きく手を振った。
心無しか、私の目も潤んできたような気がしたが、あえて気がつかなかったことにしようと決めた。
角を曲がり家が見えなくなると、私も覚悟が決まったのか、スッキリと前を向いて歩くことができた。
家から一番近い神社は歩いて十五分ほどのところにある。
小さな神社だが、夏になるとお祭りがあって、子供の頃は山車を引いたこともあった。
山車を引いた後に子どもたちに配られる冷たいジュースが、不思議と美味しかったのを覚えている。
神社の鳥居をくぐり社の横を通って裏に回ると、小さな祠があった。
大伯母さんはその祠の前に立つと私を手招きした。
そして、私が大伯母さんの横に並んで立つと、つい今しがたまでは私の身長より少し高い程度に見えていた祠が、見上げる程の大きさになっていた。
「え……!?」
私が驚いて後ずさりそうになると、
「大丈夫よ、行きましょう」
と、大伯母さんはそう言いながら、大きくなった祠の扉を開き、私の手を取って奥へと導いた。
扉の奥は薄暗く、中央には鈍く光る渦のようなものが見えていた。
「……!」
私は息を呑んだ。
足がすくんでしまいそうにもなったが、
(えいやっ……!)
と、心のなかで気合を入れて、すくみそうになる足を踏み出した。
こうして、私はお伽界への第一歩を踏み出したのだった。