使徒見習い5
教会の主導で行われる炊き出しの準備は、淡々と進んでいる。今の作業工程は調理だ。かなり大量に作らないといけないと思うのだが、その作業に携わるのはルナとクレアの2人だけ。
ただ、ルナとクレアは主導権を奪取したためなのか、ずいぶんと楽しげに作業をしている。それにつられた子どもたちが、恐る恐る調理場に近づいていく。
「こらこら、邪魔するんじゃないぞ」
俺が子どもたちに声をかけると、子どもたちは驚いて逃げ去った。怖い声を出したつもりもないし、威嚇した覚えもない。どうしてそんなに怯えるんだろう……。
「コーくん、少しいいか?」
不思議に思っている俺に、リリィさんが声をかけてきた。
「どうした?」
「さっき神官が子どもに怒鳴っているのを見かけたのだ。おそらく、我々は怖がられている」
「……マジ?」
「ああ。慣れた様子だったから、いつもそのようにやっているんじゃないだろうか。だから、子どもたちは近づきたくても近づけないのだと思う」
そんなことに慣れるなよ……。子どもを威嚇したところで、いいことなんて何もないぞ。
無償で料理を提供するとはいえ、ここにいる子どもたちはゲストだ。フォローしておかないと、提供が始まっても近づいてこないだろ……。
「リリィ、クッキーを持っていないか?」
「持っているが……何をする気だ?」
「子どもたちに配ってやれ。リリィの分は、後でルナに焼いてもらおう」
子どもに媚を売るつもりはないが、避けられるようではやりにくい。クッキーを渡しておけば、少しくらいは警戒を解いてくれるんじゃないだろうか。
「……いいのか?」
リリィさんは不安気な声を出した。
「ルナには余計な手間をかけさせるけど、事情を話せば納得してくれるさ」
おやつ兼非常食のクッキーは、すべてルナが焼いている。本人は「趣味だ」とは言っていたけど、手間が増えるのは間違いない。でも、子どもたちに配ったと言えばすぐに補充してくれるだろう。
「いや、そうじゃなくて。教会の面倒な規則だよ。余計な事をすると、あのジジィがうるさいんじゃないか?」
リリィさんは、そう言って嫌そうな目をおじさんに向けた。言葉の端々から、おじさんのことを嫌っているであろうことが窺える。
余計なこと……ではないと思うけど、確かに文句を言ってきそうな案件だ。でも大丈夫。黙っておけばバレないし、万が一バレても文句を言われるだけだ。
「言わせておけばいいじゃないか。気にしなければ気にならない」
「……そうか。そうだな! よし、行ってくるよ!」
リリィさんは力強く頷くと、子どもたちがいる方向に走り出した。ここからは後ろ姿しか見えないが、子どもたちがリリィさんに気づいて怯えている……。どんな顔で走っているんだよ。
まあ、悪いようにはならないだろう。子どもたちのことはリリィさんに任せて、警備の任務に戻る。と言っても、ただボーッと突っ立ってるだけのクソつまらない任務なんだけどね……。俺もリーズと一緒に苔の上を滑りたい。
ああ、リーズが板を拾ってきてスノーボードみたいに滑っているよ……。楽しそうだなあ。
1人ぼんやりと警備を続ける中、おじさんが声をかけてきた。
「コー様、少しよろしいですか?」
「なんだ?」
「リリィ様が見当たらないのですが、行き先にお心当たりはございませんか?」
警備中のはずのリリィさんがいなくなっているため、おじさんは不自然に思ったらしい。まあ、当たり前か。
子どもたちのところにいるなんて言ったら、たぶん面倒な言い合いになると思う。ここは適当にはぐらかしておこうかな。
「お手洗いにでも行っているんじゃないか? いちいち詮索するなよ」
子どもたちにクッキーを配る行為は、今この瞬間にお手洗いと呼ぶことにした。だから間違っていない。
「いえ。そうだったとしても、私に断りがなかったものですから」
「トイレくらい誰でも行くだろう。それに、余程緊急だったのかもしれない」
リリィさんが駆け出した勢いを見る限り、かなり急いでいるようだった。緊急だったと言って差し支えないだろう。
「それでも、私の許可なく持ち場を離れるのは感心できませんねえ。今後は気をつけてください」
おじさんは不機嫌そうに口元を歪ませて言うと、ツカツカと自分の持ち場に帰っていった。
この小言については間違いないか……。今後は気をつけたほうがいいな。言い訳は適当でいいから、現場を離れるときは一声かけよう。
あくびが出る……。退屈な時間を過ごしていると、ルナが俺に駆け寄ってきた。
「お待たせしました。準備が整いましたよ」
調理が終わったようだ。ようやく提供開始だな。おじさんに報告して、次の指示を聞いておこう。
「おじさん、調理が終わったらしいぞ。次はどうしたらいい?」
「……調理係は何故私に直接報告しないのですか?」
おじさんは不機嫌そうに呟いた。報告したのが教会のおばさんであれば、このおじさんに報告していたんだろうけど……。そのおばさんは、しばらく前から業務を放棄して棒立ちしている。苛ついた表情を浮かべながら、ただただルナとクレアを睨むだけだ。
退屈じゃないのかなあ……なんて思うけど、本人はそれを楽しんでいるのかもしれない。俺が気にすることじゃないと思って無視をしている。
「そんな細かいことはどうでもいいだろ。とにかく準備は終わったんだ。早く次の作業に移ろう」
「細かい……? 私はこの場の責任者なのです。私に報告しないでどうするのですか。彼女に伝えてきてください」
