異世界はフラグに溢れている
俺たちは今、王都の職人街を歩いている。ポーション作りの道具を買うためだ。職人街は北側、つまりは王城の裏側にあり、南側にある冒険者ギルドとは最も離れた場所だ。
鍛冶屋などの職人が軒を連ねる区画で、常に喧しい。何かを叩く音、何かを擦る音、何かが爆発する音。何をしているのか知らないが、この辺りに住むなら防音の魔道具が必須である。というかその魔道具は作業場に置けよ。
ポーション作りの道具に限らず、職人が使う道具は職人街の近くでしか買えない。消耗品程度なら冒険者ギルドがある南側の商店街でも買えるのだが、質の良いものを求めるなら北側の商店街で買った方がいい。
職人の道具屋に入り、商品を見て回った。その道具は、ガラスでできたフラスコとビーカー、それに銅でできた管のようなものや天秤などのセットだ。
値段は、クレアが言った通りの金貨50枚。安くはないが買えなくもない。
「ねえ……本当にいいの?」
クレアが心配そうに聞く。ポーション作りの道具一式で金貨50枚、初期の消耗品が金貨10枚。俺にとっては先行投資に過ぎない。クレアにポーションを作ってもらって売るだけだ。
「ああ。張り切って作ってくれ」
「ありがとう……アタシは何を返せばいいのかな?
アタシ、このパーティでやっていく自信が無くなったわ……。さっきの訓練でも、コーが居なかったら大怪我をしていたと思うの」
みんなで一緒に受けた訓練だ。クレアは、袋叩きにされる寸前で俺に助けられたことを気にしているらしい。決定打に欠けるものの、上手く捌いていたと思うのだが、本人は納得していないようだ。
「いや、俺はよく頑張っていたと思うぞ。兵士30人に囲まれることなんか普段無いんだから、気にしなくていい」
よくあることだと言うなら、この国の治安を心配するよ。よくあることと言えば、せいぜい数百匹のゴブリンやウルフに囲まれる程度だ。全く問題ない。
「あの……やっぱり、クレアさんにもアレを使ったほうが良いのではないですか?」
「アレかぁ……。いずれは、と思っていたけど、クレアにも覚悟してもらう必要があるぞ」
アレだ。効果が発動しているときに、ものすごく発情してしまう恐ろしい魔道具だ。誰かが監視した状態で使わないと危険なのだが、監視係が高確率で襲われる。そして次の日とても恥ずかしい思いをするのだ。
経験者のリーズを見ると、顔を真っ赤にして俯いている。今思い出しても恥ずかしいらしい。
しかし、せっかく正式にパーティメンバーになったのだから身体強化は覚えてほしい。人によって効果が違うみたいだから、クレアの効果を知りたいという気持ちもある。
「覚悟って何よ……。いいわ! 何でもやるわよ!」
「決まりだな。じゃあ宿に帰ったらやってみよう」
クレアが真剣な眼差しでこちらを見ている。決死の覚悟といった様子だ。これなら乗り越えられるだろう。
道具を買い終え、また屋根走りで宿に戻る。疲労困憊のクレアには、ルナから強化魔法を掛けてもらった。
王都はかなり広く、辻馬車で帰ろうと思うと半日ほど馬車に揺られることになる。すでに日が傾く時間だから、普通ならこの近辺で一泊してから帰るらしい。俺達は魔法で馬よりも速く走れるから、ほんの数十分で帰ることができる。
この世界は魔法が使えない人には優しくない。魔法で何でもできる反面、魔法が使えない人は不便を強いられる。それを補うのが魔道具だ。地球で言う“科学”は、この世界の人にとっては“魔道具”なのかもしれないな……。
などと、取り留めのないことを考えているうちに宿に到着した。いつもの宿だ。
「おかえりなさーい!」
いつもの看板娘が元気良く声を掛けてきた。今日も笑顔で楽しそうだ。スカートをふわりと翻してこちらに来る。
「ああ、ただいま。いつも元気だね」
「元気だけが取り柄だからねっ。ごはんできてますよ!」
宿の食事にメニューは無い。ここの店主がその日の気分で作ったものを全員に提供するだけだ。多少余分に作っているようだが、仕込み前に注文しておかないと食べられないこともある。
食い損ねる可能性があるので、俺は毎朝金を払ってから出発している。これをやっておくと、夜になっても帰ってこない時はギルドに報告してくれるそうだ。場合によっては捜索隊や救援隊を出してもらえるので、冒険者にとってはありがたい。
「ああ、ありがとう」
俺たちは食事を終え、俺の部屋に集合した。さて、誰を監視係にしようか……。というか、クレアほどの年齢になれば婚約者や恋人が居るんじゃないのか?
