転職
カウンターを離れ、リリィさんが待つテーブルに向かった。
冒険者は男が多いので、ギルドの中に1人だけの女性が居るとかなり目立つ。そしてリリィさんの胸は普通にしていても目立つ。
案の定、冒険者たちの注目を集めていた。声を掛けようとする人も居るが、リリィさんが険しい顔をしているので二の足を踏んでいるようだ。
「お待たせ。行こうか」
集まる視線を無視して、リリィさんに声を掛ける。
リリィさんを連れて宿に帰ろうとしたところで、クレアから待ったが掛かった。
「ちょっといい?
リリィさんは冒険者登録をしなくてもいいの?」
あ……忘れてた。また面倒な依頼3回ルールが発動するじゃん。指導係はクレアが居るからいいとして、リリィさんに薬草を持たせるべきだった。3種類あるから、ちょうど依頼3回になるんだ。
「ん? 私はもう登録しているから要らないぞ。ランクはDだ」
と思ったら俺よりも高ランクだったわ。宮廷魔導士なのに、副業をしていたのかな。
「あ……言っていませんでしたね。リリィさんは複数の調査員資格を持っているので、他にも魔道具ギルドと鍛冶ギルドにも登録されていますよ」
「調査員?」
「ああ。一部の宮廷魔導士は、魔道具等の調査のために外に出るのだ。その時にギルドの登録が無いと面倒だろう。だから、最低限の権限を持つランクが与えられるんだ。
そのかわり、それ以上のランクアップはできないし、ギルドのサービスもほとんどが受けられない。
でも、さっき正式な冒険者として登録し直したから今は問題ないぞ」
ギルドに登録されてないと、資料や情報の開示で問題が起きるらしい。ルナは残念ながら調査員の資格を得る前に宮廷魔導士を辞めてしまったので、一般人と同じ扱いだった。
冒険者ギルドではDランク相当だ。薬師ギルドと鍛冶ギルドでも、そこそこのランクが与えられているらしい。宮廷魔導士って相当良い職場だな。
いや、ちょっと待てよ……。調査のために必要な最低限のランクは『D』ということか。俺たちのランクは『E』だ。たぶん制限が多いのだろう。早くランクアップした方がいいかもしれないな。
「なるほどなあ。そんな権利があるのに、辞めて良かったのか?」
「何の未練も無いよ。
調査にしか使えないランクなんて、持っていてもしょうがないだろう」
聞くところによると、調査員のランクはどのギルドでも特別な物になっているらしい。例えば冒険者ギルドだと、ギルドの資料を自由に見られるが、素材の売買ができない。そして依頼を受けることもできないそうだ。
それでも、調査員になることはとても難しい。国の機関で数年の実務経験が必要で、試験も難しい。調査員の資格は、日本で言うところの国家資格みたいな物らしい。
でも、社会的な信用があるので、ギルドへの再登録はかなり優遇される。魔道具ギルドや鍛冶ギルドも、申請するだけで即正式登録になるみたいだ。
魔道具ギルドは気になっているので、いずれリリィさんを頼ることになりそうだな。
「まあ、持っていて損をするような資格じゃない。
頼らせてもらうかもしれないから、その時は頼むよ」
「そうだな。でも私はもう宮廷魔導士ではないのだ。資料を見る事は出来ないぞ」
資料を見る権利は、国の機関に居る時だけ有効になるらしい。辞めた後に見たければ、正式に登録しろということだ。本当にただ持っているだけの資格だな。
「問題無いよ。じゃあ、行こうか」
鍛冶ギルドはどうなんだろう。武器はすぐに壊れるのだから、鍛冶師との繋がりを作った方がいいのかもしれない。多少は安く直せそうだ。
そういえば、リリィさんが使っているメリケンサックはリリィさんの手作りと言っていたな。鍛冶ギルドとの繋がりがあるから作れたんだろう。
正直、リリィさんは魔道具職人としての腕は俺よりも上だ。俺の唯一の仕事であるエンチャントは、俺よりもリリィさんの方が上手い。
俺の場合、難しいエンチャントは大量の魔力をブチ込んで無理やり定着させているのだ。完成品は動くから問題無いが、ロスが多い分俺が疲れる。俺は魔力量が多いらしいので、簡単なエンチャントを大量にこなすことに特化している。
今後はリリィさんに任せよう。俺はアイディアを提供するだけだ。大量生産する時だけ手伝う。
宿に着いたので、中に入る。今日は珍しく、屋根を走らず徒歩で宿に向かった。特に理由は無い。みんなが自然に道路を歩いたから、それに従っただけだ。
「お帰りなさーい!」
看板娘の元気な声がホールに響いた。いつもより少し早い時間だったが、すでに仕事中だったようだ。
「ああ。またしばらく厄介になるよ」
と言っても、今回は王都に長居しないだろう。長期キャンプの準備を整えたら、すぐにミルジア王国へ向かうつもりだ。
「ご無事で良かったです!
