慎二がやってきた
みつるが起きた時にはお昼を過ぎていた。
二日酔いが治っていたのはうれしかったが、腹ペコで死にそうだった。
「いつものでいいかい?」
「今日はチャーハンも追加で」
いつもの食堂に来ていた。
「あいよ。昨日頑張ったからね」
「はい?」
「朝帰りだったんだって、若いっていいわね」
「なんで知ってるんだ?もう、いやだ」
みつるはテーブルに突っ伏した。
「いい事も悪い事もいい思いでよ」
「はあ」
ラーメンとチャーハンが来たが、同時におせっかいおばさんのお話も来た。
「なにもないまま年だけとったら、つまらない人生になっちまう」
「はい」
みつるの態度を見て、何か失敗したことを感じたらしい。そして、それが的を得ているだけに、聞くのが辛い。
「目標を決めて、何でもいいから行動するのよ」
「目標、ですか?」
食べながら話をするのは失礼だが、腹が減って仕方がないのだ。
「そうよ。例えば甘露堂の娘さんとか」
「ぶっ。何で彼女が出てくるんですか?」
ラーメンが少し飛んだ。
「あら、かわいい子じゃない。そうは思わない?」
「それは、まあ。思いますけど」
「でしょう?」
どうでもいいけど、食後にしてほしい。かなり本気で。
「彼女、幼いころにお父さんを無くしているでしょう。だから、その面影を追っているころがあるのよね」
「あっ」
甘露堂の女将さんが寡婦だというのはこの人の情報だった。
それは彼女にとってはお父さんなわけで、同じ境遇だと思えば見え方も変わってくる。
「頼れる男が好きなのに、近づいてくる男はみんなHな目でしか見てこない。これじゃ、上手くいくはずないでしょう?」
「たしかに」
「だから、いい?」
いつしか食事の手は完全に止まっていた。
「口の悪さは気にしちゃダメ。怒っちゃダメ。お父さんのように優しく接する事よ。分かった?」
「はい」
返事はしたものの、怒るなってことなら今までと変わらない気がするし、やさしくと言われてもどうすればいいのか。分かったような、分からないような話で終わってしまった。
「ごちそうさまでした」
「あいよ。頑張るんだよ」
「はい」
おばちゃんに見送られて食堂を出たが、商店街のみんなに見られている気がする。
「ここまで情報が筒抜けなんて福井でもないぞ。これに慣れないといけないのは結構きついな」
すっきりしないまま店に戻り、掃除を始めることにした。
☆☆☆☆☆
「この水槽、どうすっかなあ?」
巨大水槽は、結局何を目的に作られたのか分からないままだ。
はっきり言って邪魔なのだが、前店主の夢が詰まっている気がして決断できないのだ。
「忘れてた。図面引かなきゃ」
水槽のラックが必要なのだが、自分で図面を引くと言っていたのだ。
高さも幅も奥行きも。棚板の間隔にまでこだわりがあった。
出来れば既製品ではなく、納得のいくものにしたかったのだ。
床下と天井にも断熱材を入れると、使用可能な天井高が変わってくる。
床面積によって設置できる本数も違うし、巨大水槽のあるなしで、洗い場や選別台の位置も関係してくる。
店の表半分を叔父さんの店にする話も、決まっていないのでまだ伝えてない。
とにかく工務店に行って話をしておいた方がよさそうだと手を止めた。
「あっ、母ちゃん。どうかした?」
店を出ようとしたところでスマホが振動した。
「慎二、そっちに行ってない?」
「来てないけど、いないの?」
「友達と喧嘩したらしくてね。お金がないから東京には行けないと思うんだけど、念のためにね」
「あっ、ごめん。母ちゃんに内緒でお金送ったから、きっとこっちに来るわ」
「それならいいんだけど」
「いつからいないか分かる?」
「お昼はいたから、その後ね」
「乗り継ぎがうまく行けばそろそろ東京駅か。念のため、迎えに行ってくるよ」
「そうしてくれるかい?」
「ああ。捕まえたら知らせるから。後。春休みだし、しばらくこっちで預かるから」
「迷惑かけるね。ごめんよ」
「何言ってんの。これでも兄貴だよ。まかせなって」
「じゃあ、頼んだね」
「ああ、頼まれた。じゃ切るよ」
スマホを閉じたみつるはため息をつきながら財布の中身を確認した。
東京では電車しか移動手段がない。
定期とかはまだ持っていないし、財布の中身は常に気になるのだ。
店を出たところでしばらく悩んだみつるは、思い切って安西甘露堂に向かった。
☆☆☆☆☆
「いらっしゃいませって、何しに来たバイキン」
ここで怒ってはいけない。おばちゃんのアドバイスだ。
「えっと、中3になる弟が家出して」
「バイキンが人間の言葉をしゃべるな」
