72、短剣
今年十一歳になった我が義理の息子サイモンは、父親から与えられた木製の短剣を肌身離さず持っている。
木製とあなどるなかれ。
立派な革製の鞘に納まるそれは、マングローブの木から削り出したもので、ペーパーナイフのごとく仕上げられた剣身はあつかいようによっては心臓をも貫くという。
その柄に彫り込まれている海竜は、もともとは我らがご先祖様が掲げていた船旗の図柄だそうだけど、いまはグリム男爵領の紋章になっている。
マックスは息子に短剣のあつかいを仕込みつつ、これに恥じぬ行いをせよと日々諭している。
それに比べて……マッケンジー辺境伯って家庭的にはダメ人間なのかなぁ。
まあ、こっちにとっては大変都合のいい展開ではある。
「話にならぬな」
私は手振りで、船大工たちを一歩下がらせる。
「身分詐称、しかもよりによって高位貴族の子弟をかたるとは笑止千万。我が領を探りにきた間諜の疑いが濃厚であるによって、クレマンティーヌ・ジェシー・グリムの名のもとにお前を捕縛する」
「な、なにぃ!」
相手が軽くパニックを起こしてるうちに、水魔法でドーン。
かなり手加減したつもりだけど、少なからず青年の体が浮いて、まわりをとり囲んでた船大工に受け止められた。
顔に当てて眼球破裂とかシャレにならないから、胸を狙ったんだけど強すぎた?
一瞬、息でも止まったのか、苦しそうに胸を押さえて呻いてる。
まあ、とにかく抵抗する余裕はなさそうだ。
「そうとう手加減したつもりなのだけれど、肋骨でも折れたかしら」
「奥方、やりますなぁ」
「……あざにはなるだろうが、骨の方は大丈夫そうだ」
水に濡れた服を軽く剥いた船大工が報告してくれる。
「あら、よかった。では、逃げ出さないようにしっかりくくって、牢に入れておいてね。もちろん牢の中では縄は解いてけっこう。そうそう、見せしめ用の移動式の牢があったわね。あれに入れて中央広場にでも置きましょう。いちばん簡素なものでかまわないので、着替えくらいは用意してあげてちょうだい」
貴族の子として常に人に囲まれて育った人でも、まるで別の意味をもった衆人環視の的になるのはこたえるだろう。
「ほんとによろしいので」
「責任は私がとります。その阿呆が目を覚まして責任の所在を問うたら、私の名前を出してかまいませんわ」
「はぁ、奥方がそう言うならそうしますが」
「そういえば牢ではどんな食事が出るのかしら」
「黒パン一つに、一杯の水。それが日に二回ですな」
「よきかな、よきかな。反抗的なら小突くくらいはかまいませんけれど、見える傷は困ります。面倒でしょうけれど、その辺は注意してちょうだい」
「へいっ」
「合点承知」
彼らにとっては厄介事が増えただけのはずなんだけど。
なんか皆、楽しそうだね。




