散らかった物を部屋の隅に寄せる事は掃除とは言わない
メイドさんの休憩室の前で立ち止まる。ノックをして反応を窺った。
「はーい。どなたかしらぁ?」
中から呑気な声が聞こえてきた。聞いたことがない声だな。俺が会ったことがないメイドさんと言えば、メイドの偉い人くらいだ。その人は現場にあまり出ないから俺と会う機会がなかった。
「使徒じゃない方のコーです」
そういうしか無いんだよ。自分から“じゃない方”とは言いたくないが、これが一番わかりやすい。
「あ……コー様ですね。どうぞ、中へ」
メイドさんはドアを開けて中に招き入れてくれた。40歳くらいだと思うのだが、上品できれいな女性だ。休憩室にはこの人しか居なかった。他のメイドさんは仕事中なのだろう。
しかしどうして『様』なんだよ。おれはそんなに偉くなった覚えは無いぞ。
「ありがとう。でも『様』は止めてくれ」
「いえ、コー様は騎士相当の身分をお持ちでいらっしゃいますよね?」
あーそうだった。忘れていた。何かと面倒だから名乗ることを止めた肩書だ。身分としては平民以上で貴族以下、騎士の中では下の方と言ったところだ。
「え? そうだったの? 聞いてないわよ!?」
クレアが取り乱している。そういえばまだ教えていなかったっけ。リーズにも教えていないのだが、特に気にしている様子はないな。
「肩書だけだ。どうということは無い。クレアとリーズには後で説明する。
俺のことは普通の冒険者だと思って接してくれ」
「そうですか……。では、そうさせていただきますね。今日はどういったご用でしょうか」
冒険者として接しろと言ったのに口調が変わらないのだが、元々上品な喋り方をする人なのだろう。見た目通りだ。
「魔道具の試作品を作ったんだが、まだ調整中でな。現場の意見を聞きたいんだ。使ってもらえないだろうか」
「魔道具を? それならメイドよりも兵士さんや宮廷魔導師さんの方が良いのではないでしょうか」
「いや、この魔道具は掃除用だ。掃除のプロはメイドさんたちだろう」
そう言って『ブロア』を15本取り出す。ブロアは30本作ってあるが、全部を配ると後で困る。意見を聞いて修正しなければならないからな。
「この棒が? どういう魔道具なのでしょうか」
メイドさんは訝しげな目でブロアを見つめるが、見た目はただの棒だから仕方がない。
近くのテーブルにブロアを置いて、使い方を説明した。
「風でゴミを吹き飛ばすんだ。箒の代わりになる」
「……これは便利ですね。さっそく使わせていただきます」
「あの……メイドさん、ここにあるスイッチなのですが、絶対に触らないでください」
ルナが真剣な顔でリミッターのスイッチを指して言うと、メイドさんもつられて真剣な顔になる。
このスイッチは出力を制限するリミッターだ。ルナとクレアが絶対に付けると言い張ったので、仕方なく取り付けた。
「これに触るとどうなりますか……?」
「王城が吹き飛びます」
大げさすぎー! さすがにそこまでの出力は無い……と思うよ? せいぜい壁が抜ける程度だと思う……たぶん。
「注意します。メイドたちにもよく言っておきます」
「この切り替えは暴徒を鎮圧する時にでも使うといい。王城は飛ばないだろうが人なら吹っ飛ぶ」
「コー様、それはメイドの仕事ではありませんよ……」
メイドさんは引き攣った笑顔で答えた。暴徒鎮圧は掃除の一種だと思うんだけどなあ。
「危険なものではないから、気にせず使ってくれ」
「ありがとうございます。では、次にコー様をお見かけした時に感想を言わせていただきます」
メイドさんはそう言って上品にお辞儀をした。
喜んでくれているようだな。王城は広いんだ。ここならブロアは酷使されるだろう。毎日長時間使われるはずだから、耐久テストにもなる。
上品なメイドさんに別れを告げ、休憩室を出た。
最後は魔導院だ。位置的には先に魔導院へ行った方が近かったんだが、話が長くなるかもしれないから最後にした。教会の動きについては宮廷魔導師も詳しく聞きたいだろう。
魔導院の扉を叩くと、リリィさんが出てきた。前回もリリィさんが対応してくれたのだが、来客担当なのかな。
「やあ。また君たちか。今日はどうしたんだ?」
「新しい魔道具を作ったから、試してほしいんだよ」
「ほう! また新作を作ったのか! ぜひ見せてくれ」
リリィさんは満面の笑みを浮かべ、俺たちを中に引き込んだ。いつもの応接室に通される。
この応接室は、大きな広間を薄い板で仕切っただけの簡素な作りだ。しかし防音の魔道具で声を遮っているので、見た目以上にしっかりした部屋になっている。
