メルトラヴァーズ〜世界と対峙する百合鴉が悪を断つ〜
万物の霊長を謳う人類という生き物は、誰しもが少なからずの傲慢である。
使い切れないまでの金を、溢れんばかりの名声を、思いのままの権力を、望んだ通りの異性を、揺らぐことのない他者との繋がりを、恵まれた環境を、優れた知性や肉体を。
程度に差異はあれども、そういった何らかの渇きは自然と生じるものだろう。
しかし自らを知る過程で、高過ぎる望みは叶わない、と。確信めいた予感を得てしまうのは、よくある話だ。別段と珍しいことでもなく、人生などそんな程度でしかない。
とはいえ、だ。それらに賛同する者は――悲しいかな、等しく凡夫であろう。
所詮は一部の、望まずとも始めから何かを持っている、一握りの天才達が創り出す世界を甘受しているだけの、儚くて脆い、無力な存在に過ぎない。
多くの人々は扱う身近な道具でさえ、どういう理屈や原理で成り立っているのかを知らないのだから。いや、知ろうとさえもしないのだから。
それ故に、人類という地球の癌細胞のような種族は――滅ぶべくして滅んだのである。
始まりが何であったか、という記録は現時点で発見されてはいない。
ただの事実として、地球を食い潰した人類は自然淘汰されたのだ。後世の学者達は皆、『人類は、自らが愚かだという自覚がなかったに違いない』と口を揃える程だった。
やはり、沈まぬ太陽などある筈もなく。そして再び昇らぬ太陽もまた、ないのである。
天歴八〇三年――一億と二千年後の地球は既に、人の住まう惑星ではなくなっていた。
*
空がある。それは薄い雲に遮られ、霞んだ春の夜空だ。
天上には欠けた白い月が浮かび、よどんだ空気の下には眩むほどの明かりを宿して立ち並ぶビルの谷間と、ネオンに彩られたアーケード。そこに根付く無数の息遣いがあった。
騒々しくも心地良い、真夜中の喧騒。静けさとは無縁の歓楽街に、その男はいる。
より正確に表現をするならば、オスの爬虫類が二足歩行で街中を闊歩していた。
やや前後に長い頭、青緑の鱗に覆われた硬い肌、太い尻尾、胴長短足の――トカゲ。
人並みの衣服で肉体を包み、周囲を鋭く見やる彼は、一般的にリザードマンという生物的分類がなされた種族であり、人類に代わって繁栄した異種族の一つだった。
そしてリザードマンを含め多種多様の種族が行き交うこの街は、人類――今ではヒューマンと呼ばれる古き者共。彼らが遺した文明や技術、それらの再現に過ぎなかった。
「――あっ、そこのリザードマンのお兄さん。今夜、ウチでどう。良い子が揃ってるよ」
男を惑わす淫らなサキュバス、ラミア、スライムなどに目移りしていたからだろう。
リザードマンの彼――トルポネが、客引きに声を掛けられるのは至極当然であった。
「ん、なんだよ。おれの前に立つんじゃねぇ! どこの店のもんだ、あんた!」
「このまま七番街を進んで通りを左に曲がってすぐにある、メスノアナに御座います」
「……メスノアナ、だぁ? ……知らねぇなぁ、悪いがおれは急いでんだ!」
「まあまあまあまあ、そう言わずそう言わず」
振り切ろうとして、強引に端末を手渡されるトルポネ。彼は渋々、リストへ目を通していく。その途中。客引きの男へ目を向ければ、深々かぶったフードの先端がこれでもかと自己主張していた。角のある種族で、覗ける口元は如何にも下種な馬人だと分かる。
「――って、どいつもこいつも身体が小さくて細いやつばっかりじゃねぇか! こんなんどうあがいても抱き心地がクソだろッ!? 悪いが、おれの専門は違うんでね」
リストには犬や猫、狐に狼などの獣人、フェアリー、マーメイド。珍しくも白翼以外の有翼人族がいたものの、幼過ぎるというのはトルポネの好みから大きく外れていた。
「おや、身分の低いロリはお嫌いで御座いましたか? ではこちらを――」
「いや、見せてくれなくて結構。第一今日のおれは、ケンタウロス女子の気分だ」
性癖は十人十色で千差万別なのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない。だが、
「ブルッ、フッフフフ」
「んだてめぇ、薄気味悪い馬面しやがって」
面と向かって含みのある笑い声を聞かされれば、不満顔にもなる筈だった。
「いやさ、失礼。でも、ダメダメ。もう本当に全然まったくダメですねぇ、貴方」
「……なんだと?」
さらに重ねて思わせぶりな問い。一方的な否定に、トルポネが客引きの胸倉を掴む。
「怖い怖い。でもねぇ、もう顔から滲み出ちゃってるんですよ、フフフ――処女崇拝が」
「――――っ。な、なんでそんなこと……分かりやがる?」
「それはねぇ、ほら。お察しの通り私が――ユニコーンだから、で御座いますよ」
