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行け行け!クレマンティーヌ  作者: 御重スミヲ
37/78

37、逃げ足


「あの……」

 だから、向こうから話しかけられた時は感動もひとしおだ。

 私は何食わぬ顔をして刺繍の手を止め、彼に向き直る。

「あら、どうしたの?」


 はくはくと口を開け閉めしてから、意を決したように胸を張る。

「あいさつ、遅くなったから」

「ああ、私も自己紹介もしてなかったから、おあいこね。クレマンティーヌ・ジェシー・グリムよ」

「……サイモン・ウエイン・グリム」

「なんて呼んだらいいかしら」

「サイモン……えっと」

「クレマンティーヌでいいわよ。ちょっと略しようがなくて長いけど、がんばってみてちょうだい」


「……か、ん、いい」

「そう?」


 無理強いはせず、刺繍の続きに戻る。

 我が夫と同じ色目を持つ猫サンは、居心地悪そうに体を揺らしてたけど、突然勢いよく歩き出して同じ長椅子の端にボスンと座った。


「母さんって呼ばなくていいのか?」

「呼びたかったら呼んでいいわよ」

「……なんか、変だからやめとく。オレの母さんは一人だけだし」

「そう思うなら、そうなさい」

「うん」


 どうやら目を見ない方が話せるらしい。

 私は針を繰りながら、耳だけはダンボだ。


「……クレマンティーヌ」

「なに?」

「クレマンティーヌは、オレにちゃんと話せってなんで言わない?」

「ちゃんと話せてるからよ。あなたの言ってること、その意味、ちゃんと私に通じてるわよ」


「そうじゃなくて!」

「フフッ。わかってるわ、貴族的にってことでしょう」

「わかってるんじゃねぇか」


 上気した頬をふくらませているのが目に見えるようだ。

「私がそういうことを言わないのは面倒だからでも、あなたのことがどうでもいいからでも、甘やかしているからでも、機嫌をとりたいからでもないわ」

「……ほんとかなぁ」

 ひねくれてるけど、賢いひねくれ方だなぁ。


「フフフッ。サイモン、こんなものはね、その気になればすぐできるようになるわ。でも、その気もないのにやれって言われたらムカつくでしょ」

「……うん」

「私、自分がされて嫌なことはなるべく人にはしない主義なの」

「なるべくなんだ」

「サイモンは家族だから、もっとなるべくしないようにするわ」

「ハハッ、変なしゃべり方だ」

「そうね。我ながらおかしな言い回しだったわ」

「……ほんと、変」


 それからは何も言わずまったりしてたようだけど。

 メイドの足音を聞いたとたん、ピューッとどこかへ行ってしまった。

 本当に猫みたいだ。



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