17 裏切り
お伽界の者は斬られても死ぬことはない、一日で復活する。
私はそう聞いていた。
実際、大江山での訓練の時も、私は何人かのならず者を鬼斬の太刀で斬って倒した。
斬られた者は、その場で霧のようになって消えてしまうが、翌日には何事も無かったかのように姿を表した。
だが、今は眼の前の地面に鬼の大王の首が消えずに転がっている。
「わ……わた……私は……私が……?」
私は恐ろしくなってガタガタと震えてしまった。
(私が、鬼の首を……?)
体の震えがどんどん激しくなっていく。
そんな私を見てベンケイが私に寄り添って肩を抱いてくれた。
「心配するな、鬼の首を落としたのはお前ではない」
いかつい印象のベンケイだったが、そう言いながら私を抱いてくれている腕はとても優しくて柔らかだった。
「首を落としたのはそいつだ」
ベンケイが顎で指し示した相手、それは……。
「ええ、私ですよ」
鬼の大王に付き従っていた従者が慇懃に答えた。
「一体どういうつもりだ」
私の肩を守るように抱いたままベンケイが、低く凄みのある声で聞いた。
「簡単なことです」
「……」
「いつもいつも、私達鬼は桃太郎にやられてばかり。鬼の大王もそれを当然のこととして受け入れている。それが気に食わなかった、それだけです」
「これが、どういう事を引き起こすか分かっているのか」
「さあ、どうなるのでしょうかねぇ?」
鬼の従者がニヤニヤと嫌な笑い顔で答えた。
すると、さっきの娘部隊の鬼の少女の一人が駆け寄ってきた。
「父上……?」
そう言いながら彼女は私の前に転がっている鬼の大王の首を見た。
彼女の顔はみるみるうちに蒼白になっていった。
「おや、これはこれは姫様」
鬼の従者がわざとらしいうやうやしさで言った。
「父上……父上ぇーー……」
鬼の姫はガタガタと震えながら、父親の首の下へ歩み寄っていった。
鬼の大王の首が斬り飛ばされた直後は、場の空気が凍りついたようになっていたが、次第に鬼たちがざわつき始めた。
そんな鬼たちの間を掻き分けるようにして、女傑部隊の首領格の女性が駆け寄ってきた。
「あんたぁああーーーー!」
彼女はそう叫びながら、鬼の大王の首の前に跪いた。
「……母上」
鬼の姫は女傑の首領に縋りついて声を上げて泣き出した。
「まあまあ、そう悲しまないで。これからはあなたが鬼の女王になって鬼ヶ島を支配し、もかしたらお伽界をも支配できるかもしれないのですよ」
従者が言うと、
「貴様ぁ……ーーーー!」
女傑の首領は文字通り鬼の形相で怒声を放ち、腰に帯びている太刀を掴んだ。
「やめろ!」
ベンケイが叫ぶように言って、女傑の首領を止めた。
「なぜ止める!」
「こいつの太刀は普通ではない」
確かに、見ると黒い靄のようなものを纏っているように見える。
「お前も大王と同じように殺されてしまうぞ」
「母上……やめて!」
「くっ……!」
娘の言葉に歯を食いしばる女傑隊首領。
「ベンケイさん……」
私はベンケイに小声で呼びかけた。
「なんだ」
「ベンケイさんならあの鬼を倒せますよね……?」
「ああ、だが……」
ベンケイは言葉を濁した。
「だが?」
「やつは何か……何か隠し玉を持っている」
「隠し玉……?」
私はベンケイの言わんとするところが分からず、つい声が大きくなってしまった。
「さすがですねぇ、ふふふ」
大王の従者がニヤけ顔で言った。
「ちっ……!」
舌打ちをするベンケイ。
「暗黒の力を得たこの太刀は、お伽界の者はもちろん、そこにいらっしゃる現世からきたお嬢さん方をも滅ぼすことができます」
「私達も……!」
従者の言葉に私は全身の血の気が引き、一度は収まった震えがぶりかえしてきた。
「心配するな、お前たちは私が必ず守る」
ベンケイが静かではあるが、力強い言葉で言った。
「そうなんですよねぇ、この力も神様相手ではさすがに効かないんですよ」
と、従者は何か含みのある言い方をした。
「神様……?」
「それは後で話す」
私の疑問にベンケイは短く返した。
「そんな間がありますかねぇ」
従者はそう言いながら、暗黒の靄を放つ太刀を掲げると、
「【召喚】!」
と、叫んだ。
すると、暗黒の太刀の黒い靄が垂直に立ち昇り、はるか上空に届くと、空一面に広がっていった。
そして、瞬時に夜のようになった空の、暗黒の太刀が指し示す方向に、黒くわだかまった渦が見えてきた。
「何か……来る?」
私は目を凝らして渦の奥を見ようとした。
「私の後ろに隠れていろ、桃」
ベンケイが頼もしい壁になって言った。
「はい……」
そう言っているうちに、渦の中から、黒い色の何かが次々と飛び出してきた。
その黒い何か、悍ましい獣のような影が何体も、空中を駆けるように私達に向かって来る。
「ああ……」
私から少し離れたところに立っていた和叶の恐れおののく声が聞こえた。華耶と孤々乃も和叶のすぐ後ろで震えている。
「和叶!」
私は叫んたが、和叶は立ちすくんてしまって動けない。
ベンケイが助けに行こうとしたが、別の獣が数体、私の方に向かって来てしまい、和叶の助けに手が回らない。
「くそっ……!」
ベンケイが悪態をつく。
(誰か……!)