フードの奥から薄ら笑いが現れ、彼はあらかじめ用意していた身分証を見せつける。
そこにはアルフレッドという名前に始まり、住所や種族などが記載されていた。偽造の可能性も疑うが、その疑念は次第に薄れていく。確かな天使の押印を見つけたからだ。
「……照合、させてもらうが?」
「勿論。お好きなだけ確認してもらって構いませんよ」
取り出した携帯端末のスキャナーモードを起動し、照合。結果が画面に表示される。
「ふぅ……ユニコーンの店長様が、客引きなんてやってんのかい。落ちぶれてんなぁ」
息を一つ吐き、憎まれ口を叩く。押印から読み取れる結果は、全て真実だった。
「えぇ、まぁ。嬢のスカウトのついでですがね。それでも処女の狙い撃ちが出来るのは、ユニコーンだからこそですよ。皆さんお好きでしょう、免疫がないメスとかって」
アルフレッドは表情を崩さず、上辺だけの笑みでそう応える。
トルポネが指摘した通り、ユニコーンは世間一般的に教会――《白き翼》に勤めている聖職者のイメージが強く、夜の街から浮いた存在である事は否めなかった。
それから、周囲を窺うようにして距離を詰めるアルフレッドが密やかに続ける。
「でね、ほら。さっき見せた子たち、いるでしょう? あれ、全員……初物なんですよ」
「――――っ!」
言って間髪を入れず、彼は再び懐へと手を伸ばし、今度は別の認定証を取り出した。
「そして御覧の通り、私は処女鑑定士の一級資格も持っていますし」
「そいつは、確かに……選りすぐりの変態か匂いに敏感なヤツしか取れねぇやつ、だな」
何を隠そう『これなくして真の処女厨を名乗るに非ず』という謳い文句で、処女厨界隈の凄まじい反感を買った特殊資格なのである。
歴戦の猛者達でさえ異種族の年齢や容姿に騙され、あえなく散っていったらしいとは、匿名電子掲示板においてあまりに有名だ。というより、トルポネ自身もそんな無惨に散った変態達のひとりであった。
「はい。そういうやつで御座います」
と、アルフレッドは変わらずの営業スマイルを浮かべて資格証を懐へしまい込む。
「でね、ここからが本題でして。いや、貴方は本当に運が良い。いるんですよ、丁度」
「ま、まさか……」
ごくり、と。生唾を飲み込んだトルポネの尻尾が、大げさに何度も左右へ揺れる。
「えぇ。とびきり健気で若い――処女のケンタウロスが、ね」
返す言葉など最早、不要だとひと目で分かる。今宵の向かうべき楽園が、決まった。
*
「――何を、やっている?」
「あっ、んぐっ……て、店ひょう! す、すいやしぇん……んぐぁんぐっ」
疑問符が向けられ、ややあってからメスノアナと描かれた電光看板を見上げている背中が向き直る。
中肉中背で髭の濃い、卑しさを隠し切れないゴブリンだった。
口元では小さなコウモリが呻いており、彼の容姿の醜悪さに拍車をかけている。
「何をやっているのか、と聞いた」
「んぱぁーっ、美味い。あっ、なんか飛んでるコウモリがウザくて。戦ってたんすよね」
アルフレッドが発した声色の変化に気づかない彼は、いい笑顔で状況をそう報告する。
「そうかい、ご苦労さん」
「ついでにそろそろヴァンパイアの子、入れたりできませんかね? 好きなんすよオレ」
脈絡のない話題転換と唐突で無駄な自己主張に、堪らず一つの鼻息が吐き出された。
プライベートな交友もなく、従業員からも好かれていないと気づけない神経の図太さはある意味で見習いたいものだなと僅かな間を置いて、アルフレッドが言葉を返す。
「……考えておく」
「うえぇい、あざます! たっのしみ、だぬぁ~」
鼻歌交じりに、彼は数匹のコウモリとの戦いで散らかった店先の後始末を始めた。
そんな姿を目にし、思わず互いに視線を合わせたふたりは『巨人族のご利用お断り』と大きく注意書きされた入口から、やたらとピンクがかった店内へと足を踏み入れる。
「ありゃ、随分と将来が楽しみなゴブリンくんじゃないの。なぁ?」
「将来? フッフフフ。四十五ですよ、アレ」
「……ウソだろ? おれの三倍、歳上じゃねぇか。滲み出過ぎだろ、人生経験の無さ」
軽口のつもりが、呆れを通り越した一種の敬意を抱きかけ、トルポネが薄く笑う。
ゴブリンの平均寿命が約八十年。リザードマンは半分の四十年だが、今年で十五歳――成人を迎えて間もないトルポネからすれば、だらしなく映るのは当然であった。
「彼は客の顔も覚えられないバカでブスですが、理不尽に耐えられる精神は好ましい」
「あぁ、そうかい。そいつは使いやすそうだな、あんたは」
アルフレッドは、受付の老齢な猫系獣人に「いつもの部屋、使わせてもらうよ」とだけ告げて先導していく。ベッドの軋む音や喘ぎ声を包み込む旋律は、田舎から都会へと来たばかりの無垢な少女が持つ、儚くも美しい純粋さのように情欲をかき立てるものだった。