椅子に座り、ブロアを取り出してテーブルに置く。リリィさんの視線はブロアに釘付けだ。
「これがそうだ。箒の代わりに風でゴミを吹き飛ばす」
「ふむ。なるほど……。相変わらず構成が理解できないのだが、これは便利だな」
リリィさんはブロアをくるくると回しながら色んな角度から眺めている。
時折リリィさんから質問が投げかけられるが、その都度ルナが答える。
「これは……?」
「調整レバーです。ここで風の強さを調整します」
「なるほど、便利だな。さっそく使っても?」
「いいですよ」
リリィさんはルナの許可をもらい、椅子に座ったままブロアを起動した。手のひらや顔に風を当て、「おお」と感嘆の声を上げている。
風を受けたリリィさんの長い髪がなびく。栗色の髪は光を浴びて輝いている。シャンプーのCMみたいだ。
少し改良すればドライヤーも作れるんじゃないのかな。ロールブラシも付けたら女性に喜ばれそうだ。ドライヤーの温度は何℃だったかな……500℃? 違う、それはヒートガンの温度だ。髪の毛がチリチリになる。
上手く調整すれば大丈夫だろう。今度自分の髪の毛で試そう。
「これは素晴らしい。私にもぜひ売ってくれ」
「いえ、これはリリィさんに差し上げます」
「いいのか?」
「ああ、そのために持ってきたんだ。使って意見を聞かせてくれ。ただし、まだ調整中の試作品だから改良のために借りるかもしれない」
「ありがとう……。私は貰ってばかりだな。何か渡せる物があると良いのだが、あいにく私はまだ新作を作れていないのだよ」
リリィさんは悔しげな表情で俯いた。
教会の問題は解決していない。それどころか事態が悪化する一方だ。リリィさんは心なしかやつれたようにも見える。激務に追われて休めていないのだろう。
そういえばリリィさんは『過働の指輪』なんていう魔道具を作っていたよな。24時間働き続ける事ができるという危険な魔道具だ。もしかして使っているのか?
「気にしないでくれ。それよりも、顔色が良くないが、ちゃんと休んでいるのか?」
「休まなくても大丈夫だ。『過働の指輪』があればどれだけでも働ける」
使ってたー! 確実にヤバイやつだ。あれは疲れない魔道具ではない。疲れたと思わせない魔道具だ。短期的に使う分には問題ないだろうが、長期で使うとかなり危険だ。
「その魔道具はあまり使いすぎない方がいいぞ。たまには指輪を外してゆっくり休んでくれ」
「そうか? 便利なんだがな。
ところで、このスイッチは何だ?」
「ダメです! そこは触らないでください!」
リリィさんがリミッターのスイッチに手を掛けたところで、ルナが慌てて制止した。
「スイッチがあるのに触るなと?」
「はい。危険ですので触らないでください」
「そうか……わかった」
リリィさんはそう言ってリミッターのスイッチを切り替えた。
『ゴォォォォ……ベキッドガッ! バサバサバサバサベキッ』
全力を解放されたブロアは、唸り声のような風切り音を轟かせて暴風を吐き出す。
仕切り板はあっという間に剥がされ、部屋の奥に設置された作業台を巻き込んで向こう側の壁に突進していった。部屋中の紙が宙を舞い、花吹雪のようになっている。
部屋の真ん中を突っ切った暴風は、すべての物を壁に追いやって止んだ。
作業中の人たちは壁にしがみついて難を逃れたが、作業場に置いてあった物は容赦なく破壊されたようだ。
「リリィさん! どうして触るんですか! ダメって言ったじゃないですか!」
ルナがリリィさんに怒鳴り声を上げた。
怒られているはずのリリィさんは、嬉しそうにけらけらと笑いながら口を開く。
「触るなと言われたら触るだろう! 当たり前だ!」
こうも堂々と宣言されると逆に清々しい。俺も触るなと言われたら触る派だ。危険だと言われたら尚更触りたくなる。
「そうですね……リリィさんなら触りますね。私が間違っていました……」
俺もそうなのだが、このタイプの人間には「触るな」は逆効果だ。絶対触る。じゃあ「触っていいよ」と言われたら? やっぱり絶対触る。
結局何を言っても無駄なのだ。
「これは素晴らしい威力だ。散らかった部屋が一瞬できれいになるじゃないか!」
「だから危険なんです! すぐに切り替えを戻してください」
リリィさんには大好評だな。この人にはリミッターなしの本気版をプレゼントした方が良かったかもしれない。
部屋の奥を見ると、作業中だった宮廷魔導師さん達は揃って戸惑いの表情を浮かべていた。そして何が起きたのか理解できず呆然と立ち尽くしている。
そのうち1人の宮廷魔導師の男がこちらに向かって歩いてくる。
「今のは何だ?
