18 暗黒の妖獣
「クックックッ……」
裏切り者の従者が低く笑う声が響く。
(笑ってる……)
私から見たら、どう見ても崖っぷちの大ピンチだと思うのだけど……。
「まさか、こんなにあっさりとやられてしまうとは思ってませんでしたよ」
「うむ、なら潔く降参するがよい!」
四天王と共に暗黒の獣をほぼ片付けたライコウが、威勢よく従者に言い渡した。
「降参?まさかまさか、ははは」
「なんだと?」
「確かに、この苦戦は予想外ですが……」
「……?」
「切り札の出番が多少早くなった、というだけですよ!」
そう言うと従者は、手にしていた暗黒の太刀を空に投げ上げ、
「暗黒の眷属よ!」
と叫びながら振り上げた手をギュッと握った。
従者が投げ上げた太刀はクルクルと回りながら上昇していき、彼の声に呼応するかのように回転を止めて上空で静止した。
「貴様っ、何をした!」
従者に掴みかかろうとしながらライコウが言った。
「ふふふ……ははははっ!」
襟首を掴もうもするライコウから逃れ、従者は高笑いしている。
投げ上げられた太刀を見ると、太刀を包んでいた黒い靄が、時折パチパチと光りながら、少しずつ広がっている。
「ライコウ様!」
同じく上空を見上げていたツナが鋭くライコウに言った。
「ベンケイさん、あれは……」
どんどんと大きくなったていく靄を見ながら私が言うと、
「ぐっ……あれは……」
唇を噛みしめるようにしてベンケイが言った。
不規則に広がっているように見えた靄が、だんだんとなにかの形に纏まってきた。
「あれは、動物……?」
「みたいに見えるね……」
華耶と和叶も不安そうに上を見ている。
(あれって……)
四つ足で尖った鼻先、ツンと立った耳。そして尻尾が……。
(一、二、……、九本!?)
「ベンケイさん!」
はっきりと形を現した【暗黒の眷属】を目にして、私はベンケイの腕を取って言った。
「くそっ、あんなものを呼ぶとは……!」
悔しそうに歯噛みするベンケイ。
「あれは……?」
私が聞くと、
「あれは……キュウビだ」
ベンケイが答えた。
聞いたことがある。
九本の尾を持った狐の妖怪。
「仕方ない」
ベンケイはそう言いながら薙刀を構えた。
「そうはいきませんよ」
従者がそう言うと、キュウビが纏っていた黒い靄が私達に向かって細く伸びてきた。
「くっ!」
ベンケイが素早く薙刀で斬ったが、すぐ次の靄が伸びてきた。
「逃げるんだ、お前達!」
(逃げなきゃ……!)
分かってはいたが足がすくんでしまい、逃げ出すのが遅れてしまった。
だが、新手の靄は私のそばを通り過ぎた。
そして向かって行ったのは……
「孤々乃!逃げてっ!!」
私はありったけの声で叫んだ。
その時、既にベンケイが孤々乃の下へと駆け寄ろうとしていた。
「あ……ぁ………」
孤々乃は震える声を上げるばかりで動くことができない。
「「孤々乃ぉおおーーーー!!」」
そばにいた華耶と和叶が孤々乃の名を絶叫しながら、助けようと手を伸ばしている。
しかし既にその時には、漂う紐のような黒い靄が孤々乃をぐるぐる巻きにしていた。
そして、孤々乃はどうすることもできず、ものすごい速さで暗黒のキュウビの下へと引っ張られていった。
あと一歩で孤々乃に届くところまで駆け寄っていたベンケイの手が、虚しく空を掴む。
「くそぉおおーーーー!!」
靄に絡め取られた孤々乃は、巨大なキュウビの額に向かって一直線に引っ張られていく。
それと同時に、キュウビの額が縦に裂けて開き、孤々乃は暗黒のキュウビの開いた額へと吸い込まれてしまった。
「あ……あぁ……あぁああーーーー!!」
眼の前で起こった信じられない光景に、私は孤々乃の名を呼ぶ事さえできなくなってしまった。
がっくりと膝をつき、目には恐怖の涙が溢れてきた。
「うーーん、素晴らしいーー!」
キュウビの前にいる従者はご機嫌この上ないという様子で言った。
「暗黒のキュウビに白狐の妖力を融合させることができました!」
「この野郎ぉおおーーーー!」
ベンケイが薙刀を大きく振り上げて従者に斬りかかった。
「おっと」
従者は身軽に飛び上がり、キュウビの背に乗ってベンケイの攻撃をかわした。
「そう焦らないでくださいよ。これから素晴らしいものをお見せしようと思ってるのですから」
従者が言うと、キュウビが鈍い光を放ち始めた。
そして、漆黒の闇のようだったキュウビは濃い銀色の妖獣へと変わっていった。
「どうです、美しいでしょう?清らかな白狐の力を持つ暗黒の妖獣キュウビ!素晴らしすぎるっ!!」
黒銀色のキュウビの背で、従者は恍惚とした表情で悦に入っている。
「さあ、ベンケイさん、でしたっけ?」
「……」
「どうです?このキュウビを斬ってみては?」
「クソがっ……!」
怒髪天を衝くとはこのことだろう。
ベンケイはその眼力で従者を殺そうとでもするかのように、極限まで怒りを燃やして睨みつけている。
「できませんよねぇ。もしあなたがキュウビを斬ったら、中の白狐のお嬢さんまで殺してしまいますもんねぇ、ひゃははははは!」