「しかしヴァンパイアだったか……確かに、リストにはなかったな」
「えぇ、どうにも縁がないようでしてね。要望は多いのですよ、実際」
「へぇ。まぁどうせなら、エルフを一生に一度くらい抱いてみたいがねぇ……」
「私もですよ。まぁ奴ら、森の番人という名のとんでもない引きこもりですからね」
一般的な理解としてエルフは繫殖力こそ極端に低いものの、あらゆる種族に比べて長寿だと言われている。
そして年功序列の超高齢化社会を形成する彼らは、太古の人類が築き上げた機械文明を酷く嫌悪しているが故に、外界との交流を絶っているのだという。
少なくともそれが、幼年学校で学べるエルフについて唯一の知識であった。
「では、こちらで少々お待ちください。すぐに呼んで参りますので」
「おう」
案内された最奥の客室。そこは特別変わった点もない、ごく普通のプレイルームだ。
中へ入ったトルポネはベッドへ腰を下ろし、鼻息を荒くして堂々と腕を組み始める。
「あぁ、そうだ。これは失礼。忘れるところでした」
ドアが閉まる直前。何やら思い出した彼は踵を返し、腰の低い態度で懐から小さな小瓶のようなものを取り出した。手渡されたトルポネが、小首を傾げて疑問符を投げる。
「……これは?」
「そちら只今、特別に精力剤のサービスドリンクを一杯お出ししておりまして」
「へぇ、そりゃどうも。本音言うと、あんたじゃなくて部屋でサービスされたいけどな」
「あぁ、おっしゃる通りで。それでは極上のひと時を心ゆくまでお楽しみくださいませ」
ストレートな物言いに不満を露わにする事もなく、ただ店主として最低限の愛想笑いを浮かべられてしまえば、厄介ではない客と自負するトルポネとしてはそれまでだろう。
それでも、ドアが閉まるのに合わせて思った事の一つは言いたくもなった。
「……大した馬面だよ、あのユニコーン」
無論。彼の言葉はドア越しに馬人の鼓膜を震わせ、同時に喉も震わせていた。
ここには、誰の目もないと知るが故の緩み。しかし――
「誰だ――――ッ!」
僅かな視線を感じ、声を上げると一つの小さな黒い影が蠢いた。
アルフレッドは俊敏に飛び回るそれを点ではなく線で捉え、手刀で叩き落とす。
「キィキィー、キィィ……」
コウモリだ。中年ゴブリンが取り逃した連中なのだろう、という想像は容易であった。
「ここまで紛れ込んでいたのか……知的生命体に進化も出来なかった、ただのコウモリの分際で。虫けらが私を脅かそうなどと、笑止千万なのですよ。あのバカは減給だな」
コウモリの短い悲鳴を、磨かれた蹄で丁寧にすり潰したアルフレッドが嗤う。
(それにしても、やはり笑えますね。処女に釣られて嬢の顔や料金さえ確認し忘れるほど昂った下半身脳なバカは。ブルッ、フッフフフ。あぁ……バカはいい。金のなる木だ)
そして、堪え切れなくなった口元を右手で覆い隠し――最奥の一室へと姿を消した。
*
あまり褒められた事ではないが、トルポネは緊張で貧乏ゆすりが止まらない質である。
現に今も一分と経たずに、尻尾が大げさに何度も左右へ揺れてしまっていた。
(落ち着け落ち着け……おれがテンパる必要なんか一切ねぇ、そうだろう? その筈だ)
じんわりと滲む汗を拭い、自らに言い聞かせる。そうして、数十秒が経った頃だ。
ゆっくりとドアが開かれ、生唾を飲んだトルポネは現れた人物に目を見開いた。
「――――ッ!?」
二本の腕と四本の脚。六肢を有する、無垢と凛然が調和した顔立ちの――少女。
犬系獣人の豊満な上半身に描かれた紋様や強靭な馬の下半身は、的確に情欲を刺激するものだ。それはまるで、夢にまで見た運命の出会い。止めどない歓喜が、彼の胸を撃つ。
「……こ、こいつは驚いたってレベルじゃねぇな。てっきりおれは、手の施しようもねぇ悲しきモンスターが退路を塞いでくるんじゃねぇかと半分諦めてたところだったが」
「え。あっ……そういうこと、言われたことなくて。あ、ありがとうございます。わたしチワワって言います。こ、子犬系女子ですっ! えっと……優しくしてください、ね」
やや回りくどい遠回しな称賛に対し、少し戸惑った様子で少女は言葉を返した。
「グラマラスでしかも初体験の、チワちゃんね……今夜はおれとふたりでワルツかな」
なんですかそれ、と。応じる彼女は自然な笑みを小さく浮かべ、一歩前へ出る。
相変わらず尻尾を揺らすトルポネが両手を軽く突き出し、チワの動きを制して続けた。
「よく聞いてくれ、チワちゃん。きみはおれが思い描いたままのメスだ。誇っていい」
「そ、そうなんですか? あっ、ででもわ、わたしもおにーさんみたいなひと、すっごくタイプで……その、本当はちょっと安心しちゃいました。へん、ですよね。えへへ」
似た者同士の恥ずかしがり屋とでも思ってか、少女もゆっくりと距離を詰めていく。
