1-1章 Hello, world
暗い微睡の中を意識だけがゆらゆらと彷徨っている。生きているという感覚さえ正しいのか分からず、暗い水中の中を泳ぐようにぐんぐんと進んでいく。やがて、光がさしたように長い水中という檻の中からゆっくりと、ゆっくりと---
「ねぇ、ぼく。大丈夫?」
優しい声が私の真上から聞こえてくる。ゆっくりと、現実と意識が自分の中でリンクし始めて静かに目を開く。俺の目の前には、耳がエルフのように長く、黄色い長髪を背中まで伸ばした女性が俺を抱きしめているところだった。
「ここは?私は研究所で...っっ!?」
自分が死ぬ寸前の記憶がフラッシュバックしたのか激しい頭痛に襲われる。俺は女性の胸元から飛び出し、地面の上に転げ落ちる。
「本当に大丈夫?早く村に行って手当てしなくちゃ」
目の前にしゃがみ込んでいる女性が私に目線を合わせて心配そうな顔を見せる。ん?目線を合わせる?
「...」
ふとした違和感を覚えて、私は自分や自分の周りを見渡して極めて冷静に状況を確認する。ああ、そういうことか。
「私は、いや俺は、異世界転生したのか…」
そして今度は自分の状況を飲み込めず、「なんでだよー!!」と叫ぶ。こんな非科学的なことが現実に起こりうるのか?研究者だった手前、こういったファンタジーは信じない質だったんだが。
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「私の名前は、アン。とりあえず村まで案内するわね」
俺が事態の理解をするまでの数分の間、俺を見つけてくれたアンと名乗る女性は目を丸くしながらも付き添ってくれていた。しかしその代償というべきか、それまでの俺の奇行まで見られてしまったため、差し引きゼロといったところだろう。しきりに口元で「イセカイテンセイ」と範唱しているもは、場違いながら少しおかしかった。俺は、幼稚園児くらいの年齢で、長袖半ズボンといったなんとも奇妙な格好で転生していたらしい。愛用の白衣などはいったいどこに消えてしまったのだろうか。初心者ログインボーナスとして、せめて自分の所持品などはこの世界に持っていきたかったものだ。
「ありがとうございます」
なんとか平静を取り戻した俺は、かろうじて出てきたお礼の言葉を返す。村までの案内を買って出てくれた彼女の言葉に甘えて俺はその後をついていく。とりあえず、ここはどこかくらい聞いといたほうがいいな。
「すいません、ここってなんて名前の国なんですか」
「え?ぼく、頭打ってちょっと混乱してるのかな?ここは、ウィットネスっていう小さな村よ」
この世界に対して無知な俺に、アンは優しく答えてくれる。元の世界とは違い、国という概念がこの世界にはないらしい。第一村人を彼女しか見ていないため判断がつかないが、時代背景的に異世界おなじみの中世ヨーロッパ的な世界観のように感じる。
「そうなんですか。ありがとうございます。ウィットネス村ってどんなところなんですか?」
「活気のある町よ。でも、お年寄りと子供しかいなくて私みたいな大人はあんまりいないの」
アンはラジーナ村についてそう答える。どうやら、日本の典型的な過疎集落のような状態に陥ってしまっているらしい。行くあてもないので贅沢は言ってられないが、東京生まれ東京育ちで、人とビルに囲まれて育った俺からしてみたら生きていけるか不安でしょうがない。
「それにしても...」
アンにも聞こえないような独り言で俺は、意識が覚醒する前の自分の状況をさっきから思い出そうとするがどうしても思い出せない。思い出そうとするたびに、今は慣れて意識的に我慢している頭痛がズキズキとぶり返している。"--"だったころの記憶がどうしても思い出すことはできない。それ以外は割とすっと思い出せるけど。ひとまず、昔の自分のことは置いといてアンについていき、ここでの生活についていくことが重要なようだ。数分歩くと俺たちは森を抜け、ウィットネスと呼ばれる村にたどり着いた。