お散歩3
ボナンザさんに案内されたのは、見晴らしのいい高台だった。空気は澄んでいて、見下ろすと遠くに王都の町並みが見える。
俺たちは平坦な場所にテーブルを置き、お茶の準備をした。
今回の食器やテーブル一式は、ボナンザさんが持ってきてくれた高級品。テーブルは無駄に曲線が強調され、メルヘンチックでクソ高そう。さらに椅子も同じような意匠で、これもまた高そう。カップはきれいに装飾された花柄の磁気だ。絶対高いだろう。
王室を思わせるような椅子に座り、ボナンザさんに訊ねる。
「こんな椅子を使っていいのか? 外で使うようなものじゃないだろ」
「いいのよ、店で昔使ってたやつだから。最近入れ替えをしたから、前のが余ってるの」
どうやら、倉庫の肥やしになっているらしい。売ればいいのに……。
俺の思いをよそに、ボナンザさんは鼻歌交じりでお茶の準備をすすめる。慣れた手付きだ。店をやっているだけあるなあ。
やがて、お茶は俺の前に差し出された。透明感のある白いカップに注がれた、透き通った茶色の液体。日本でよく見る紅茶だ。ご丁寧にミルクと砂糖まで添えられている。それを見て、思わず声が出た。
「あれ……このお茶……」
俺たちがいつも飲んでいるお茶は、各種ハーブティだ。しかし、これは紛れもない紅茶。あまりにも高すぎて、買うのを躊躇したものだ。
「あら、やっぱりわかる? お茶といえば、やっぱりコレよねえ」
ボナンザさんが恍惚とした顔で答えると、アーヴィンがそれに同意して頷きながら言う。
「うん。うちで飲んでいるお茶もいいけど、やっぱりこっちが本物のお茶だと思う」
くそぉ、貴族め……。舌が肥えていやがる。
「このお茶は高いんだよ。日常消費できるものじゃない」
「そう? あんたたちなら買えるでしょ?」
たしか、100グラムほどで金貨1枚くらいだったかな。買えるか買えないかでいえば、買える。買えなくはない。でも、その量では3日ともたないだろう。毎日飲むことを考えると高すぎる。
「いや、やっぱ無理だな。いっそのこと、自分で育てるか……」
エルミンスールは土地が余っているから、作れなくはない気がする。うん、そうしよう。
「いいじゃない。種をもらってきてあげるわ。知り合いにお茶農家が居るのよ」
「おお、それは助かる。頼むよ」
「泥棒には気をつけるのよ。すぐ盗まれるから」
お茶の木は背が低く、大量の葉が生い茂っているから、盗みやすい上に少し盗まれても気づかない可能性がある。人の多いところで育てるのは避けたほうがいいだろう。
「それについては問題ない。王都の他に、人目につかないところに家を持っているんだ」
「あら、そうなのね。しょっちゅう留守にしてるのも、そっちの家に居るから?」
「そうだな。王都の家は別荘みたいなものだ」
みたいな、というか、完全に別荘だ。転移のための拠点だから、あの家で生活する気はない。あの家に滞在するのは依頼遂行中くらいだな。
「そうなのね……。たくさん遊べるようになったと思ったんだけど、残念ね」
ボナンザさんは少し悲しそうに言う。ボナンザさんは遊び相手が増えた気でいたようだ。俺としても、今日みたいな遊びの誘いであれば否はない。
「いや、王都には頻繁に出入りするから、声をかけてくれればいつでも相手をするぞ」
住まないと言っても、王都に来やすくするための拠点だ。以前よりも頻繁に王都に立ち寄ることになるだろう。
「それは嬉しいわね。また家にお邪魔させてもらうわ」
ボナンザさんは嬉しそうに言うが……それは困る!
