外国の事情
今回のエルフの村の滞在期間は2日の予定だ。1日休んだらすぐに出発する。そして休憩日の1日はすでに過ぎようとしていた。魔道具の調整や道具の整備で1日が終わる。
明日は早朝に出発する予定だから、先に爺さんに挨拶をしておこう。
警備の女の子を探し、爺さんを呼んでもらった。
警戒しても無駄だと分かったので、適当に待つ。今日はどこから現れるだろうか。
目の前の木が揺れた。がさがさと葉が擦れる音がして、逆さまの爺さんが枝から下りてきた。
「待たせたのぅ」
「ぅわっ!」
この爺さんも遠慮が無くなってきたな。どこから出てきても驚かないつもりだったが、また驚かされた。
まあいい。俺もいずれやり返してやる。
「……明日の早朝に出発しようと思っている。これからエルフの国の調査に向かう予定だ」
逆さまの爺さんに話し掛ける。ぶら下がっていることについては絶対にツッコまない。
「うむ。何かわかったら、儂らにも教えてくれ」
爺さんが木の枝の下で揺れながら言う。下りる気は無いようだ。ツッコミ待ち? 残念だったな、俺は絶対にツッコまない。
「ところで、結界の修理はいつやるんだ?」
「そうじゃな……すぐにはできない。まだ数ヶ月先になるじゃろう」
「そうか。修理する時に教えてくれ。結界の場所がわからないと、村に入れなくなる」
「うむ。お主らが来られないと、儂らも困るからのう。お主らが来ておる時にやろう」
爺さんの顔が赤くなってきた。しんどいなら地面に下りればいいのに。
「ついでに、結界の構造も知りたいんだ。修理の時はその場に立ち会いたい。邪魔か?」
俺は話を続けるが、ゆらゆらと揺れる爺さんは顔を赤紫にしている。意地を張ってずっとぶら下がっているから、気持ち悪くなったのだろう。
「見るだけ……なら……構わぬよ。資料が……残……って、おる。はずじゃ。探して……おこう。さらばじゃ!」
爺さんは、声を出すのもしんどいらしい。そんなにしんどいなら、最初からぶら下がらなければいいのに。
静かに地面に下り、フラフラと歩いて帰っていった。
よく聞き取れなかったのだが、資料があると言っていたな。修理するんだからマニュアルくらい残っているか。今度見させてもらおう。
そういえば、爺さんにはスマホを預けてあるんだった。修理をする時は連絡が来るだろう。
そして出発の朝を迎えた。テントと道具一式を手早く撤収し、村を出る。まだ夜が明けたばかりの時間だ。誰とも会うことは無かった。
「ひとまずミルジアに向かうが、どこに行けばいいだろう」
国境の場所は覚えている。まずは吊橋を目指せばいいと思うのだが、その後は全く分からない。偶然街を見つけたとしても、俺たちが持つ許可証で入れるかは分からない。
リリィさんとクレアが詳しいらしいので、ミルジアに入った後は2人に任せる。
「国境の近くに小さな街があるわ。立ち寄るならそこね」
クレアが答えてくれたが、“小さい”の規模がよく分からない。俺が日本で住んでいた町は小さかった。人口10万人くらいだ。でも、この世界で10万人も居たら、それなりに大きいような気がする。
何にせよ、行ってみればわかるだろう。
「じゃあ、そこへ行こう」
「ちょっと待って。みんなに言っておくことがあるわ。
当たり前だけど、ミルジアはアレンシアではないの。アタシたちの常識は通用しないわ」
「どういうことですか?」
「まずは、冒険者という立場は良いものではないの。場合によっては犯罪者のような扱いをされるわ。
そして、教会の権力が強いわ。面倒だから神官には近付かない方がいいわね。会うことは無いと思うけど、貴族と騎士も近付かない方がいいわ」
結構面倒な国だな。使徒召喚はミルジアの方が盛んらしいが、この国で呼ばれなくて良かった。
クレアが話し終わると、リリィさんが小さく手を挙げた。
