気になるあの子のセカイ:男子禁制の秘密基地
「記憶の郵便屋」がある街の隙間にひっそりとたたずんでいた。そこで働くヒトメは記憶を無くした青年。青年は精神の世界である「夢世界」を通して依頼者の記億を配達している。その夢のなかでの配達の途中で彼は自分の過去を思い出すが、起きたときにはいつも忘れてしまっていて……。
男子禁制の秘密基地
鏡のなかを通り抜けて見えたのは、身長ほどの高い草が生い茂る原っぱであった。ヒトメが草木をかき分けて進むと、前の方に大きな木を見つける。
よく見るとその上になにやら小屋のようなものがあるのがわかる。まるで秘密基地のようだとヒトメは思った。さらに近付いて木の根元を見ると、そこにはサッカーボールや虫取り網やらおよそ男の子のおもちゃと言える物々がひどく散乱していた。おそらく秘密基地から落ちたのであろう。
ヒトメは秘密基地へと続く階段を登る。そしてその前にやってくると、ドアのないその小屋の入り口から探していたツインテールの彼女の後ろ姿が見えた。ヒトメは少し気を引き締める。
「だれ?」物音に気づいた彼女がヒトメの姿を見ずに尋ねる。どうやら彼女は服を縫っているようだった。
「郵便配達。」
「郵便?」思いがけないことだったのか、彼女は振り向いてヒトメを凝視する。
「郵便なんて一体誰から? そんなの初めて。」
「差出人はあんたをどっかのカフェで見かけたっていう高校生の男の子。その子はよくそのカフェに行くらしいよ。思い当たる節はある?」
「カフェっていうのはたぶんあの店のことだけど、その子のことは知らないわ。」そう彼女が言ったあと、ヒトメはそのカフェの場所を尋ねた。
「それよりその人はいいとして、あなたは一体誰なの?」郵便配達という言葉では納得のできない彼女がさらに聞いてきた。
「オレは現実世界で記憶の配達の依頼を受けた届け屋だ。依頼主の記憶を持ってきた。」
「現実世界ってどういうこと?」
「あんたにとってはここが現実かもしれない。でもオレにとっては夢の世界。……正確には夢も記憶も含めた精神の世界、だけど。」
「そんなの信じられないわ。」
「だろうな。でもオレはここに来てしまったわけだし、荷物もここにある。」
「・・・・・・それじゃあ、とりあえずその荷物とやらをいただけるかしら? それ次第でいろいろわかると思うわ。」
「そうだな。それじゃあサインをここに。」
「サインはいや。」
「・・・・・・・そう言うと思ったよ。」夢の世界の住人は署名を嫌う。夢の中で自分の名前を言うということは、現実を思い出すことだからだ。
「でもオレは君に荷物を届ける必要がある。そして受け取りにはどうしてもサインが必要なんだ。だからこうなると、あんたにサインしてもらうために少し嫌な思いをさせなくちゃいけない。」これからするのは、そう。彼女を夢から少し目覚めさせること。
「ここに来るまでにいろいろなものを見てきたよ。変なクマとか喋る化粧品とかな。男と女が混ざったような巨人もいたな。・・・・・・それで、オレの答えはこうなった。」そう言ってヒトメは一息をついた。
「あんた、本当は男だろ?」
「っ! どうして・・・・・・。」
「あんたが認識してるかどうかはわからないが、オレがここに来るまでの道ってのはな、早い話あんたと関係のある夢なんだ。その夢は他の人とも共有してる。だからごちゃごちゃになった記憶の中からあんたの情報だけをなんとか辿ってここまで来れたわけ。」
「・・・・・・。」
「最初は信心深いクマ。その夢から察するにあんたはなかなか何かに対する信仰心が強そうだ。あのクマもお唱えってやつにだいぶ執着してたしな。言葉の風船が耳から飛んでくるって夢はあんたが感じてる他者との不安……なのかもしれない。誰もあんたの話に耳を傾けてくれないって感じてたりな。化粧品たちが言ってた嘘って言うのは、実はあんたが男だったってことで、男と女の巨人が痴話喧嘩って夢は、あんたの中の男の部分と女の部分が喧嘩してるってことかも。そしてこの秘密基地のおよそ男の子のおもちゃと思われるものが捨てられていたのもあんたの性別と関係ありそうだ。あんたもあいつらのこと、知ってるだろ?」
「ああ…知ってる。」そう言った彼女の声は完全に男のものになっていた。