「本当に、おれが思った通りのケンタウロス女子なんだ。こんなに、嬉しいことはねぇ」
「うぅ……そ、そんなことっ。でもわたし、今日は一生懸命ご奉仕させてもらあぺぇ」
そしてトルポネが後ずさる、瞬間。
不意に彼女の口から漏れたのは、間の抜けた呻きだった。
少女の背後――黒いもやのような何かが、太い首筋に噛み付いたのだ。
「けど……さすがに思い通りすぎだろ?」
少女から血の色が一気に引いていく。直後、激情とともにトルポネが言い放った。
「一昨日――おれが二秒で考えた淫紋が身体中にあるのはよぉッ!!」
「なヒィエアッヒュぅ――……ぁ、がッぺ」
絶命までの数秒。不意を衝かれた少女は、必死に身体を動かそうと試みる。しかし、
「あ、抵抗とか意味ないよー? これ、龍族にも効くアーちゃん特製の神経毒だしねー」
無慈悲にも、健気であろうと微笑んでいた少女の命は容易く崩れ落ちていった。
「うぇえ。なんか口当たりがみょーに気持ちわるくて、エーちゃん泣きそーだよー」
だが突如として現れ、彼女の命を奪った黒影――無数のコウモリ達が輪郭を描いたのもまた、ひとりの少女。赤い双翼で宙に浮かび、八重歯を血に濡らす童女だった。
絹のように輝く二つ結びの銀髪、澄んだ海を沈めたような碧眼。身に纏うストリート系な装いとダメージデニムショートパンツは、病的なまでに白い肌を覗かせている。
「……死んだのか? そんな一噛みくらいで。こんな面と身体のいい、ケンタウロスが」
「死んだよー。てゆーか……あー、そっか。はいこれ、飲んだら面白いよ~?」
恐る恐る窺う声に返ったのは、あまりに軽薄な笑みだった。しかし自身を守った少女のその言葉に対し、トルポネは続けるつもりであった偽善を口にする事を避けた。
ふとした思いを飲み込み、彼は投げ渡された錠剤を疑いなく口へ放り込む。
すると瞬きのうちに幻想が消え失せ、無情な現実が襲い掛かってきた。そこには理想の具現化であった少女は見る影もなく、彼女の本当の姿が映し出されていたのだ。それは、
「うげぇええッ!? チワちゃんが萎びたババアになっちまった! シワちゃんかよ!」
「えー、ひどー。実はえっちできるの、期待してたんでしょー? あー、やだやだ」
熟女という階段を飛び越え、老いらくの恋に目覚めたかのような白いタンクトップ姿の植人。
薄い色素の緑肌にはしわやシミが多く見られ、枯れた花を身体から生やすのは――アルラウネだ。落差に驚きを隠せないトルポネが、現実と理想の乖離に堪らず膝を着く。
「あ、それよりベッドから五秒くらいかけて逃げたほうがいいよー?」
「え?」
「いぃちっ――」
瞬間。ツッコミを入れる暇さえ与えられず、凄まじい銃声が室内に響いた。
放たれた弾丸はドアを貫通。刹那的な火を噴いて、周囲に破砕片をまき散らす。
散弾が横っ飛びしたトルポネの尾肉を削ぎ落とし、苦悶の悲鳴が上がった。
「いッ、痛てぇえええッ!?」
「掠って痛いで済むの、やっぱり頑丈って取り柄ですな~」
ベッドから転げ落ちて無様にのたうち回る姿を、吸血鬼――ヘンリエッタはおかしそうに見下ろしていた。それに文句の一つを言うよりも早く、二射目が続く。
「ぅ、おぉおお――――ッ!」
完膚なきまでにベッドを粉砕し、スナック感覚で壁が根こそぎ吹き飛んだ。
「ふっざけんな、あんた! 一秒じゃねぇか! 死ぬとこだったぞおれぁッ!?」
「悪気はあったよー? 人語って難しいよねー。てゆーか、これ絶対違法改造だ~」
「せめて謝れよぉ! このメンヘラヴァンパイアぁ!?」
余裕を含んだ声が届いたからだろう。すぐさま板切れとなったドアが蹴破られ、荒ぶる馬人がショットガンを構えて突入してきた。その背後にも、追従する小さな影が一つ。
植木鉢にすっぽりと収まるほど小柄で、うねった根のような身体を持ち、つぶらな瞳を驚きの色で染めている童顔の植人――それは、妖樹族のマンドレイクだ。
「許さん金づる殺すぞ女ぁッ!」
「おっ、おばあちゃん! おばあちゃん、たすけてあげてよ。ねぇ、ねぇってばっ!」
猛り狂い、歪んだ怒りを露わにして銃口を向けるアルフレッド。彼の膝に縋り懇願するマンドレイク少年の姿はあまりに純粋で、その眼差しにヘンリエッタが眉をひそめる。
「大体てめぇら何者で黙ってろオラァクソガキッ!」
「うぎゃーっ!」
蹴り飛ばされた少年が、壁にその身を打ち付けた。破片で肌を切ったか、出血もある。
理不尽な暴力にトルポネが険しい表情を浮かべる一方、少女は楽しげに笑っていた。
「おー、やっちゃえやっちゃえーっ! ほらそこっ、隙だらけのお腹にもう一撃っ!」
「なんつぅ女だ、こいつ……」
「でもまー、何者かと聞かれるとですなー。渡り鴉――そう名乗れば、伝わるかな?」