「クレア、訓練の前に聞きたいのだが、婚約者は居るのか?」
「居ないわよ! 悪い!? 恋人ですら居たこと無いわよ! なんで今そんなこと聞くのよ」
クレアは、顔を真っ赤にして抗議した。怒っているのか恥ずかしいのか……。
「コーさん、聞き方が悪いですよ?」
そうなの? 何と言うか……これ以外の聞き方が思いつかないんだけど。
「悪い。もし居るなら手伝ってもらおうと思っただけだ。居ないなら仕方がない。ルナかリーズが手伝ってやってくれ」
女性同士で助け合ったほうが問題が少ないだろう。恥ずかしさは変わらないだろうがな。
「ちょっと待って。ルナとリーズを信用していないわけじゃないのよ? でも、できればコーの方がいいわ。
コーじゃダメなの?」
「ダメですっ! 私がやります!」
ルナが力強く反対した。俺もダメだと思うよ……。アレは絶対に男の近くで使ってはいけない。男女共にだ。大変なことが起きる。
結局、ルナが立候補したので彼女に任せることにした。ルナならしっかりしているから大丈夫だろう。
俺たちは宿を2部屋借りているので、今日はルナとクレア、リーズと俺で分かれた。珍しい部屋割りだ。というか、リーズと長時間2人きりになるのは初めてかも知れない。
せっかくの機会だから聞きたいことを聞いておこう。お互いのベッドに腰を掛け、正面を向いて話を始める。
「なあ、リーズはこの前狙われていたよな? 何か心当たりはあるか?」
目の前の敵を排除できたので、この辺りのことは詳しく聞いていない。今後また狙われるかも知れないという危惧はあったのだが、王都に居ることが少なくなれば問題ないだろうと思って後回しにしてきた。
しばらく王都に滞在しなければならない今、もしかしたら再度狙われるかもしれない。
「えー? うーん……わかんないよ?」
リーズはしばらく考え込んで言った。本人に心当たりがないなら、本人が気が付いていない可能性もある。
「じゃあ、リーズの生い立ちを教えてくれないか。育った場所や両親のことだ」
「え? あたしが生まれた村は普通の農村だよ? 父さんも母さんも普通の人だよー」
農村生まれにしては世間知らず過ぎじゃないのか? 魔物も見たことが無いくらいだったんだ。絶対箱入り娘だと思っていたのに。
「農村で育ったのに、なんで魔物を見たことが無かったんだ? この前初めて見たって言っていたよな?」
「しらない。でも魔物は出なかったよ? こっちに来る時は外が見えなかったからわかんない」
「外が見えない?」
「馬車で来たの。幌があるから外が見えないんだよー」
俺も勘違いしていたのだが、王都周辺は確かに魔物が少ない。兵士が狩り尽くしてるから居たとしてもウサギなどの弱い魔物だ。俺が初めて外に出たときに出会ったオーガは特別だった。俺の運が良かっただけだ。
もしかしたら農村周辺も魔物が少ないのかも知れないな。
「なるほどな。村には婚約者は居なかったのか?」
農村なら農家の長男あたりに適当にあてがわれてもおかしくない。閉鎖的な村なら酷い扱いを受けることもある。
「いないよー。おじいさんに嫁がされそうだったから逃げたぁ」
すでに酷い扱いを受けていたか……。親や村長が結婚相手を選ぶというのは珍しい話ではないが、いくらなんでもジジイではかわいそうだろう。
「そうか……悪かった。村に若い男がいなかったのか」
「そうじゃないよ? 獣人は獣人としか子供を作っちゃいけないんだってー」
「ん? この国の法律にはそんなこと書かれていなかったぞ?」
俺はこの国の法律と教会の戒律が書かれた本を持っている。それらを読み、おおまかな法律は理解したつもりだ。珍しいことではあるが、王都では普通に人間と獣人が結婚しているらしい。
「わかんない。村ではそう言われたよ?」
