気になるあの子のセカイ:プロローグ
「記憶の郵便屋」がある街の隙間にひっそりとたたずんでいた。そこで働くヒトメは記憶を無くした青年。青年は精神の世界である「夢世界」を通して依頼者の記億を配達している。その夢のなかでの配達の途中で彼は自分の過去を思い出すが、起きたときにはいつも忘れてしまっていて……。
僕は高校から直接家に帰るのもつまらないと感じたので、中心街で少し寄り道をすることにした。あの辺りにはお気に入りのカフェがあるのだ。
カフェに向かって歩いていると、目の前から歩いてくるある人に目が止まった。おそらく40代くらいの男性と思われるその人は、太った身体にピンクのドレスを纏わせながら上機嫌で歩いている。僕は少し目を背けた。彼が通り過ぎると、横を歩いていた僕と同い年くらいの女の子二人が彼について話しているのが聞こえた。
「ねー、いまのおっさんきもくない?」
「やばいよね。あたし、パンツ見えちゃった笑。あとで目、浄化しとかないと!」彼女たちはゲラゲラと笑っていた。
「それよりさ、ことりちゃんの投稿見た? もうまじでかわいくてさ! みっちゃんが言うにはまじでうちらと同じ高校らしいんだけど、そんな子いなくない?」そんな言葉を小耳に挟みながら後ろを振り返ると、その男性が小刻みにステップをしているのが見えた。
前を向いてまた歩き始めると、薄暗い横道がふと目に入った。いつも視界に入っているはずの道なのに、その道の先に何があるのか全く知らなかったのである。妙に気になった僕は目的のカフェに行くのをやめてその薄暗い細道に足を踏み入れてみたのであった・・・・・・。
「今回の依頼人はシドウ・ヒバリくん、16歳。市内の高校に通っている男子高校生。で、これが彼の水晶。」店長がヒトメに説明する。
「高校生っすか。じゃあきっと金はそんなに持ってないだろうし、記憶は割と明確っすね。」
「そうだね。」依頼料が安くなるに従って配達のヒントになる依頼主の記憶は明確になる。これによって、ヒトメの配達の難易度が変わってくるのだ。
二人は水晶のなかを見る。そこには依頼主の男の子がカフェで勉強をしている光景が広がっていた。その周りにはコーヒーを飲んでいる初老の男性、若いカップル、女性の店員などが微かにぼやけて映っている。
「これは割と面白い記憶だね。なるほど。」店長はそう言ったが、ヒトメにはなんのことだかよくわからなかった。
「それで依頼のことだけど、今回は受け取り人の名前が不明。ただ依頼人の情報によれば、大きな黒髪のツインテールをしたドレス姿の女の子らしい。」
「あ、名前はわかんないんすか・・・・・・はあ、めんどいなあ。」ヒトメはため息をついた。名前がわかっている配達とそうでない場合でもまた配達の過程に差が出てしまうのだ。
「まあまあ、しかたないよ。少しぼやけてるけど、この子だね。」店長は水晶のなかを指さした。ヒトメが目をこらして見ると確かにツインテールと思われる姿をした影があった。
「この子も多分高校生くらいっすか。でもたぶんオレよりは年下っすね、なんとなく。まあオレ、自分の歳覚えて無いっすけど。」ヒトメはヒヒっと笑った。
「わかりやした。そんじゃ行ってきますよ。」ヒトメは店長の目を見ながら言った。
「うん、頼んだよ。」店長はおっとりとした様子で言った。
それからヒトメは配達の身支度を始める。ネイビー色のシャツに黒いパンツ。山吹色のライトジャケットを羽織り、頭の頂点が膨らんだ形をしているキャスケット帽をかぶる。そして最後に淡いオレンジ色のマスカレイドマスクを目元に装着。これは配達の際に受取人に顔を見られるのを防ぐためである。夢の中と言っても顔を覚えられる事があり、現実世界で接触してしまう危険性があるのだ。
そうして準備を終えると、彼はいつもの休憩室のソファーの上で水晶を抱えて目を閉じた。
ヒトメが眠ってから30分ほど経つと、金髪のおさげ髪をした大学生ほどの歳の女性が店に入ってきた。
「あれ? ミヤコちゃん。どうしたんだい? 今日はお休みでしょ?」
「店に忘れ物しちゃって。」ミヤコと呼ばれたその女性が答える。
「バカはいまダイブ中なんですか?」
「うん、ヒトメ君はいまお仕事中。」この店では夢に入ることをダイブと呼んでいた。
「今回はどんな客なんですか?」ミヤコが聞くと店長はミヤコに依頼書を渡す。
「ふーん、気になる女の子に記憶配達か。告白ですかね。そのまま面と向かってガツンと言っちゃっえばいいのに。」ミヤコが依頼書を見ながら口の中で棒キャンディを転がす。
「直接言えないからこその記憶配達じゃないか。そういう人のためにうちはあるんだから。」
「でも、わざわざ金も記憶も払って告白だなんてね。」
「それでも彼はそれで店まで来れた。それが彼の思いの強さの証拠だし、どうしても直接言えなかった理由があるってことだよ。」店にはすべての人が来れるわけではない。本当に何かを誰かに伝えたいという強い気持ちが依頼者を店へ導くのだ。
「ま、それもそうですね。っていうかあれ? この子、どこかで見たことあるような……。」ミヤコは依頼人の顔を見て首を傾げた。
気がつくとヒトメはコーヒーカップに口をつけていた。彼はいま、さきほど水晶のなかに映っていたカフェの一席に座っている。水晶のなかと同じように辺りは時間が止まったように静止しているが、彼だけがそのなかで動くことができていた。
「さてと、あの子だな。」その受取人であるツインテールの女の子は店の一番奥の隅の席に座っており、水晶に映っていたように輪郭がぼやけていた。ヒトメは彼女に近付くと、その肩に手を置いた。
「ちょっと邪魔するよ。」次の瞬間、彼女が座っていた横の壁が崩れてトンネルが現れた。その先に微かに光が見える。ヒトメはトンネルの中を歩き始めた。