「――――っ! な、何を……そうか。貴方、この前のバカ爬虫類のお友達ですかよ」
渡り鴉。告げられたその言葉にアルフレッドの顔が一瞬だけ引きつり、脂汗が滲む。
だがどうにか平静を装い、彼は自身が今取るべき最善の行動を思案していた。
「言いやがったなッ! あいつを、ラドウィンを殺した落とし前をつけさせてやるッ!」
「ラドウィン……? あぁ、そんな名前でしたっけね。ですがお察しの通り、そこでくたばっている色気づいたタンクトップババアの腹に収まったわけで。今更、ねぇ……?」
そして醜悪な微笑を口端に描き、マンドレイクの首根を掴んで銃口を突き付ける。
「……確か、渡り鴉は一般市民に危害を加えない。そうでしたよねぇ?」
「まー、基本的にはそうだよー?」
心底どうでもよさそうに答える態度と声に、その気はやはり微塵も感じられない。
「ユ、ユニコーンは……やることなすこと女々しさ極まりねぇな! 汚ねぇよッ!」
「ハッ! ユニコーン社会が綺麗なものか! あそこは地獄さ、地獄ッ! メスに処女性ばかりを求めて。まずお前らは心の処女膜を破ってみせろよと言いたいね、私はッ!!」
「えー、じゃあ。処女が嫌いでー、熟女好きなんだー? ユニコーンなのに~」
「ハァ? 何、若作りに必死な年増長寿族みてぇなことを抜かしてんだ! 普通に考えてそんなわけねぇでしょうがさぁッ!? 初恋も処女も全部、私に寄越すべきだろッ!」
へらへらと煽る口調が癪だったのか、露骨に青筋を浮かべて怒鳴り散らす。
「うわぁ……清々しいほど典型的な、自分はいい他人はだめのダブスタクソ野郎だ~」
「いいか、追って来るなよ。さもなくばこいつのうす汚ねぇお顔をアートにしてやる!」
蔑み交じりの笑い声を耳にし、より鼻息を荒くした馬人が声高に警告。それから正面を向いたままゆっくりと後ずさり、廊下へ出ると、一目散に駆け出して行った。
しかし馬の脚力で逃走を図る背を追おうとしない吞気さに、焦った声が飛ぶ。
「おっ、おい! そんなのんびりしてていいのかよ! どうすんだ、これでいいのか!」
「えー? あいつ殺すのわけないけど、一緒にチビも殺しちゃいそー。殺すとアーちゃんしばらく口きいてくれなさそうだしさー。まー、アーちゃんにおまかせってことで~」
部屋の外で待機させていたコウモリの目を通じ、既に視野外な現状を確認。
彼女はピクニックにでも行くかのような気楽さで、プレイルームを後にした。
ふたりの向かう先。ぞんざいに扱われている少年が、動揺をそのまま疑問符とする。
「ど、どうして? ぼくたち、なんにもわるいことしてないのに? ねぇ、なんっ――」
「あーッ、おめでた過ぎるんだよバカがッ! マンドレイクでなければ殺してるぞッ!」
「ぇ…………ぁ、うッ。いたい。いたいよ、おにいちゃん……」
細い腕が潰され、芯が軋む。穢れを知らずにいた心へ、確かな痛みが走っていく。
「クソッ! そもそもバカなんですよ、あのアルラウネも! どう見てもババアの癖に、いつまでも自分を女子だと思ってて! なぁにが何々女子か! いい加減に夢から醒めて大人になりなさいよ! 取り柄は肥大化した自意識だけか? あァッ!? 気色悪――」
不満を垂れながら進み、屋外へ踏み出す。そして顔を上げた――その、刹那。
「ぬあぁああああっ! わ、私の第二の息子がぁああああッ!?」
「ほわーっ!?」
空に渡る快音が、一本角を根元から叩き折った。綺麗な放物線を描いて飛ぶ角は歩道へ突き刺さり、酔っ払いのコボルドに蹴飛ばされてさらに遠くの雑踏へ呑み込まれていく。
絶叫が周囲の視線を集める中。追い付いてきたヘンリエッタは、まるで自分のことかのように得意げな笑みを浮かべ、弾丸が飛来した向かいの雑居ビル屋上を見上げた。
「お~、ナイスショット! さっすが、アーちゃん。狙った獲物は逃さない系女子だ~」
「お黙りなさい、ヘンリエッタ。そのかわいいお尻に、銀弾ぶち込むわよ」
暗がりの奥。忍び装束に、迷彩柄のジャケットを羽織った金髪赤眼の少女が応える。
直後。彼女は、とんっ、と宙に身を投げ、高度二十メートルを自由落下していった。
「えー、ぶち込まれるなら違うのがいいかな~。この前、買ったのとかさ~」
呑気な物言いに、スナイパーライフルを担ぎながら九十度の下り坂を当然のように滑り降りた兎人が、ため息を漏らす。震える馬人の怒りも、苛烈さを増していく。
「このカスがぁああッ! 許さん許さんぞッ! この私の処女道を阻むなら死をも――」
「うるさい」
「あぱぁあああああっ!?」
コミカルな悲鳴に呼応し、傷口で不気味に蠢き始める何かは、粘菌だ。
蝕弾と呼ばれ、彼女の必殺を為す保険のそれは体内へ侵入。対象者の生命を糧に角から繋がる神経を伝って急激に成長し、心臓を的確に貫いて大地に根を下ろすのだ。