(なんてこと……)
私は膝をついて愕然としながら聞いていた。
(ベンケイさんですら敵わないなんて……)
その時、キュウビが上を向いて、何かの匂いを嗅ぐような仕草をした。
「ん、どうしたんだい?」
キュウビの背に乗っている従者が、キュウビの頭を撫でながら聞いた。
「ははぁん、なるほど……どうやらお客さんがいらしたようですね」
と言う従者の言葉が終わるか終わらないかのうちに、眼の前に三つの光が現れた。
「では、私どもは城に入るとしましょうかねぇ、これからのお伽界をどう仕切るか考えなければなりませんから、ふふふ」
嬉しくて仕方ないといった様子で、従者がキュウビの耳元に何か囁いた。
キュウビはピクリと耳を動かすと、サッと飛び上がって、岩山の城の天辺に向かって行った。
眼の前に現れた三つの光は、やがて人の形へと姿を変えた。
そこには、私の大伯母さんと、華耶と孤々乃の大伯母さんの三人が立っていた。
「大変なことになってしまったわね……」
私の大伯母さんが静かに言った。
「ええ……」
「……」
孤々乃の大伯母さんが悲しみいっぱいの声で答え、華耶の大伯母さんは無言で目を伏せている。
「本当にすまない、ウカ……私がついていながら……!」
ベンケイが孤々乃の大伯母さんに、怒りと悲しみの混じった、それこそ血を流すような声で言った。
「いいえ、あなただけの責任ではありません。私も気づいているべきでした」
孤々乃の大伯母さんが言った。
(神社で会った時は、穏やかで優しい感じの人だったけど……)
今はベンケイと同じく、静かながらも激しい怒りと悔しさが声に滲んでいるようだった。
「ええ、これは私達四人の責任よ」
上品で優しい(と私は思っていた)私の大伯母さんの声にも激しい怒りが感じられる。
「そうよ、姉さま。あの子を助けるために私達で智恵を出し合いましょう」
華耶の大伯母さんがベンケイを元気づけるように言った。
「孤々乃ちゃんを取り込んだとはいえ、キュウビはまだ安定してはいないはずよ」
私の大伯母さんが言った。
「融合が完全になってしまう前に孤々乃ちゃんを助けましょう」
大伯母さんの言葉が、絶望しかけていた私達の心に染み渡っていった。
「「「はいっ!」」」
私は華耶と和叶に駆け寄り、手を握りあった。
二人とも、顔は涙で汚れている。私もきっとそうだろう。
けれど、涙に汚れた顔には絶望ではなく希望が浮かんでいる。
(それにしても……)
華耶の大伯母さんはベンケイのことを“姉さま”と呼んでいた。姉妹なのかな……?
そして、ベンケイは孤々乃の大伯母さんを”ウカ“と呼んでいた。
(珍しい名前だけど……)
考えてみれば、私は自分の大伯母さんの名前を知らないことを、今思い出した。
「あの……大伯母様……?』
私は恐る恐る大伯母さんを呼んだ。
「なあに、桃ちゃん?」
つい今しがたまでの激しい怒りが消えて、優しく慈愛に満ちた笑顔で大伯母さんが答えた。
「今、ベンケイさんは孤々乃の大伯母さんのことを”ウカ“さんと呼んでいて……」
「あ、そう言えば私の大伯母さん、ベンケイさんを姉さまって……」
私の言葉を聞いて華耶も言った。
「そうだったわね」
私の大伯母さんが思い出したように言った。
「それじゃ……」
と、孤々乃の大伯母さんを見た。
それに答えるように、
「私はウカノミタマよ」
孤々乃の大伯母さんが穏やかな笑みで答えた。
「私はコノハナサクヤ」
華耶の大伯母さんがこの世の者とは思えない(実際この世の者では無さそうだけど)美しい笑顔で答えた。
「で、そちらが私の姉の……」
「イワナガだ」
ベンケイ、いや、イワナガが短く答えた。
「醜女のイワナガと覚えておけ」
イワナガが面白そうに言うと、
「もう、姉さまはいつもそうなんだから!」
「そのほうがサクヤの美しさがより一層際立っていいじゃないか」
「よくありません!」
サクヤが美しい顔を心待ち火照らせ、頬を膨らませて言った。
(超絶美女のプンスカ!)
なんて私が思っていると、
「で、私はアマテラスよ」
と、私がよく知っている(といってもここ数日だが)上品で優しい笑顔で、大伯母さんが言った。
「アマテラス……様って」
「神様……?」
「だよね……?」
私達が顔を寄せ合っていると、
「そうね、私達は四人とも神と呼ばれる立場の者よ」
私の大伯母さん……アマテラス様が言った。
「その話は、また後でね。今は孤々乃ちゃんを助ける方法を話し合いましょう」
アマテラス様が言うと、
「我らも全身全霊をかけて協力させていただく!」
今まで、あちこちに散らばった暗黒の獣の掃討をしていたライコウが、四天王を引き連れて戻ってきた。
(うん、大丈夫!神様が四人もいる!ライコウさん達も強いし……多分)
私はそう考えて自分を奮い立たせた。
(待っててね、孤々乃!みんなで助けに行くから!!)
岩山の城の天辺を睨みながら、私はそう心に誓った。




