渇して井を穿つ
さて、皆さま髪は切りますでしょうか?あぁ、自分で切ろうが他人に切ってもらおうが、どちらでも構いません。髪を常に一定にしておくかと言うことです。
僕はこれをめんどくさがる性格でありまして、学生の身分ではあるのですが、先生をして「髪、切ってくれればなぁ」と言わしめるほどの人物です。まぁ、基本目は見えません。
ただ、前髪がある方が落ち着くなんてものではなく、ただ切りに行くのがめんどくさいと言う理由です。
そのため僕は世間一般的な隠キャの様な格好をしながらも、普通に挨拶をし普通に遊ぶので、中学では「アクティブな隠キャ」などと呼ばれたこともありました。
目が見えているだけで誰?と呼ばれたこともしばしば。僕の周りだけ黄昏時であったのでしょうか。んなわけあるかい。
しかし、人の顔とは分かりにくく、覚えにくいもの。
小・中・高と全ての先生方を「先生!」と誰先生なのかを告げずに読んでいる僕からすれば、久々に会った友人など真っ先に思い浮かべる言葉は某アニメ映画の題名よろしく、名前を聞きたい、であると思うのです。
いやはや某感染症が出る前は、口元が見えていた分まだ誰か分かったものの、今やマスク生活に。もはや見覚えすらない友人がどんどん増えてく一方です。
閑話休題。
学生の夏休みは休みであって休みでないことなど世の常かと思います。
例えすることがなくとも何かをやる気は起きず、何もしなかったという虚無感が心を襲うことなど日常茶飯。
夏休みの宿題などもしようと思いたった時には、今日が吉日などと考える。だというのに次の日は、昨日は宿題広げて掃除しただけだった、の一言が心の中でリフレイン。宿題との仁義なき戦いは、三度戦い三度北ぐ。しまいにゃ本気だしても終わらない。そこまで宿題をほっとくような、そんな夏休みを過ごしてきました。
さてそんな夏休みであろうと部活はあるわけです。僕が高校まで行こうと思って歩いていると、前から年は8つほどの少女とその父親らしき人が歩いてきました。
少女も父親もどちらも半袖半ズボン。いかにも夏といった格好で、こちらの長袖長ズボンの制服とは比べ物にならないほどの爽やかさがありました。
二人はその時、プッチンプリンの話でもしていたような気がします。冷蔵庫うんぬんといくつかの単語が聞こえてきましたから、こちらも想像だけで、涼しくなったような気がいたしました。
そして、少女が僕とすれ違った時にこちらを振り返ってボソッと父親に言ったのです。
「めっちゃ髪長い兄ちゃんいるで」
グサッときました僕の心に。イグノーベル賞の長い話をしてしまった方の気持ちがわかったような気がします。
その少女が笑ってしていたプリンの話から、いかにもみっともないというかの様に話すものでしたから、非常にモヤっときたのを覚えています。
初めて僕が髪切ろうかなと思った瞬間です。
周囲からみっともないと思われていたのだと気づくまでに非常に長い時間がかかったものです。気づいたまでは良かったですが、時間をかけすぎてしまいました。
まるで夏休みの宿題のように後悔しても後の祭り、飢えて黍稷を求め 渇して井を穿つ 闘いて錘を鋳るがごとしでございます。
さぁさぁ皆さまご唱和ください!
「渇して井を穿つ」
その少女と出会って少し経ちました。未だ僕の前髪はマスクにかかったままでございます。