うわ、典型的な閉鎖的な村だ。聞く話によると、王都に居る獣人はほぼ全員が混血だそうだ。リーズは純血の獣人ということか。
「そうか。リーズの結婚相手を探すのは大変そうだな」
「あたしは獣人じゃなくてもいいと思ってるよー。
あたしは……こんさんと結婚したいな」
リーズが本気のトーンで言う。
いやいやいや、またいつフラグが立ったの? 知らないうちにフラグが立つのは止めてくれ。心臓に良くない。
「気持ちは嬉しいが、俺にはルナが居るからな……」
やんわりと断っておく。残念とか惜しいとか思わないでもないが、パーティ内でこの手の揉め事は致命傷だ。
「えーー!? じゃあルナちゃんとお話ししてみる」
リーズはどこか恥ずかしそうに、ふくれっ面でプイッとそっぽを向いた。
たぶん話し合いで解決する問題じゃないぞ……。今後の活動に支障を来たさない程度に頑張ってくれ。
「悪いがその話は後だ。
村や両親がリーズを追っているということは無いのか?」
「ないと思うよー。村にはそんなお金ないよ」
例の一件は意外と金が掛かっている。傭兵まで出てきたからな。貧しい村では1人の娘のためにそこまでする理由が無い。おそらく村は無関係だな。
結局何もわからなかった。この話から推察できることは……何も無いな。のちほどちょっと修羅場るかも知れないということがわかっただけだ。
うーん……おかしい。俺は日本ではモテたことなど無かったんだが、ここに来て突然のモテ期だ。もう日本に帰らなくてもいいかな……?
「ありがとう。結局リーズが狙われた理由がわからなかったから、しばらくは警戒を続けるぞ」
森の調査が終わったら本格的に遠出をしよう。街の中でいちいち警戒するのは面倒だ。
と言っても、ここは日本じゃないから常に警戒する必要があるんだけどな。たとえ地球でもスリや置き引き、強盗に用心しなければならない地域があちこちにある。この国は平和だが、さすがに日本より犯罪率が低いなんていうことは無いだろう。
「ねー。こんさんはどこで生まれたの?」
そろそろ寝ようかと言いかけたところで、リーズから声を掛けられた。隠しているつもりは無いのだが、リーズとクレアはまだ知らない。教えて害になることでもない。話しておこう。
「リーズは使徒召喚っていう儀式を知っているか?」
「うん。聞いたことあるよ」
「俺はその使徒召喚でこの国に来たんだ」
「え? こんさんは使徒なの?」
リーズは耳が垂れ下がり、顔を曇らせてそわそわしている。
「違うぞ。俺は巻き込まれただけの一般人だ。さっき城で会った2人が使徒だよ」
使徒の2人とは、城内をうろついている時にばったりと会った。リーズも隣に居たから覚えているはずだ。
「そうなんだ……。こんさんも神の世界に行っちゃうの?」
使徒の活動って市井の間でも知られていることなのか。意外と使徒への協力体制は万全なんだな。だったら寄付でもしてあげればいいのに。アイツら全然金無いみたいだったぞ……。
「いや、俺は使徒の活動とは関係ない。いずれ元の国に帰ろうかと思っている」
「帰っちゃうの?
ねえ、こんさんの国は獣人が居ないんだよね? 行っても平気かな? 捕まったりしないかな?」
平気ではないな。多分捕まるだろう……。マスコミに追われるだろうし、変な集団に研究対象として連れていかれそうだ。
というかリーズは一緒に来る前提で話をしているな。俺は一緒に行けるとも連れていくとも言っていないぞ。まあ、来たいと言うなら止めないが……姿を変える魔道具が必要だ。暇を見つけて開発しよう。
「ついてくるつもりなんだな……。ちゃんと準備をしてから帰るから、心配するな」
「うん!」
リーズを連れて帰ることが確定しちゃったよ。ただの予定だから直前でキャンセルするかも知れないけど、一応連れて帰る準備だけはしておくか。