私は祈るように手を握るしかできなかった。
ザンッ!
よもや、というその瞬間、華耶の前に素早く立ちふさがった人影が、迫ってきた暗黒の獣を見事に真っ二つに斬り裂いた。
「ふっ、やっと僕の本領を発揮できる時が来た、というところかな」
暗黒の獣を斬り裂き、華耶の前に頼もしく仁王立ちしているのはライコウだった。
「どうやら、あれはお伽界の外からきた獣のようだが、どう思う、タケ?」
ライコウが四天王の参謀役のタケに聞いた。
「はい、仰るとおり、お伽界の外の幻想世界、おそらくは大陸方面の邪悪な獣を召喚したものと思われます」
「やはりそうか」
「となりゃあ、俺達の力を存分に振るえるってわけだな」
「ですね、我らの実力をとくと見せつけてやりましょうぞ」
タケの話にツナとキンちゃん、サダが答えた。
「え、大丈夫……なのかな?」
華耶が不安そうに言った。
「心配ないよ、お嬢さん。普段の僕は君たちの言うところの“ぽんこつ”だけれど、お伽界を脅かす存在に対しては滅法強いのさ」
そう言うライコウは、今まで私達が見てきた”ポンコツ武者“とはほど遠い、力強く頼もしい、正しく英雄と呼ぶに相応しい武人だった。
「では、いくぞ!四天王の諸君!!」
ライコウが勇ましく号令をかけると、
「「「「おおっっ!」」」」
と、四天王は力強く応えて、それぞれ武器を構え、暗黒の獣たちへ向かっていった。
ライコウとツナは長い太刀で、キンちゃんは恐ろしげな鉞で地上に降りてきた暗黒の獣をぶった斬った。
サダとタケは弓が得意のようで、長弓を構えて、漆黒の渦から次々と飛び出てくる獣に向けて矢を放ち、見事に射落としていった。
「これはこれは、困ったことになりましたねぇ」
戦況を見ながら、従者はいかにも困り果てた様子をしながらも、ちっとも困っても焦ってもいないのが見え見えだった。
「そうしたら、次は……」
そう言うと従者は再び、暗黒の靄を纏う太刀を掲げた。
太刀から靄が立ち昇り、今度は上空に届く前に四方八方に散り始めた。
そして、私達を遠巻きにして見ていた鬼達に降り注いだ。
「「「ぐぁああーーーー!」」」
暗黒の靄に侵された鬼たちがうめき声を上げた。
そして、うめき声が止まると、その目を赤く不気味に輝かせながら、邪悪そうな笑みを浮かべて私達の方へと向かってきた。
「ベンケイさん……!」
「くそっ、また厄介なことをしやがって……!」
私の呼びかけに悪態をつくベンケイ。
「私達があの鬼の人たちを斬ったら……」
「ああ、殺してしまうかもしれない」
「……!」
私は体から血の気が引くのを感じた。
あの、鬼の大王の首が落とされ、自分が斬ってしまったのではないかと恐怖したあの時のように。
すると、
「私達がやってみる」
「うん……」
再び震え始めた私に華耶と孤々乃が言った。
「え……?」
二人はどうすると言うのだろう?
「うまくいくかは分からないけど……」
「やるだけやってみる……!」
華耶と孤々乃には勝算があるようだった。
「それじゃ、孤々乃!」
「うん!」
答えた孤々乃は左手で首に下げた勾玉を握り、右掌を広げた。
そして、黒い靄で包まれて目を赤く輝かせている鬼たちに向かって腕を伸ばし、
「止まれ!」
と叫んだ。
「「「グッ!」」」
「「「ギッ!」」」
鬼達はうめき声を上げて歩みを止めた。
そこにすかさず、
「羽衣よ!」
華耶が叫びながら、身に纏っている羽衣を鬼達に向かって投げた。
羽衣はどんどんと伸びていき、鬼達の周囲を巡った。
そして、孤々乃の妖術で身動きが取れない鬼達を次々と絡め取っていった。
「うわぁーーすごいっ!」
私は思わず歓声を上げた。
「うむ、見事だ」
襲ってきた獣を一体片付けながらベンケイも感心して言った。
「うまくいったね!」
「うん!」
華耶と孤々乃も嬉しそうだ。
ライコウ達を見ると、暗黒の獣は大方片付けたようだった。
「はっはっはっ!久々に英雄らしい闘いができたな!」
ライコウが満足げに笑って言った。
四天王も満足そうに頷いている。
「さあ、どうする?」
ベンケイが鬼の従者に言った。
「…………」
従者は肩を落として下を向いている。
「どうやら、お終いのようだな」
そう言いながら、ベンケイは薙刀を構えて、従者に近づいた。
私は、従者をじっと見ていた。
一見、すべてを諦めてしまっているように見える。
が、よく見ると、口元が少し変だ。
(あれ……?もしかして)
なおも、見つめていると、従者は明らかに笑っている。
「ベンケイさんっ!!」
私は従者に歩み寄るベンケイに警告した。
「……!」
彼女も察したらしく、歩みを止めて薙刀を構えた。
ほぼ同時に従者が顔を上げた。
その顔には、笑みが、口が耳元まで裂けているかのような、邪悪な笑みが広がっていた。




