Prologue 燃え盛る日の中で
「侵入者発見、侵入者発見。施設内のハッチをすべて封鎖します。関係者の職員は直ちに屋外への避難を開始してください」
耳に嫌に響くサイレンの音と無感情な機械音声が延々となり続けている。私は、手に入れた機密書類を持って屋外の脱出を試みる。滴る汗と、体のあちこちにできた傷で愛用の白衣が汚れていくのも構わず、ひたすらに走り続ける。
「はぁ,,,はぁ,,,」
ずいぶんと長い距離を走ったような気がする。研究者というのは1日中部屋にこもって作業するのなんて日常茶飯事でこういうときに日ごろの運動不足に頭を抱えたくなる。おまけにここ1か月ほど、ミスをすることが絶対に許されない研究をしていたので、寝不足も重なり足元はフラフラでおぼつかなかった。
「くそ、、こっちじゃないのか」
迷路のように道が四方八方広がる研究所内を無我夢中で走り抜ける。なんだか働き蟻になったような気分だと、余裕のないながらもそんなことを思い浮かべる。突き当りのところから警備員らしき者の声が聞こえたので、一つ前の角で身を隠し、様子をうかがう。
「こっちにいたか?」
「いや、まだ見つかっていない」
「あんな馬鹿げた研究をつぶせたのはいいが、その張本人の死を報告せねば上も我々に何をしでかすかわからないからな」
おそらく二人いるであろう警備員が二手に分かれて前を通り過ぎていく。幸い物陰に隠れていたのでやり過ごすことができた。姿が見えなくなったのを確認してから、出口に向かって走り出す。本当は自分のラボに戻り、もう少し書類を回収したかったのだが、こんな状況ではラボで作業することはおろか、戻ることも難しいだろう。
「おゎ!?」
ひときわ大きな地震が私の足を揺らす。あまりの疲れで顔面から地面に倒れこんでしまう。手から書類がすべて地面にばらまかれてしまう
「くっそーっ…いって」
先を急ごうと立ち上がった矢先、自分の足に違和感を覚える。転んだ際に、床に転がっていた瓦礫で右足を負傷したらしい。何とか歩けるので、素人目にも折れてはいないだろう。おそらく捻挫の類で済んだのだと思う。
「こんなときに…」
私は何とか立ち上がり、壁伝いに一歩ずつ、ゆっくりでも足を進めていく。落ちた書類はそのままにしておいた。どうせ誰もこれを理解できないだろうし、じきにこの研究所も火の海になり、書類も消えてなくなるからだ。それにこの研究で大事なのは自分自身であり、システムや装置は二の次である。道中に私以外負傷している者はいなく、全員逃げれたのかと場違いな安堵感を覚える。システムを理解できるのは自分自身だけだと思うが、自分のわけのわからない研究に付き合ってくれた職員、ラボメンバーには感謝してもしきれない。
「いたぞ!あそこだ!!」
後ろから大きな声で、おそらく私を見つけたであろう警備員の声が聞こえてくる。さっきから一定の周期で流れる警報音と私を血眼で見つけようと叫んでいる警備員の怒号が、意識がもうろうとする頭の中でじんじんと響く。
「チッ…」
軽い舌打ちをして、ここから逃げられないと判断して、私は近くにあった部屋のドアノブに手をかける。幸いにも扉は空いていて、そのまま体を投げだすように飛び込んで、鍵を閉める。
とりあえず、扉からは距離をとり地面に座り込む。自分の鼓膜には、外からドンドンと扉をたたく音と、先ほどからの地震で天井のきしむ音、そして、だんだんと弱くなっていく自分の心臓の音しか聞こえなくなる。どうやら血を流しすぎたようだった。
「よもやここまでか…」
薄れゆく意識の中で私は独り言つ(ひとりごつ)く。今にも開きそうなドアがメキメキと音をたて、破壊の瞬間が刻一刻と迫っていく。残された時間はわずかで、決断の時が迫られているのが物理的にも精神的にもわかる。
「ついにしくじったな...」
今まで失敗のない人生を送ってきたつもりだったが、最後の最後の大一番でやらかした。正直、期待をかけてくれたものには申し訳ない気持ちになる。そして、ひときわ大きな地震が床を揺らし、機材や照明がぐらぐらと揺れる。
「お父様...お母様...」
二人は元気でやっているのだろうか。二人と私の記憶が走馬灯のように脳裏に浮かび上がってくる。だが今最も重要なことは、
「あいつらをどうするかだ」
鉄でできた固い扉をどうにか開けようと扉の奥にいるであろう警備員は今も鈍い音を立てながら扉を叩いている。
「よし...」
私は、白衣の右袖を引きちぎって、包帯代わりに右足に巻く。これでいくらかはましになっただろう。俺はふらついた足取りでドアのそばに空を預ける。しばらくドンドンと音を立てたのち、扉が破壊される。それを見るや私は警備員を横から押し倒し、部屋の中を脱出する。
「これでいくらか時間稼ぎが...ウッ!?」
俺は、足もとから床に崩れ落ちる。どうやら右足と右胸あたりを銃かなんかで撃たれたらしい。包帯を巻いた足からはどす黒い血がしみだしている。
「クッ...ソッ」
俺は何とか物陰に体を隠すと、壁に体を預けて横になる。胸からの流血は止まらず手を当てて血を止めようとしてもドクドクと血があふれ出す。
「絶対に逃がすな!!」
数10メートル先から警備員の怒号が聞こえ、俺を追いかけてくる。そこで先程よりもさらに強い揺れが起き後ろから何かが崩れたような大きな音が聞こえてくる。恐る恐る後ろを振り向くと、幸か不幸か天井が崩落してその道をふさいでいた。
「ざまあねえな。ウップ!?」
俺は、口からあり得ないほどの血反吐を吐き出した。目の前の景色がクラクラとし曖昧になり、体から体温という人間にとって必要な機能が失われていく。結局、天井の崩落があろうがなかろうが、死期が数秒伸びただけだった。
「このままいけば大丈夫だろう...」
右足と胸からの血、それからさっきの吐血の沼にダイブして俺はゆっくりと目を閉じる。
「これは...ら...せに...」
無意識な独り言が口をつきつつ、俺の意識は彼方へと消えていく。私の体に天井のコンクリートが降ってくるのと意識が途切れたのはほとんど同時だった。