「なんだか探偵みたいだね。ミステリー小説でも書いてみたらどう?」
「いや、読むのは好きだが、書くのは無理だね。それにオレはあんたの夢のなかの深層心理ってやつを覗かせてもらっただけで、大したことはしてないんだ。トリックも何もない。ただオレがあんたの心の中を少し感じ取れるってだけなんだ。」
「そうか、心の中を覗かれているわけか。なんだか恥ずかしいね。」
「今だけだよ。オレ、目が覚めたらほとんどすっかり忘れちゃうから。」そう言ってヒトメは手紙を取り出した。
「これが郵便物。ラブレターかもな。」
「・・・・・・ラブレターだなんて、笑っちゃうね。もしラブレターだったら、それを貰ったところで、その子の願いは叶わないな。」
「そうなのか?」
「配達人さんは僕のことをどう思う? 世間ではジェンダーフリーなんて叫ばれてるけど、そんなものはね、みんな他人事なのさ。みんな口だけで、いざ僕たちみたいなものに近寄られると嫌な顔をするんだ。」彼女は机の上の裁縫用具をおもむろに触る。
「ふふ、でも滑稽なのは僕もそういう人たちと同じってことさ。姿は女の子として生きたいけど、男として女の子が好きだ。だから男が男を好きってのは僕にはよく理解できない。男の人から誘われたこともあったけど、すぐに断ってしまったよ。わがままばっかりだよね。誰にも僕の心の内なんてわかりっこないんだ。」
「なんとなく、わかるよ。」
「どうして?」彼女は少し語気を強めて言った。
「オレはいまその心の内にいるわけだからな。」
「・・・・・・。」
「あんたがサインをしないのは男とか女とか、他人がどうかとか、そういう問題じゃない。あんたは自分に自信がないだけなんだ・・・・・・と思うぜ。」ヒトメは言葉を付け足した。なんでもきっぱり決めつけるのは彼の悪い癖だった。
「この記憶の配達ってのはな、滅多にあるもんじゃない。それに、送り主の強い気持ちがないとオレはこの世界に入れなかったんだ。」ヒトメは手紙を受け取り人に見せながら言った。
「それにもう名前、思い出してんだろ?」
「まあね。」
「どうする?」
「……わかったよ。」そうして彼女は配達書に「ウルシバラ・ヒデヨシ」とサインをした。その瞬間、その受け取り証書が鈍く光った。
「よし、配達完了。良い夢見なよ。」
「君が僕を夢から覚ましておいてよくそんなことが言えるね。」彼女がふふっと笑った。
「オレの言ってるのはその手紙の中にある記憶の話。きっといいもんだぜ。」
「……ねぇ、配達人さんはなんて言う名前なの? 僕は自分の名前が嫌いなんだ。なんだか男っぽすぎてさ。」
「オレはヒトメ。」
「ヒトメ?」
「オレさ、人と接するときに人の目をよく見るんだ。だからヒトメ。」そういうと彼女は首をかしげた。
「どういうこと? それってなんだか名前の理由としては変じゃない?」
「ああ、これはオレの本当の名前じゃない。……オレさ、記憶喪失なんだよ。この名前はうちの店長につけてもらった。」
「そうなんだ……。記憶喪失ってどんな感じ?」
「頭がスッキリする。」
「記憶を取り戻したいと思う?」
「まあな。でも今一番の優先順位は配達だよ。」
「でもさ、僕……。」
「ん?」
「僕、もしかしたら君のことを知っているような気がする。」
「え?」
「赤いドレスの彼女の知り合いじゃない?」
ヒトメはいきなりそう告げられて驚く。そして彼女がどこかの場所を言うとヒトメは思い出したようにはっとした。
「そうか、あのとき、オレは・・・・・・!」
次の瞬間、ヒトメは目を覚ました。
ヒトメがふっと姿を消したのでヒデヨシは少し戸惑った。しかしそれからどうしようもないと思ったのでさきほど貰った手紙を開いてみることにした。
するとそこには彼女のいきつけのカフェの店内が広がった。その景色の中には彼女も座っていたが、他の席に座っているおとなしそうな男の子に彼女は初めて気づいた。店内は雑音にまみれていたが、その中で彼の声が彼女のなかでこだまするように響く。
「あの子、今日もかわいい格好してるなあ。服はどこで買ってるんだろ。それに男の子なのにあんなに堂々とできるなんて。」ヒデヨシは驚いた。
差し出し人に正体が男だとばれていたのだ。
「でも、話かけるきっかけが無いんだよなあ。」彼がそう言ったところで、ヒデヨシは目を覚ました。