おや、ルナちゃんとコーじゃないか。今のはお前のしわざか?」
この人はルナの元上司のイケメン宮廷魔導師だ。肩書は主任で、名前はランデルという。この人は上司のくせに何かとルナに甘い。そしてルナを連れ出した俺に厳しい。
「いや……うーん、どうだろう。俺が持ってきた魔道具が原因なのだが……」
俺のせいかと言われたら違う気がする。しかし俺が原因かと言われたら一端を担っているのは間違いない。この場合はどうしたらいいんだろう。
「魔道具だと? 何の魔道具だ! 何をしたらこんなことになるのだ?」
「本来は掃除用の魔道具なのだが、リミッターを切るとこうなる」
「掃除用! 素晴らしい! これなら散らかった作業部屋があっという間に片付く!」
大喜びの元上司。思考がリリィさんとよく似ているな……。同じことを言っているぞ。
元上司はリリィさんからブロアを奪い取って注意深く観察している。奥にいる他の宮廷魔導師は何やらざわついているが……。
「主任、そんなことよりまずはこの惨状をどうにかしましょう」
ルナの提案に、元上司は心底辟易した顔をした。
「それは急ぐことではない。もうここにいる全員が、進まない作業にうんざりしていたんだ。誰かが綺麗サッパリ吹き飛ばしてくれないかと思っていた」
吹き飛んだね。物理的に。
ずいぶん根を詰めて作業していたようだが、ここの人たちは教会のことをどれくらい調べたんだろうか。
「調査はどこまで進んだんだ?
俺たちもそれなりに情報を持っている。情報交換をしないか?」
「ふむ……いいだろう。と言っても我々の仕事は証拠固めだ。お前たちはすでに知っていることばかりだと思うぞ」
この人たちはずいぶんと面倒な作業を割り当てられたものだな。時間がかかり人手も必要で、何よりも地味。そんなことは兵士に任せろと言いたいが、たぶん魔道具を使って科捜研みたいなことをやらされているんだと思う。
「それは面倒な仕事を押し付けられたもんだな。
俺たちが掴んだ最大の情報は、教会南派がクーデターを企てているということなのだが、そっちではどうだ?」
「それはこちらでも把握している。首謀者もわかっているよ。もう間もなく行動開始だろう。今は王都の兵士が教会の動向を監視している」
「そこまでわかっているのになぜ止めないんだ?」
「止めたくても止められんよ。教会とはそういう所だ。確たる証拠が見つかるまでは手が出せん」
この国では教会の権力がかなり強い。もし教会に攻め込んで証拠が見つからなかったら、それこそ王が罷免されてクーデターが成立してしまう。
逆にさっさと行動開始してくれたほうが手っ取り早く解決できそうだな。王城に攻め込んでくれれば即現行犯逮捕だ。
「傭兵ギルドの動向はどうだ?」
「傭兵ギルドは全面的に協力しているわけではないようだ。一部の傭兵はすでにギルドから脱退している。残った傭兵も半数程度は教会と関わりを持っていない」
脱退……薬屋の婆さんの孫がそうだな。真面目な傭兵は脱退済みで、残っている傭兵は碌な人間じゃない。半数は反乱軍、半数は犯罪者だ。考えようによっては全員犯罪者だ。
「積極的に犯罪行為に手を貸しているようだが?」
「そうなのか?
しかしそいつらは教会派ではないだろう。クーデターの前に余計なことをして兵力を減らすというのは考えにくい」
おそらくクーデターに参加したくない傭兵は脱退したがっている。傭兵ギルドが金を貸すのは脱退を引き止めるためなのかもしれない。脱退したくても借金が枷になっている奴は、高いリスクを背負って犯罪行為で金を稼ごうとしているんじゃないかな。
そう考えると、傭兵ギルドは全面協力していることになる。
「傭兵ギルドのトップが関わっている可能性は無いのか?」
「む……それは知らない。あり得ない話では無いな……。調べてみよう」
「役人との癒着はどうなんだ?」
「それがな……教会の人間であることは間違いないが、今回のクーデターとは無関係だったんだ。私もこれ以上は知らない」
無関係? 結局謎が残ってしまった。無関係ということは、今狙われているのは俺だ。リーズは今のところは心配無いと思っていい。
なんだか釈然としないが、リーズが狙われた問題は保留だな。
「悪いな。情報交換と言いながら俺は大した情報を持っていなかった」
「いや、そんなことは……そうだな。大した情報を得られなかった。次はもっと良い情報を持ってこい。
それと、さっきの魔道具は置いていけ」
元上司が偉そうに言う。態度は偉そうなのだが威厳がないので偉い人には見えない。割と親しみやすい人だ。
「置いていけも何も、あれはリリィさんにあげた物だ」
「何? 私にもくれ!」
ルナとリーズに許可を貰い、元上司にもブロアを渡した。今日の情報料としては安いものだろう。
元上司はホクホク顔で作業場に戻っていった。
「リリィさん、邪魔をして悪かったね。また来るよ」
「そんなことはない。みんな良い息抜きになったと思うぞ。また来い」
今日の俺はすげえ邪魔だったと思う。なんせ今日の作業をすべて吹っ飛ばした(物理)からな。なぜかみんな喜んでいたみたいだけど。
相当イライラする作業だったんだろう。吹っ飛んだおかげでスカッとしたらしい。でもこの後で地獄の復旧作業が始まるんだろうな……。