「あぁ、それから、魔道具は使わない方がいいぞ。教会が良い顔をしないのだ」
リリィさんが補足する。魔道具禁止とは、なんとも面倒な国だな。まあ街の中に居る間だけだが。
アレンシアの教会南派は、この考え方に寄っている。魔道具を全く使っていないとは考えにくいが、おおっぴらに見せる物ではない。でも、それならリリィさんがミルジアに行く理由がわからないな。
「リリィは魔道具の調査に行ったんじゃないのか?」
「うむ。そうなのだが、私は骨董品の調査という名目で滞在していた。エルフの魔道具は古いから、骨董市に並んでいることがあるのだよ」
ミルジアはエルフの国の隣にあるので、おそらく最も戦火が激しかった地域だ。今でも多くの魔道具が、どこかに眠っているのだろう。骨董市は気になるな。一度見てみたい。
「なるほどな。骨董市はいつやるんだ?」
「毎年、冬の寒い時期にやっているよ」
今回の許可証では無理だな。どれくらい先なのかは分からないが、25日以内ということは無いだろう。
冬にやっているということは、たぶん農家の副業だ。畑を耕すと、土の中から出てくるんだと思う。
しかし、無理してこの街に立ち寄る必要あるのか? 面倒な国だから、街をスルーして森に直行しても良さそうだぞ。
「なあ、もうこのまま森へ行かないか? 街に立ち寄らなくても大丈夫だろう」
装備品、食料、道具、すべてが揃っている。買い足す物は無い。他所の国がどういうところかは気になるが、せっかくだから骨董市の時期に行こうと思う。
「そう……ですね。魔道具が使えないのなら、テント泊の方が快適ですね」
「えー? 行ってみたいよっ!」
「アタシは普通にベッドで寝たいんだけど」
「まぁ、今は行っても面白くないだろうな。何もない街だ」
反応はマチマチだが、立ち寄る理由が弱い。今回はパスだ。
「骨董市の時期が来たらまた来よう。時間が限られているから、今回は森に直行する」
帰りに時間があれば寄ってもいいかな。俺たちにとっては宿に泊まるメリットもあまり無い。テントが豪華すぎるんだ。
クレアがベッドで寝たがっているから、折りたたみベッドを買おうかな。この世界にはスチールフレームが無いので、木枠をバラして持ち運ぶ面倒なベッドだった。でもベッドを使いたいならこれしか無い。
吊橋を渡ると、その先はミルジアの領土だ。しばらくは緩衝地帯なので、街や村は無い。たまに砦のような建物を見かけるくらいだ。そこから兵士が視線を送ってくるが、こちらに来る様子は無い。
クレアの話では、正規のルート以外から侵入すると声を掛けられるそうだ。堂々と歩いていれば問題無い。
ただし、走って移動したり、街道から外れたりすると声を掛けられる。だから森に向かうにしても、ある程度は街の方向に歩く必要がある。本気で走れば逃げ切れると思うんだけど、無用なトラブルは避けたいから歩く。
吊橋を渡ってすぐは草原だったのだが、進むにつれ草が減ってきた。乾燥した荒野のような雰囲気だ。おそらくアレンシアほど豊かな国ではないのだろう。
辺りを見渡しながら歩いていると、クレアが声を出した。
「この辺りにはスライムが出るわ。見かけたら狩るわよ」
クレアが珍しく討伐にやる気を出している。普段は魔物の討伐には及び腰なのだが、スライムは特別らしい。
地球のゲームでは、スライムは最弱の雑魚キャラとして扱われることが多い。実際にはどうなんだろう。
「スライムは弱いのか?」
「この辺りに出るスライムは弱いわよ。子どもでも勝てるくらいね。でも、放置すると相当強くなることもあるわ」
雑魚なのか強キャラなのかよく分からないな。雑魚のうちに狩っておけということなのか。たぶん放置すると大事故が起きるんだろう。
「なるほど。強くなる前に狩るんだな」
「うん、それもある。でも、スライムは体のほとんどが水なのよ。この辺りは水が少ないじゃない?