お部屋はいつもの?」
「いや、2人部屋と4人部屋で頼むよ」
この宿には3人部屋が無い。3人の時は部屋を分けるか、4人部屋にするかを選ぶ。値段は同じなので、広い方がいいだろう。
ちなみにその上には6人部屋もある。値段は変わらないのだが、気分的に部屋を分けたいんだ。何のためかは……まあ防音の魔道具が活躍する。
部屋に案内され、着いた先はいつもの部屋だ。宿が気を利かせて空けておいてくれたらしい。
さっそく家具を移動して、部屋を最適化する。ベッドを横に繋げて隅に寄せるだけでも、かなり広くなるのだ。さらにテーブルをどけて床に毛皮を敷けば、数人がくつろげるスペースが出来上がる。
まあ今回の滞在では、収容人数に余裕がある4人部屋を集合場所にするつもりだが。
部屋の準備が終わったので、ルナと一緒に4人部屋に向かった。ノックをして中に入れてもらう。
部屋の作りは2人部屋と大きくは違わない。壁を外しただけのようで、単純に2部屋分の広さがあるようだ。今回はこっちの部屋も家具を動かす。ベッドと机を移動し、広いスペースを作った。メインの作業場兼会議室にするつもりだ。
部屋の準備をしているうちに、リーズが眠ってしまったようだ。ずっと先頭を走っていたから疲れたのだろう。起こすのも可哀想だから、リーズ抜きで話をする。
「じゃあ、何から話をしようか」
「まずはエルフの村だ!
新しい情報はあるか?」
リリィさんが身を乗り出して答えた。
エルフについては少し話をしているので、今日はエルフの国があったと思われる場所の情報だな。
「エルフの国らしき場所だ」
「わかったのか?」
「いや、これから探しに行こうと思っている。ミルジア王国の東にあるようだ」
「むっ……。ではさっそく行こうか」
相変わらず気が早い。何も準備していないし、宿を取ったばかりなんだ。準備が整うまでの数日間は王都に滞在するつもりだ。
「待て。すぐには行かないぞ。かなり遠いみたいなんだ。まずは長期間キャンプをするための準備をして、ギルドから越境許可証を貰う」
そういえば越境許可証は先に貰っておいたほうがいいだろうな。たぶんビザみたいな物だ。下手をするとアホほど手間と時間が掛かるかもしれない。さっきついでに貰ってくれば良かったなあ。二度手間じゃないか。
「そうか……ではできるだけ早く準備をしよう」
「そうだな。リリィさんの装備品は整っているか?」
「ああ、私は問題無いと思うのだが、君たちが確認してくれ。
ところで……リリィさんと言うのはやめてくれないか?」
「ん? リリィさん以外に呼び方があるのか?」
「“さん”というのがなぁ。私は君たちの世話になる身だ。どうも気持ちが悪い」
出たよ、リリィさんの『気持ちが悪い』だ。俺の敬語はこの一言で無しになったんだ。今回も同じだな。たぶんリリィ“さん”と呼ぶ度に怒られる。
「わかった。リリィ、これでいいか?」
「ああ。みんなもそれで頼む」
みんなも“リリィ”と呼ぶことになったのだが、ルナだけはリリィさんと呼び続けるようだ。昔からの関係もあるし、性格上誰かを呼び捨てにすることに抵抗があるのだろう。
その後リリィさんは、マジックバッグからゴソゴソと色々取り出して床に並べた。
「では私の装備品を確認してくれ」
リリイさんは今、宮廷魔導士の実験服を着ている。俺が以前着ていた服と同じものだ。戦闘用の装備を別に持っていて、それは普通の革鎧だった。面白くない……じゃなくて、もっといい服を買おう。
並べられた装備品の中に、剣や盾のような、所謂普通の装備は含まれていなかった。武器はメリケンサックだけだ。こんな装備で大丈夫か?
