戦略的撤退
朝になり、準備を整えて4人部屋に向かう。今日の予定は買い物だけだ。店が開いていないかもしれないから、多少ゆっくりしても大丈夫だろう。
部屋をノックして中に入ると、着替えを終えた3人が迎えてくれた。
戦闘する予定は無いのだが、リリィさん以外はいつもの服を着ている。魔物素材で作られた服だ。高いだけあって、デザインが最も優れているのだ。結局この服になってしまう。
布の服も持っているのだが、もっぱら部屋着になってしまっている。今は所持金に余裕があるのだ。あと何着かの服を買っておいてもいいだろうな。
「やあ。2人ともおはよう。私たちは準備できているぞ。さっそく買い物に行こうか」
リリィさんが笑顔で言う。
そんなに急ぐことも無いと思うんだがなあ。俺は部屋の隅っこに追いやった椅子に座って話を始めた。
「まだいいだろう。
ところで、リリィは身体強化の練習はできたのか?」
昨日聞きそびれたんだ。数日の間に、少しは上達しているかもしれない。その具合によって買うものが変わるから、確認しておきたい。
「ああ、君の身体強化は素晴らしい物だね。
おかげで仕事が早く片付いたんだ。感謝しているよ」
うわ……ずっと使いっぱなしだったのかよ。覚えたてでよくやるなあ。
しかし、リリィさんならすぐに覚えられる気はしていたが、いくらなんでも早すぎないか?
「どういうことだ? もう完全に使えるのか?
もっと時間が掛かると思っていたんんだが……」
「『過働の指輪』を使って、寝ずに練習したのだ。
君のように、とはいかないが、十分に使えているはずだよ」
また『過働の指輪』だ。大丈夫なのかな……。体調を崩さなきゃいいんだけど。
「具合はどうだ?」
「ああ、問題ない。むしろ調子が良いくらいだ。
いや、本当に素晴らしいよ。まるで自分が2人居るかのような感覚だね」
リリィさんはそんな感覚なのか。身体強化を使った時は、それぞれに違う追加効果が現れる。
この効果は何種類あるんだろう。すでに5種類目で、しかも被り無しだぞ。全部発見してみたいが、膨大な数になりそうだ。
「問題無いならいいんだが、しばらくは指輪無しで休んでくれ。
それから、その効果は人によって違うんだ」
俺たちの追加効果を説明した。クレアの効果だけが地味でわかりにくいんだ。強化がさらに強化されるだけ。実用性は高いが、気が付きにくい微妙な効果だ。
「そうなのか。私にとっては一番ありがたい効果だったな。
おかげで、ここ数日は4人分の仕事ができたよ」
計算が合わない! 2人居るような感覚で×2だろ? ……寝ずに働いて×2か。納得。
この人は自分を追い込み過ぎだろう。もっと余裕を持ってもいいのに。
リリィさんも身体強化を確認したが、すでに実戦に耐えられるほどの物だった。練習を頑張りすぎだと思う。でも安心してミルジアに行けるな。場合によっては、リリィさんの訓練が必要になるかもしれなかったんだ。時間が短縮できて良かった。
装備品も余裕がある物を買える。魔物素材の服でも問題無いだろう。
魔物素材の服は身体強化ができないと少し使いにくい。怪我はすぐに治せるからいいんだが、服は破れる。高い服だから、すぐに破れては困るんだ。クレアが革の服を着なかった理由も、きっとこのことだと思う。
「うー。何か難しい顔してる。何考えてるの?」
リーズが俺の顔を覗き込んできた。
どうやら俺はいつの間にか眉間にシワを寄せていたらしい。力を抜いていこう。
「いや、なんでもない。そろそろ行こうか」
宿を出て冒険者ギルドに向かうのだが、今日は越境許証を貰うだけだ。全員でぞろぞろと向かう必要があるのか?
「なあ、冒険者ギルドは全員で行かないとダメか?」
「あ……そうね。代表が1人で行けば大丈夫よ。アタシが行くわよ?」
やっぱり1人で十分だった。クレアに行ってもらえば楽なのだが、クレアには別の仕事を頼みたい。
「いや、俺が行くよ。クレアはみんなと一緒にリリィの防具を選んでやってくれないか?」
こっちの方が重要な任務だ。というか、俺がそっちに行きたくないんだ。女が服を買う時に、同席してはならない。うちの爺さんの遺言だ……嘘だ。
でも気を使うことは間違いない。それに、相当時間が掛かるだろう。1人や2人ならいいんだが、4人も居るとなあ……。少しでも時間を潰したいから、ギルドには俺が行く。
「そう? まぁいいわ。店はどうするの?」
「いつもの防具屋だ。先に選んで待っていてくれ」
「え……あれは防具屋じゃなくて服屋……」
「いいんだ。リリィに似合う服を頼むよ」
クレアは服屋と認識しているようだが、あれは防具屋で間違いない。あの店で使われている丈夫な魔物素材は、森での派手な活動でも破れる気配すら見せない。魔道具のような効果も付いているので、派手な戦闘にも耐えられる。
「うん……まあわかったわ。任せておいて」
「おい。私は何度か越境許可の申請をしたことがあるぞ。私が行った方がいいんじゃないか?」
リリィさんが申し出たが、それも却下だ。リリィさんの服を買うのに、本人が居ないでどうする。
というか、アレンシアの国に所属する調査員なのに、ミルジア行きの許可が下りるのか。スパイ行為にはならないんだな。不思議な関係だ。
「いや、俺が行くよ。リリィの服を買うんだ。ゆっくり選んでくれ」
「そう言われてもだな。私は服選びが苦手なのだよ。できれば誰かに選んでほしい」
リリィさんの言葉に、女性陣の目が光る。