それなのにスライムが水を吸っちゃうから、さらに干からびちゃうの。見かけたら狩るのが、この辺りのマナーみたいなものよ」
さらに話を聞くと、スライムが大量発生して井戸を枯らすらしい。しかも、成長すると体内に毒素を貯め込む。そうなると、討伐後に土と水を汚すのだそうだ。おまけに魔物の餌にもなって魔物が増える。
完全にただの害虫だった。見かけたら狩ろう。
砦が視界から外れ、兵士の監視が無くなったので、森を目指して走った。相変わらずの荒野で、森の境界も草が少ない。森に生える木もアレンシアの森とは違う。葉が少なくて背が低い、日本ではあまり見かけない木だ。
走りながら探したのだが、この近くには川どころか小川すら無かった。俺は魔法で水を出せるからいいが、それができないと水の確保が難しいだろうなあ。
適当な場所を見つけてテントを設営する。アレンシアなら多少草を狩る必要があるのだが、ここは草が少ないのでその手間が無い。その点は楽なのだが、水が無いのでキャンプは難易度が高いな。
ここに到着するまでの間、かなりの数のスライムを踏み潰した。水風船を割る感覚に似ている。ハンドボールくらいのサイズの青い塊が『パンッ』と勢いよく割れるので、なかなか爽快だった。
しかし、素材はめったに残らない。ある程度成長すると核が生成されるらしいのだが、今日獲得できた核は4個だけだ。核の中には小さな魔石が入っているのだが、金になる魔物ではないな。
「ねえ、あんたが潰したスライム。何匹かは成長したスライムだったんだけど……」
俺がスライムの核を眺めていると、クレアが困った顔で言った。
たぶん、様子がおかしいスライムが1匹と、色違い3匹のことだ。こいつらが核を落としたんだ。
様子がおかしいスライムは、俺の足を避けて魔法を撃とうとしていた。服が破れたら嫌なので、念入りに潰した。こいつは少し硬くて弾力があった気がする。
色違いはただの色違いだ。普通に踏み潰した。
ただ、こいつらの体液が臭いんだ。酸っぱい臭いだ。服や靴に悪臭が染み付いたら困るので、靴下を履き替え、魔道具を使ってすぐに洗い流した。
「へえ、臭いやつのことかな。次は何か道具を使った方が良さそうだな」
「平気なの? あの体液は鉄を溶かすのよ?」
酸なのか。どうりで酸っぱいわけだ。でも大した酸ではないだろう。塩酸や硫酸に触れた時のようなヒリヒリ感は無いし、強い酸なら靴下が無事では済まない。
道具を使うにしても、マチェットはダメだな……。木製の棍棒でも買っておこうかな。
「あの程度の酸が効くわけ無いだろ。この服は溶けないし、体は身体強化があるから何ともない」
高い服なんだけど、高いだけあって魔法にはかなり強い。それと同時に、温度の変化や酸にも強い。でも衝撃は素通りするから、重い一撃には要注意だ。
すぐに洗い流したのも良かったな。シミと臭いくらいは残ったかもしれない。あ、靴下は少し溶けたかもしれないな。後で確認しておこう。
今日の活動はここまでだ。食事を済ませて明日に備える。
ミルジアで半日過ごして分かったことは、この国は冒険者に優しくないということだ。野営の難易度が高く、雑魚魔物の討伐が金にならない。そのうえ、冒険者の社会的地位が低い。
魔道具が使えないなら、マジックバッグも持っていないのだろう。大きな背嚢を背負って探索するんだ。相当大変だろうな……。本当にアレンシアに召喚されて良かった。