52、暗号
それから数日は夫婦して、必死で子供向けの本を訳してたのだけど。
絨毯のシミを抜くように、魔法で書き間違いを消せることに気付いて時々使ってたら、夫が青くなってた。
いや、別にふつうにナイフで削ってもいいんだけどさ。
え、そういうことじゃない?
そうねぇ。書類の保管場所には十分気をつけた方がいいよねぇ。特に契約書とか。
それはともかく、二人ともちょっと無理をしすぎたかな。
一緒に食事をとるようになったサイモンに目の下の隈を指摘され、大人な提案をされた。
「僕のことを守ってくれようとしていることに感謝しています。でも、僕はこのことを人に知られてもいいと思っています。だから、屋敷の手の空いている者にも手伝ってもらいましょう」
すぐにマックスが反応する。
「うむ。自分で考えて意見を述べるのはよいことだ。しかし、使用人たちに話すというのは少し待ちなさい。私に考えがある。ついてはサイモンに相談があるのだが」
「僕に、ですか?」
「うむ。サイモン文字を私の職場で使わせてほしいのだ」
「それは、光栄ですが……」
戸惑うことしきりのサイモンに、つい口を出してしまう。
本当は本人に考えさせないといけないのだろうけど。
まあ、駄目だと思えばマックスが止めるよね。
「サイモン。これはグリム男爵としてのお話だと思いますよ」
「ああ、クレマンティーヌにはわかってしまうか」
「え、父上の意図がわかるの、クレマンティーヌ? いや、わかるのですか」
びっくりしたように見られると少々くすぐったいけど。
サイモンが気付けないのは、彼が悪いわけじゃない。
これからは、ただ本を読ませるだけでなく、交換日記や手紙のやり取りなどもした方がよさそうだ。
「サイモンは文字を使い始めたばかりなのですから、ぴんとこなくて当たり前ですわ」
「それもそうだな。では、その息子にもわかるように説明してやってくれまいか、王都でも評判の才媛よ」
「あまりからかわないでくださいな。ですがご許可も出たことですし……違っていたら指摘してくださいましね、グリム卿」
「相、わかった」
「では、僭越ながら。グリム男爵のお仕事は機密の多いお仕事です。ただ、一人で物事を行うには限界があるため、多くの者にかかわらせざるを得ません。その中で、手紙や命令書などが紛失することが少なからずあるのでしょう。そこで、卿はサイモン文字を暗号としてお使いになりたいのだと思います。それには、それをどう読むのか知っている者が少なければ少ないほどよいのです。しかし、今回の場合、知る者の数を制限すると、サイモンが不利益をこうむります。訳してくれる者を確保しにくくなるわけですからね。そこで卿は、サイモン文字を教えると決めた限られた人員、つまりご自身の仕事上の部下に、あなたのための翻訳もさせるおつもりなのでしょう。素早く読み書きするための訓練にもなりますし、信用できるということではこの上ないわけですからね」
サイモンが父親に顔を向ける。うなずくマックス。
「完璧だ」
「すごいね、クレマンティーヌ。すごいです」
「いいえ、私だったらこうすると考えただけですわ。だから、とんでもなく見当はずれのことを言う時もあります。そうです!話ついでに、グリム卿」
「なんだ」
「サイモンが却下した文字も適当に織り交ぜられるとよろしいかと」
「ハハハッ、本当にうちの奥方は抜かりがない」
「どういうことですか、父上」
「暗号というのは、規則性を把握されたらあとは簡単に読み解かれてしまう。少しでも敵を惑わし、時間稼ぎをするようにと助言してくれたわけだな」
感心したように一つ二つ頷いたサイモンは、ハッとしたように父親を見る。
「では、これまで使用した薄板はすべて、父上に預けた方がよいですね」
「よいのか?」
「はい。僕にはどのようにしてもこの国の文字は読めませんし……フフッ、サイモン文字はその予備も含めてすべて覚えていますから」
「素晴らしい! お前は自慢の息子だ」
「ありがとうございます」
以来、サイモンは本の虫で、グリム男爵邸の使用人たちは「うちの坊ちゃまは外国の本をすらすら読む」とたいそう自慢に思っているようだ。