そういえば、ルナとリーズは俺の服も率先して選んでいたな。クレアも服が好きな様子だった。3人に任せておけば大丈夫だろう。俺は冒険者ギルドに避難する。逃げるわけではない。戦略的撤退だよ。
「じゃあ、頼んだよ。
ついでに全員の分の服も1着ずつ買おうと思う。予備だ。
選んでおいてくれ」
「は? 何言ってるのよ。あんな高い服、そう何着もいらないわ!」
クレアの反論に、ルナとリーズがうんうんと頷いている。でも予備は必要だ。服は破れるものなんだ。いざという時にボロボロの服ではカッコ悪いだろう。
「予備だから。そんなに高くなくてもいいが、いい物が欲しいんだ」
「それなら革鎧でいいでしょ? 安いわよ?」
それは無理ー。面白くない……じゃなくて、カッコ良くない……でもなくて……。
「物理ダメージは身体強化で防げるから、魔法と刃物に強い魔物素材の服の方がいい」
よし。それっぽい言い訳ができたはずだ。手入れ用の油も臭いしね。それに隙間が多すぎて、ナイフのような小さな刃物は素通りしてしまう。冒険者っぽい装備だとは思うけど、性能が心配なんだ。
嫌がる3人を無理やり説得して、納得してもらった。リリィさんは何のことかわかっていないので、黙って俺たちのやり取りを見ていた。
それなりに大きな出費になるが、まさか所持金が全部吹き飛ぶような買い物はしないだろう。その辺りはみんなの良心に任せる。
革鎧だと、金貨2枚くらいから買えるらしい。値段が数倍違うが、収入に直接かかわるから装備と材料はケチりたくないんだ。安く済ませたいとは思っているが、ケチる気は一切無い。
みんなが仲良く服選びをしてくれることを願って、冒険者ギルドに行く。こっちも面倒な作業なのだが、女の子の服選びに参加するよりも大変ということは無いだろう。無いよね? インドのビザみたいなことは無いよね?
「やあ、おはよう。聞きたいことがあるんだが、いいか?」
カウンターの向こうに座るエリシアさんに話し掛ける。
エリシアさんは今日も笑顔で対応してくれた。
「おはようございます。珍しいですね。今日はお1人ですか?」
「ああ。他のみんなは買い物に行っているよ」
「そちらにご一緒しなくても良かったのですか?」
「服を買いに行ったんだよ」
「……賢明な判断ですね」
エリシアさんが冷静な顔で同意してくれた。女性の服選びで男が大変なことになるのは、どの世界でも共通のようだ。
軽く世間話をしたところで、本題に入る。
「今日はミルジア王国の越境許可証を貰いたいんだが、どうしたらいい?」
「皆様もご一緒に、ですか?」
「もちろんだ。
いつものメンバーと、最近宮廷魔導士から冒険者に転向したリリィも一緒に行く」
「元調査員のリリィさんですね。お伺いしています。もうパーティに入られたのですか?」
どうやらリリィさんは、冒険者ギルドの手続きの時に俺たちの話をしていたようだ。話が早くて助かる。
「そうだ。この5人分の許可証が欲しい」
「そういうことですか。
できれば先にパーティ登録を申請していただきたいのですが、今回は先に越境許可証を発行しますね。すぐに終わりますので、少々お待ちください」
また聞き慣れない言葉が飛び出したぞ。
「パーティ登録って何だ?」
「パーティ名と正式なメンバーをギルドに登録していただきます。越境許可だけでなく、他の面でも手続きが簡単になりますよ」
クレアはそんなこと、一言も言っていなかったのだが……ボッチだったからか。パーティを組んだことがなければ、知らなくても仕方がない。
ギルドは登録されていないパーティもメンバーを把握しているが、申告の義務がないので急な脱退や加入に対応できない。
登録されたパーティは、メンバーの申告義務がある代わりに、指名依頼の時に優遇される。そのため、登録した方が得なのだそうだ。
パーティ名というのは、前にレイモンドが名乗っていたやつだ。確か『鋼鉄の斧』だったかな。若干恥ずかしい。俺もこんな名前を考えないといけないのか……。
登録するには本人の立会いが必要なので、今回は見送る。パーティ名を考えるのが面倒だからではない。
「なるほどな。考えておくよ」
越境許可証は、意外なほど早く手渡された。それはギルドが俺たちの素性を知っていたからなのだが、それでももっと時間が掛かると思っていた。
これでは服選びにガッツリ参加することになってしまうじゃないか。もう少し、時間稼ぎがしたい。
「こんなに簡単に許可証を出してもいいのか?」
「はい。冒険者ギルドで発行するのは、単純に越境するためだけの許可証です。
ミルジアの王都に入ることはできませんし、他にも立ち入りができない街があります。クレアさんやリリィさんがお詳しいと思いますよ?」
どうやらミルジアで冒険者としての活動ができるわけではないらしい。ちょっとした交易や、薬草の採取のための許可証だ。有効期限は30日となっている。それを超えたらミルジアの街に入れなくなる。
そして、暗にパーティメンバーに聞けと諭された。これ以上詳しい話は聞けそうにないな。諦めて服屋に行こう。
「ありがとう。助かったよ」
エリシアさんにお礼を言って冒険者ギルドを出た。越境許可証の発行手数料は、1人あたり金貨1枚だった。かなり高い気がするんだが……こんなものなのかな。
行くからには、なんとか元を取りたい。魔物素材でも薬草でも何でもいいから、ミルジアならではの何かを持ち帰ろう。