やがて角の先端に赤い花を咲かせ、刺々しく大口を開いた食虫植物が亡骸に生え出し、ひとりのユニコーンは店先に置かれた有機的なオブジェへと変貌を遂げていく。
「あわーっ!?」
着弾の衝撃で空高く放り投げられていたマンドレイク少年の悲鳴が、近づいていた。
真下にはヘンリエッタがおり、満面の笑みで小さな身体を迎え入れている。しかし、
「エーちゃん、子供キラ~イ。へい、パースっ!」
「うわーっ!?」
彼女はあろうことか少年を、バレーの要領で再び空へ放り投げる非道であった。
「う、うぉッ!? ひ、ひでぇ吸血鬼だな。鬼か? 鬼か……坊主、怪我はあるかよ」
「う、うん! ぼくはへいきだよ! ありがとー、おにいちゃん!」
そして今度こそトルポネの腕の中へ収まったマンドレイク少年が、無邪気に微笑む。
彼の心に、ヘンリエッタの理不尽に対する怒りなどはまったくの皆無だった。
「な、なぁ、坊主。あのふたり以外で、誰か他に手伝ってたやつを、知ってるか?」
うわぁ……と。やや引き気味に、変わり果てた馬人から目を逸らしつつ問い掛ける。
「ううん、しらないよー。ぼくと、おばあちゃんだけ……だと、おもう」
「そうか。そうだといいな……っぐ、おれはあいつの婚約者にどう報告すりゃいいんだ」
幼い声が告げた言葉にひとまず安堵し、トルポネは亡き親友に思いを馳せた。
幼馴染のラドウィン。そもそも今回の事の起こりは先週、彼が風俗から帰らなかった事にある。今夜で最後の風俗だと宣言したその日、彼は殺されてしまったのだ。
勿論、仲の良かった彼らは口裏合せで夜通し飲み歩いていることになっていた。
だからこそ、翌朝。彼の婚約者から『早く帰ってらっしゃい』という連絡があった時は肝を冷やしたし、まだ遊んでいるのかとトルポネが憤るのも無理のない話だった。
後日。ラドウィンの捜索届けを出そう、という話になった。けれど警察に事情を話す事になれば、嘘がバレてしまう。それ故にトルポネはひとり、親友を探しに出たのだ。
行き先は決まっていた。何を隠そう本人の口から『処女とヤれる店があるらしい』という話を聞いていたからで、メスノアナに足を運んだのも本当は今日で二度目なのだ。
中年ゴブリンの話によれば『あー。リザードマンを見た気もするっすけど、店長の客のことはわかんねぇす』といういい加減さで、思わず殴り飛ばしかけた――その時である。
金髪美少女に、背後から拳を収められたのだ。そして偶然にも出会ったふたりに経緯を伝え、トルポネは真相解明の依頼を出した。それが、三日前である。
やがて事件が『美貌を失い栄養失調なアルラウネを助ける為だと、幼いマンドレイクを騙して身を削らせ、妖樹族由来の強力な幻覚剤を生成したユニコーンで。彼が餌になる客の金品を奪い、幻覚剤を転売して儲けている』という全容を把握した後。トルポネ自らが囮として志願し、今日。アルラウネとユニコーンの殺害計画が決行されたのだった。
マンドレイクには情状酌量の余地があるが、人語を介す知的生命体の殺害は立派な重罪である。また暗殺ではない理由は、基本的に現行犯がふたりの勤め先の規則だからだ。
「おにいちゃん、だいじょうぶー? なかないでー」
慰められ、小さくうめき声を漏らしたトルポネは、少年の身体をそっと抱き締める。
その光景に温かな視線を向ける金髪赤眼――アデライードが、不満げな少女に言った。
「……ヘンリエッタ、どうしてケンタウロスではないと確認した時点で殺らなかったの。おかげで彼ら、危険な目に遭ったでしょう。上手くいったからよかったものの」
「そ、そうだぜ。だから気づいてねぇのかと思っておれ、あんな芝居をする羽目に――」
「だまれ。しゃべるなくそヤロー」
続く言葉を、彼女は過剰なまでの敵意で遮る。トルポネとて彼女に好かれていない事は理解していたが、その理由までは知る由もない。大人しく彼は口をつぐんだ。
「――ヘンリエッタ?」
ずいっ、と。微笑みが寄せられ、ヘンリエッタも叱られた子供のように委縮する。
「ご、ごめんなさい……ああいう店使う男も女も、みーんな死んじゃえって思って」
「だからこの後、あのお店を利用しているひとたちは全員、病院送りになるのね?」
「う、うん。コウモリ店中に飛ばして、客にも店員にも病原菌こすりつけてやった……」
「そう。でも、それ自体はどうでもよくて。私は、あなたの万が一だけが心配だったの」
「アーちゃん……」
既に集まりつつある周囲の視線に、気を留める様子は微塵もない。
ふたりだけの愛の輪郭が描かれ、それは真夜中とは思えない淡い光彩を宿すものだ。
(しかしあの女ども、さらっとひでぇことしか抜かしてねぇよな……)
改めて生を実感し、ため息を吐いたトルポネがそんな感想を抱く。すると、