「ちょっと、リリィ。剣はどうしたのよ。ナイフでもいいわ。持ってないの?」
大丈夫ではなかった。クレアから指摘されている。
メリケンサックでも立派に戦えていたが、魔物が相手となるとそうはいかないだろう。ナイフくらいは持っておいたほうがいい。
「無いぞ。私は刃物を扱ったことがないのだ。包丁すらもまともに使えないから、魔導院に置いてきたよ」
リリィさんが胸を張って堂々と宣言した。自慢するようなことではないだろうに。
クレアもナイフを持っていないから、2人の分のナイフを買おう。武器というよりもキャンプの時に必要なんだ。
「ところで、リリィの武器なんだが……」
「リリィズナックルのことかい?」
名前付けてたんだ……。しかも自分の名前だよ。別にいいんだけどさ。
「うん、まあ、それだ。魔物を相手に使える武器なのか?」
「もちろんだ。前回はお披露目できなかったが、この武器は殴るだけではないのだよ」
このメリケンサックは、鉄の塊に見えるが実は魔道具だ。治癒効果の他にも何かあるようだな。小細工の部分が隠れていて、何が起きるか分からない。でも今のところはこれで様子を見よう。
ナイフも買うが、いざとなったら俺の剣を貸す。未使用のクレイモアが1本あるのだ。使わない予感が的中して、全く使っていない。
「明日は念のためにリリィの装備を買いに行こう。このままでは少し心配だ」
「そうね。アタシも買っておいた方がいいと思うわ。
ところで、リリィも正式なパーティメンバーということでいいのよね?」
「俺はそのつもりだが?」
何か問題があったっけ……。元々うちのメンバーとも仲が良かったんだ。特に問題が無いように思うぞ。
「……リリィさんにはまだルールの説明をしていませんでしたね」
あ、まだ言っていなかった。報酬の問題だ。クレアの初期みたいにゲスト扱いにすることもできるが、面倒だから統一したい。
「パーティの報酬は、俺が代表して預かることになっているんだ。そのかわり、支払いはすべて俺が担当する。装備品や魔道具の素材、生活費などもすべてだ」
「なにっ! それはまたずいぶんと……いや、いいじゃないか。素材もすべて……か。
ふっふっふっ……喜んで従おう」
リリィさんは初めは難しい顔をしていたが、次第に口元が緩んでいった。そんなに好条件なのかな。
実際、悪い条件ではないはずだ。装備品の値段は同じじゃないから、等分すると逆に不公平になる。だからといって装備品に合わせて分配すると、目に見えて不公平になる。
分配にトラブルはつきものなんだ。最初から分配しないというのは、割と理に適っていると思う。
明日以降の予定が決まった。冒険者ギルドから武器屋と服屋、雑貨屋に寄って、最後に食料品だな。意外と予定がびっしりだ。王都には3日ほど滞在することになるだろう。