取り付く島もなが、ここは引けない。1歩2歩と琴美に近づく。
「3か月前に親父が無くなって、味方だった俺まで東京に来たもんだから寂しかったんだと思うんだ」
「そ、そうなんだ」
近づくみつるに琴美の体は引き気味だが、父親を亡くした辛さはよく知っていた。
「今から迎えに行くんだけど、明日の朝に店の前を掃除させるから、挨拶だけでいいからしてほしいんだ」
「う、うん」
琴美は目の前にまで迫ったみつるは真剣な表情に見入っていた。
「琴美みたいなかわいい子は福井にいないし。あいつも男だからきっといい刺激になると思うんだ。頼めないかな?」
「挨拶だけなら、いいけど」
琴美とて女の子だ。下心なくかわいいと言われればうれしく、頬がほんのり赤くなった。
「ありがとうな。じゃ、行ってくるから」
「気を付けてね」
「おう」
思わず出た言葉だった。みつるが出て行った後、琴美はあれ?と小首をかしげていた。
☆☆☆☆☆
みつるは、琴美はやっぱり親切な子だといいながら寝具店に立ち寄った。
布団1式を帰りに取りに来る商談を済ませてから東京駅に向かった。
そして、気が付いたのは東京駅についてからだった。
「あれ?これで、もし、慎二が来なかったら、どうなるんだ?」
まいったなーと言いながら新幹線ホームの改札口が見える場所まで来た。
福井から東京へ向かうには、米原か名古屋で新幹線に乗り継ぎをする必要があり、必然的に新幹線が特定される。
次の電車に乗っていなかったら1時間待ちになり、それにも乗っていなかったらさらに1時間だ。
しかし、もし今日来なかったら……。
スマホは取りだしたものの、こちらから電話を掛けるのが怖かった。
だから、そのスマホが振動した時はビクッと体が震え、慎二だと分かってほっとしたのだった。
「おう慎二。どうした?」
「東京に、来ちゃった」
「なんだ、気の早い奴だな」
「でさ、迎えに来てほしんだけど」
「いいぜ」
「どのくらいで来てくれる?」
「そうだな。10秒ってとこか?」
「え?」
「左を見ろ」
「あっ、兄ちゃん!」
☆☆☆☆☆
二人は布団を抱えて熱帯魚屋の前まで戻って来た。
「ここが、兄ちゃんのお店?」
「今改築中だ、気にすんな」
「う、うん」
コンパネで作られた壁と入り口。慎二が戸惑うのも無理はなかった。
「でっけー」
奥の水槽を見上げながら、布団を和室に入れた。
ほとんどの水槽は下したが、さすがにこの水槽はそのままだった。
「重すぎてびくともしないんだ」
「だろうね」
「慎二ならこの水槽に何を入れたい?」
ダメもとで聞いてみた。
「うーん。グッピーは駄目なんでしょう?」
「ああ。水深がありすぎるしな。かといって、それ以外の魚っつってもな」
「いっそのこと、お風呂にする?」
「馬鹿言え。ってことも無いか。スクリーンを張れば見えないし、割れることはたぶん無い。うむ」
素人は怖い。やるかどうかは別にして、その発想は無かった。
「壁の向こうはどうなっているの?」
「どういうことだ?」
「だって。この水槽は壁に引っ付いているし、よく見ると壁に四角い筋がある。壁を切り取って向こうから見る水槽かなって」
「まじか?ほんとだ、気が付かなかった。なら、壁の向こうに行く扉があるはずだ、さがせ」
「うん」
二人は隠し扉を探したが見当たらない。
ここでもない、ここでもないと奥まで行って、階段下の物置が入り口になっていることを発見した。
「これだー」
「すげーっ、部屋になってる」
灯りのスイッチを探し、明るくするとこじんまりとした部屋が現れた。
リクライニングシートとスツールがあって、それでいっぱいだ。
「電気を消すぞ」
「うん」
水槽が浮かび上がって見えた。
「すげーっ」
「海水魚を入れたら海に中にいる気分になれるな」
「竜宮城だね、やろうよ」
「うーん」
この部屋こそ前店主の夢だったのかもしれない。
「出来ないの?」
「出来なくはないんだけど、これだけでかいと維持するだけでも馬鹿にならないんだ」
「そっか」
水槽に水は入っていなかったし、この部屋に茶器も無かった。
準備だけしてこの世を去った店主、ここに座ってどんな魚を見たかったのか、それが分かるまではそっとしておきたかった。
「余裕が出来たら考えるってとこだな」
「じゃ、風呂にしようよ」
「ははは。風呂だと、こっちから、見えるぞ」
「電気消したら、向こうからは見えないよ。覗き放題だ」
「駄目だろう」
「だめ?」
「だめ、だ」
「ちぇっ」
慎二のストレートさがうらやましい。
本心は別だが、駄目だろう。