「……すき」
「なによ、急に。そんなの……私もよ。んっ、ぁ……」
一輪の花が可憐に咲き、その存在を誇る。少女が、女へと塗り替えられていく。
そう在る事が初めから自然の摂理であったかのような息遣いが微熱を帯びて行き交い、触れ合った柔らかな感触を、互いの奥深くへ届かせる睦まじさは思わず目が眩むほどで、幾ばくかの営みを経て混じり合った銀糸が、僅かな隙間を埋めるように揺蕩っていた。
ふたりの世界が、さらに加速する。絡み合い、溶け合って、境目がなど分からなくなるほど一つになっていく。それは――ふたりで決めた、閉幕の引鉄だった。
喧騒の中。誰かが気付きを得て、上を指差した。途端、また一際大きい歓声が上がる。
無理からぬ事だった。誰しもが心の何処かで、彼らの存在を求めているのだから。
己の不可能を知り、抱えてしまった心痛――その解放を。エンターテインメントを。
そう、メスノアナの壁一面に浮かび上がったものは、言葉にしてしまえばただの落書きに過ぎない。しかしそれを誰が書いたかで、落書きはアートへと昇華されていく。
情熱的な足跡。白い一角獣と花人を貪る、ⅥとⅨのタグを付けた――つがいの黒鴉。
当然ふたりが犯行前に描いたものだが、知るのは当事者のみ。けれども、それは粗末事でしかない。何故ならば観衆にとって、目にしたものだけが真実であるからだ。
「これが、噂の黒鴉……正義執行の、断罪の、印……」
「ねぇ、はちゅーるいのおにいちゃん。なんでおねぇちゃんたち、ちゅーしてるの?」
だが少年にとっては目前のキスに軍配が上がるようで、きょとんと首を傾げていた。
「あ、あぁ……それはなぁ、坊主。女はいくつになってもメスだってわけさ……困ったことに。聞いたところによるとアデライードさんは、三百歳を超えてるとか何とか――」
「えー、と。おばあちゃんたちみたいに、うそつきってこと? げどー? ばばあ?」
「――――」
とびきり笑顔のばばあが、途端にぐるりと首を回してふたりに視線を向けた。
そのまま張り付けたように表情を保ち、ドスドスと距離を詰めていく。そして、
「わ、わわわっ、私は年増ではありません! そもそも、三百は四捨五入でゼロなんですよっ!? ご存じありませんかねぇっ! つまり、つまりですよ? おぎゃぁああっ!」
「なんでおれだけ――ッ!?」
年季と腰の入った拳が、的確にトルポネの柔らかい部分だけに叩き込まれた。
*
「いやー。やーっと、今回のお仕事も終わりましたな~」
「えぇ、そうね」
消えた友人の捜索依頼から、既に数日。アデライードとヘンリエッタは歓楽街から町をいくつか経由し、片田舎の舗装されていない道をのんびりと並んで歩いていた。
それは残された孤児のマンドレイクの少年を、幼年学校へと送り届ける為である。
彼女達の勤め先が懇意にする施設は大陸各地にあり、それを頼るかたちだった。
「むふふ~、やっとアーちゃん独り占めにできる~」
大きく胸を張って伸びをするヘンリエッタが、待ってました~とばかりにアデライードにべたべたと絡む。だが構われずにずるずると引きずられ、むぅーっと頬を膨らませた。
「かわいく唸ってもだめ。というか……重い。ちょっと太ったんじゃないの、ヘティ」
「うわーっ! アーちゃんってば言ってはならぬことを、言ってはならぬことを~っ!」
すると傷痕の残る碧黒い羽根を広げ、ヘンリエッタがふわりと浮き上がる。
それから改めて再び体重を預けてみせれば、呆れた様子でアデライードが言った。
「ヘティ、翼の偽装迷彩を解くのはやめましょう? ひとに見られたら絡まれるわよ」
「絡んでくるの、黒翼差別主義者だけだし。むしろ合法的に殺れるからいいと思うな~」
「ヘンリエッタ」
「はぁーい」
不満そうに間延びした声で応じ、ヘンリエッタは右手首のブレスレットを操作する。
傷んだ翼は瞬時に燃えるような赤へと変わり、傷も初めから無かったように消えた。
「そう言えばあの後、お店の様子はどう?」
「んーっ、とね。なんかー、中年ゴブリンの時給が二十ゴルドあがったらしいよー?」
「す、すごくどうでもいいわね……」
彼女が使役するコウモリの監視によれば、店員達は数日で退院。メスノアナも副店長がそのまま店長に繰り上がっただけで、たくましくもすぐに営業を再開したとのことだ。
「あとはー。ユニコーンで育った食虫植物に、謎の人気が出始めたんだってー」
「え、そうなの? なら、街中でもむやみやたらと殺されることもないのかしら」
「金を呼ぶ樹液って感じで、笑えますな~。さすがアーちゃんっ、素敵さんだよ~」
彼女達が制裁の証として、店に大きく描いたグラフィティアート――つがいの黒鴉も、逆接的に『ここは今、悪徳な店ではない』という風評に加担しているらしい。