「来る前に連絡してくれよ。玄関先に置き手紙でいいから」
ボナンザさんは平気でうちのセキュリティを突破するからなあ。俺が居ないときに家に入られても困るので、先に釘を差しておく。
「わかったわ」
ボナンザさんは雑談をしつつ、きれいな磁気の皿にお菓子を並べてテーブルの上においた。そのお菓子は、手のひらサイズの丸くて小さな焼き菓子だ。
昔テレビで見たことがある気がするんだけど……なんて名前だったかな。
「マカロンだっ!」
アーヴィンが目を輝かせて大声をあげた。そうだったな、マカロンだ。地球のマカロンほど色鮮やかではないものの、シルエットはマカロンそのものだと思う。
「あら、アーヴィンちゃん。知ってるの?」
「あ……いえ、昔見たことがあって……」
「おかしいわねえ。これ、うちの子が作った新作なのよ? ミルジアには似たようなお菓子があったのね」
ボナンザさんは不思議そうに言う。アーヴィンもミルジアで見たわけではないだろう。
「あ……見た目が似てるだけです。別物ですよ」
アーヴィンはしまった、という顔をして、慌てて否定した。転生や使徒のことを言いたくないアーヴィンとしては失言だ。世界初のものを知っているって、どう考えても不自然だもんなあ。
アーヴィンは焦りを隠して焼き菓子をひとくち食べ、蚊の鳴くような声で呟いた。
「マカロンだ……」
味もマカロンだったようだ。そしてその声はボナンザさんにも届き、ボナンザさんは不審そうに首を捻っている。アーヴィンがこれ以上墓穴を掘らないために、話題を変えよう。
「なあ、そろそろ教えてくれないか。ここで何をするつもりなんだ?」
俺の質問に、ボナンザさんは不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ……ここにはね、犬が居るのよ」
「犬っ!?」
アーヴィンが笑みをこぼしながら大声をあげた。なぜそんなに嬉しそうなんだよ……。怪しさしかないだろうに。
「おいおい、こんなところに出る犬なんて、野犬かウルフの類だろう」
「野犬でもウルフでもないわ。犬よ」
嫌な予感しかしないが、何が出て来るのか気になる。しばらくここで待ってみよう。
お茶とマカロンが残り少なくなったところで、遠方からどう考えてもヤバイ気配が近づいてくることに気づいた。アーヴィンもその気配に勘付き、身を震わせている。気配だけでわかる、ヤバイやつだ。
相手の気配は一つだが、ワイバーンなんか相手にならないほどヤバイ。フルメンバーで迎えたい相手だ。
「来たわよ、犬」
ボナンザさんはそう言ってニヤリと笑うが……これじゃない感がエグい。
「ボナンザさん、この気配は犬じゃないだろ」
俺は立ち上がってマチェットを構えた。しかし、ボナンザさんはのんきに椅子に座っている。
「そう? 魔犬って言うくらいだから、犬でしょ?」
近づいているのは魔犬だそうだ。魔犬……確かに犬か。いや、犬ではない。一瞬納得しかけたけど、決して犬じゃない。でも、ボナンザさんの落ち着きを見るに、実はおとなしい性格なのかも……
『グァァァァ!!』
けたたましい咆哮が響くと、草むらから俺の目の前に向かって大きな火の玉が飛んできた。慌てて避けると、火の玉は空の彼方に消えていった。
こいつ、まったくおとなしくないな。
「ボナンザさん、こんなやつとどう遊ぶ気だったんだ?」
「何言ってるの、じゃれてきてるだけじゃない」
「いや、じゃれてる犬はこんな殺気を出さない!」
ボナンザさんは、やれやれ、といった仕草でゆっくりと立ち上がった。だめだ、この人。本気で遊ぶつもりらしい。
魔犬の正体はまだ顕になっていない。草むらと木陰に隠れ、気配だけが覗かせている。その間にも、火の玉と石の玉と強風が押し寄せてくる。
ふと心配になってアーヴィンを見ると、アーヴィンは俺の横で腰を抜かしていた。這いつくばりながら、器用に飛んでくる玉から逃げ回っている。
「おい、大丈夫か? とりあえず立て」
そう言ってアーヴィンの襟首を掴み、強引に立たせた。アーヴィンはどうにか自力で立ったが、目が死んでいる。大丈夫かな……。
相手の攻撃は絶えず俺たちに向かってきている。ボナンザさんは涼しい顔のまま拳で弾き飛ばしているが……流れ弾がたまに俺に向かってきているよ。その防御方法、やめてくれないかな。
このままやられっぱなしというもの気に入らない。こちらからも攻撃を仕掛けよう。不用意に近づけないから、アンチマテリアライフルだ。木が邪魔になって上手く当てられないので、まずは牽制。
