58、歴史
いま私はサイモンと一緒に、グリム男爵領の歴史について学んでいる。
先生は、街の古老ダットリー。
彼は文盲ですべてが口伝なので、この国の文字が読めないサイモンにとっても、とても良い先生だ。
それから、執事長の推薦を受けた執事見習いのテリーが同席してるけど、彼にはグリム男爵領史の編纂を命じてあるので、常に並々ならぬ緊張感を漂わせてる。
「では、今日もはじめるとしよう」
「よろしくおねがいします、先生」
はじめは渋々やってきたダットリーだけど、午前中に休憩をはさみながら二時間ほど講義、そののち昼食を食べてもらったら途端に上機嫌に。
それからは嬉々として通ってくるようになった。
実際、ジャムの新作料理を目当てに男爵邸を訪れる者は少なくない。
港湾長のグレンしかり、造船所長のバトリーしかり、商業ギルド長のアーノルドしかり。
いや皆、ちゃんと用事があって来てるんだけどね。
さて、そんな彼らはもちろん、古老であるダットリー自身が生まれるずっとずっと前から話ははじまるのだけど。
この地には名前すらない小さな貧しい漁村があるだけだった。
厳密に言えばマッケンジー辺境伯の支配領域なのだけど、まったく旨味がないので徴税官すらおとずれなくなり、すっかり忘れ去られてしまったというわけ。
当時は海を渡るなんて誰も考えなかったし、筏に気をもったくらいの舟で自分たちが食べる分だけの魚をとるのがふつう。
なんの手も加えない魚介類は足がはやく、よそへ持っていって売ることもできなかったそうだ。
海辺でとれる価値のあるものといえば、塩を真っ先に思い浮かべるけど。
当時もいまも、隣接するカダナット辺境伯領がその製造を独占。
当然、塩の製法方法は秘匿されていて、小々気の利いた者が海水を煮詰めようとしたところで、大量の薪を使うことを思えば買ってしまった方がまだ安い。
それでなくても塩は、製造するにも販売するにも輸送するにも王家の許可がいるので、存在すら無視されてる村には、どうにも手の出しようのないものだったわけだ。