「でー。アーちゃんってば、そろそろ読み終わったー?」
「もう少し。あとは追伸だ――……はぁ、読む? ここだけ」
「エーちゃんは、男が書いた文字列なんて可能な限り読みたくありませ~ん」
極端だとは思いつつも、アデライードはそれをわざわざ咎めはしない。
彼女が目を通していたのは、腕輪型携帯端末から中空に透写された一通のメールだ。
トルポネから捨てアドレスに届いたもので、それは概ね感謝を示すものではあった。
加えてどうやら風俗店で殺された親友の代わりに、その婚約者との結婚が急遽決まったようで、やたらと上機嫌な雰囲気はしかし素直に喜び辛いのが本音だろう。
さらにその感情へ拍車を掛けるのは、最後に堂々と書かれた追伸にあった。
『追伸:弱っているところに付け込んだみたいで複雑ですが、正直いつか寝取れないかなとか思ってたのは言わない方がいいですよね? いやー、それにしても買うなら自分よりでかい異種族が一番ですけど、結婚するならやっぱ幼馴染な親友の元婚約者ですよ(笑)そういうわけで、おれたち! 幸せになります! おふたりも末永くお元気で!』
「こいつ……」
「も~、アーちゃんてば、そんなのデリートして早くいこーよ~」
「もうしたわよ」
即座に端末から完全に削除して、ぶっきらぼうにアデライードは応える。
そしてずっと自身を掴んで離さずにいた細い指先へ手を伸ばし、引き寄せた。
「えへへー。あったかーい。それはそうと、アーちゃん。今度は何族でいくのー?」
「このままでもよくないかしらね」
赤翼を背に畳み、ヘンリエッタは満足げに着地。そのまま腕を絡めて密着する。
「却下です~! だーめーっ!」
「そう……」
生まれつきやや押しに弱い性格ゆえか、否定することもなく思案を始めた。
奴隷以下という烙印を押された黒翼人種のヘンリエッタとはまた異なる問題を、アデライードが抱えていることは事実なのだ。元引きこもりは存在自体が稀少である為、種族を偽装しなければ人攫いやナンパを始め、あらゆる胡散臭い人々を集めてしまうのである。
「よし、決めたわ」
と、心地良い重さを得ている左の腕輪を操れば、両耳が兎から猫へと変わった。
これはあくまで他者からそう見えるよう施されているだけで、触れれば違和感が生じるものだ。とはいえヘンリエッタが独自に開発した装置は、時代の先を行くものだった。
「あ、ネコミミだ~。かーわーいいーな~ぁ」
「ふふ、知ってる」
そう、冗談交じりに返す。だが、ぶーっ、とおもむろに尖った唇は否定で応じた。
「それちがーう。エーちゃんは、アーちゃんのにゃんにゃんを所望するのであ~る」
「えー。うーん、しかたないわね……じゃなかった。んんっ――しかたないにゃんっ」
「うにゃぁあ~っ、じゃあじゃあっ! 次はねー、次はね~ぇ」
最早どちらが猫か分からないほど溶けているヘンリエッタに、アデライードが微笑む。
(これでいい、これがいいのよね……)
これが、自分たちの望んだ生活なのだと。そう、胸を張って言えることは幸福だ。
何も知らずに外界へ飛び出し、出逢い、後悔して、傷付き、舐め合って――溶け合った全ては間違いでなかった。彼女とふたり、笑っていられる今があるのだから。
「はいはい。でもなら――私には、そうね……膝枕でもしてよ?」
「ふふーん。言われなくても勝手にしてしまうのがっ、そう! エーちゃんなのだ~」
けれど、それは――積み上げた屍の上に在るものだということを、忘れてはならない。
時は天歴八〇三年。白翼の天使が世の覇権を握り続けるテラリウムには、自由と正義の名の下。闇を照らす光へ集い、諸悪を為して諸悪を征する者共の姿があった。
黒鴉の旗を掲げ、外法と定めた者だけを裁く正義の味方――世界の敵。
名を――《レイヴン》。
かの組織には、指導者よりⅩナンバーを授かった特別な執行者が存在していた。
ナンバーⅥ――〝刹撃孔蝕〟アデライード。
ナンバーⅨ――〝荊獄の相弔〟ヘンリエッタ。
そして、常にふたりで任務を遂行する彼女たちはこうも呼ばれていた。
〝溶け合う恋人たち〟――――と。
いかがでしたでしょうか。
続きを書く気は今のところ特にありませんが、感想・評価等ありましたらよろしくお願いします。
この他『巡行聖女リーシェさんの懺悔室』(短編)、『メリトコリック・リバースサイド』(ロボゲーやってる恋愛もののような何か)、『昔から何でも話してくれた幼馴染にある日突然「昨日、彼氏ができたんだよね」と言われ、クラスの女子に泣く泣く相談したら幼馴染の彼氏の幼馴染と付き合うことになった。』(現代ラブコメ)を書いてますのでそちらも一読いただければ幸いです。
それにしても。なろうはやっぱり、タイトルとざまぁ要素が正義なんですかねぇ……。