数発の弾丸が木の幹をえぐり、それと同時に3匹の犬らしき顔が草むらから飛び出した。
相手は3匹……いや、おかしい。気配は1匹だけだ。
「アレは何なの……?」
アーヴィンは顔をこわばらせながらボナンザさんに訊ねると、ボナンザさんは普段どおりのテンションで答える。
「ようやく顔を出したわね。これが魔犬ケルベロスよ」
「やっぱり犬じゃないじゃないか!」
こんなことだろうとは思っていたよ。こんな山の中に、普通に犬が居るわけない。
相手の姿が見えたことで、アーヴィンは少し平常心を取り戻したようだ。アーヴィンは震える手でリボルバーを手に持ち、どうにか構えることができた。しかし、顔からは悲壮感や焦燥感といった負の感情が溢れている。
「アーヴィンちゃん、そんなに怯えないの。相手はただの犬なんだから」
「頭が3つあったらただの犬じゃないんだよ!」
しかもこいつは魔法を使ってくる。どこをどう切り取っても犬じゃない。
「さあ、行くわよ。殺す気で殴らないと効かないから、そのつもりで相手をしてね」
どうやら、ボナンザさんの『遊び』とは、殺し合いのことを言うらしい。
「こういうことは出かける前に言ってくれよ……」
「言ったら面白くないでしょ?」
そんな誕生日サプライズみたいに言われても……。まあ、今それを言い合いしても仕方がない。すでに襲われているんだから、死ぬ気で対応するしかない、
そうこうしているうちに、ケルベロスの全体が見えた。一見すると大型トラックくらいの大きな犬で、首から上が3つある。見た目は犬なのに、動きはそれほど早くない。のそりと動きながら、多様な魔法で攻撃してくる。
まずはケルベロスを観察する。体は1つだが、それぞれの頭が独立して動いているように見える。そして、それぞれの頭で使う魔法が違うようだ。
胴体はあまり動かないから、防御はそれほど難しくなさそう。1人が1つの頭に狙いを定める。俺は真ん中の、石を飛ばす頭。ボナンザさんは左の、風を出す頭。アーヴィンは右の火を飛ばす頭だ。
俺は飛んでくる石をマチェットで弾き、アンチマテリアルライフルの弾丸を当てた。数発撃ったうちの一発が頭に直撃し、顔の一部を吹き飛ばした。少し余裕が生まれたので、アーヴィンに目をやる。
その瞬間、大きな火の玉がアーヴィンを包み込んで地面を焦がした。アーヴィンは避けることができず、炎の中心で必死に堪えている。やがて火が消えると、無傷のアーヴィンがポカンとしていた。火を出したケルベロスの頭も、不思議そうに首を傾けている。
忘れがちなんだけど、俺たちは防熱の腕輪を身に着けているから、炎の魔法はほぼ効かないんだよね。俺は癖で避けちゃうけど、避ける必要なんてない。
「アーヴィン、俺たちに火は効かないから、遠慮なく当たっていいぞ」
アーヴィンは心配ない。ボナンザさんはどうだろう。
ボナンザさんに視線を移すと、地面を吹き飛ばすような強風が、ボナンザさんを襲っていた。そして、ボナンザさんはその強風を平然とした顔で耐えている。
「アタシを吹き飛ばしたいんだったら、こんなそよ風じゃ無理ね」
ボナンザさん、どれだけ重いの?
ボナンザさんも問題ない。視線をケルベロスに戻す……その直前に、ケルベロスから大きな石の玉が飛んできた。
「危なっ!」
なんとか避けたが、右手に掠ってマチェットを飛ばされた。改めてケルベロスを見ると、さっきえぐった傷は跡形もなく消えていて、元気に次の攻撃の準備をしている。
再生力が半端じゃないようだ。だったら、再生できないほど攻撃するだけだ。アンチマテリアルライフルの弾丸を、雨のように浴びせた。
弾丸はケルベロスの全身に風穴を空けたが、討伐には至っていない。不死身を思わせるほどの耐久力だ。さらに追撃を……と思ったところで、ケルベロスは一目散に逃げていった。
「ああ、行っちゃったわね。今日はこれで終わり。さっさと片付けて帰りましょう」
ボナンザさんはこともなげに言う。俺たちはわりと死ぬ気だったんだけど、ボナンザさんは最後まで遊んでいるつもりだったのだろう。
「もう嫌だ……」
アーヴィンは、その一言だけ呟いて地面に倒れ込んだ。目立った怪我はないが、精神的に疲れたのだろう。
ボナンザさんが「遊ぶ」と言ったら、今後は最大限の警戒が必要のようだ。万全の態勢で臨まないと命の危険がある。どうせまた誘われるだろうからなあ……。