このおじさんは、ルナに再度報告しろと言いたいらしい。アホかな? 何度手間をかけさせる気だよ。
「要件は伝わったんだから、どう報告されようが関係ないだろ。時間の無駄だから、さっさと次の仕事を教えてくれ」
「……あなたには、なにを言っても無駄なようですね。わかりました。それでは告知係を呼び戻しましょうか」
おじさんは呆れた顔で転写機を取り出し、何やら書き込んでいる。おそらく、告知係の若い男に連絡をとっているのだろう。
少し経ったところで、リーズと若い男が参加者を引き連れてきた。若い男が引き連れてきたのは、暗い表情をした数人の男たち。対するリーズが連れてきたのは、一緒に遊んでいた子どもたちとその家族だ。人数は……数十人いるな。数えるのが面倒だから、詳しい人数はいいや。
「まあまあかな。人が集まって良かったよ」
この手の行事で怖いのは、人が集まらなかったときだ。せっかく作った料理がすべて無駄になってしまう。
「こんなに人が集まるなんて初めてですよ。余程おなかを空かせていたのですね」
おじさんは満足げに頷きながら言うが……いつもは集客方法が悪いからだと思うぞ。まあ、余計なことは言わないけど。
待っているだけの任務だったので、やたらに時間が長く感じた。やっと提供を開始できる。
客を整列させるのは、さすがに俺たち警備係の仕事だろう。と思ったら違った。
「我々は待機です。告知係が整列させるのを待ちましょう」
「ん? なんで?」
心の中で思ったつもりだったが、完全に口が動いて声が出た。
「何故って……自分が呼び込んだ人なのですから、そこまで責任を持つのが常識でしょう。我々の役目は、整列時に起きる問題に対処することです。場合によっては武力行使することもございますので、そのおつもりで準備をお願いします」
常識という言葉には引っかかるけど、それよりもえらく物騒だな。さっきからずっと観察していたが、このあたりの住民は問題を起こすとは思えない。治安は良さそうだし、特段マナーが悪い様子も見られない。
でも、おじさんの口ぶりでは確実に問題が起きるようだったし……食事のこととなると、態度が変わるのかな。気をつけておこう。
そうこうしているうちに食事の提供が始まった。俺たち警備係は、発生するかもしれない揉め事に対応するために、リリィさんと並んで警備を続行する。
これは俺も必要なことだと認識しているけど、余計な威圧感を与えるだけな気がしてならないぞ。
リリィさんやルナたちに対する警戒は解かれているが、俺はまだ微妙に怖がられているようで、子どもが俺に近づいてくることはない。ちょっと寂しさを感じるけど……これは仕方がないな。俺は子どもたちに対して何もしていないから。
集まった人たちが整列を始める前に、リーズにひと声かけておこうか。
「リーズ、ここに来ている人たちを整列させろってさ。できるか?」
「うん、聞いてるよー。だいじょうぶっ! 任せて!」
リーズはそう言うと、調理台のほうへと駆け出していった。大丈夫らしい。本当に……? まあ、さっきまで一緒に遊んでいた連中だから、問題ないだろう。
そう思ったのも束の間。リーズが整列させている列の先頭あたりで、なにやら揉めているような声が聞こえる。俺の出番だな。現場に急行しよう。
「割り込むんじゃねぇよ!」
「そっちこそ、勝手に並んでんじゃねぇ。いつもオレが先頭だって決まってんだよ!」
現場に到着すると、リーズが連れてきた客と若い男が連れてきた客が言い合いをしていた。
状況を見る限り、リーズは先客順で整列させていたようだ。そこに若い男が連れてきた男が割り込んで、揉め事に発展したのだろう。悪い方は一目瞭然だ。
「割り込みは困るぞ」
そう言って割り込んだ男の襟首を掴み、列の後ろへと引き摺っていく。
「は? オレじゃねぇだろ! オレを誰だと思ってやがる!」
男はなにやら喚き散らしているけど、割り込むような奴の言い分を素直に聞けるほど、俺の心は広くない。はいはーいと適当に流しておく。
「どこに並ぼうが、料理は逃げない。素直に並んでいろ」
声に威圧を乗せて言うと、男は青ざめた顔で何度も頷いた。俺も手加減がうまくなったなあ……。以前なら、勢い余って気絶させていただろう。上達を感じるよ。
機嫌よくリリィさんの横に戻ったとき、おじさんが血相を変えて俺に向かってきた。
「コー様!」
「なんだ? また何か問題があったか?」
警備係の仕事がようやく増えてきたみたい。今まではものすごく暇だったから、忙しくなると助かる。
「大アリですよ! あなた方は整列の意味をご存知ないのですか!?」
おじさんの様子から察するに、どうやら警備の仕事が増えたわけではないらしい。残念……。
しかし、なんだか馬鹿にされているみたいな言い方だなあ。整列の意味くらいは理解している。客を効率よく捌くために重要なことだ。今のところ滞りない。
「いや、それについては問題ないぞ。列は順調に進んでいるよ」
「そうではありません! コー様が列の後方に追いやった方です! なんということをしてくれたのですか!」
おじさんの顔は焦りで青ざめた上に怒りで赤らんでいるようだ。そんなに拙いことをした覚えはないんだけどなあ。
「割り込んできたから排除しただけだぞ?」
「あの方は、どんなときでも必ず仲間をつれて来てくださるのです。あの方の機嫌を損ねたら……次からどうやって人を集めればいいんですか……」
どうやら古参の常連だったらしい。教会の人間が甘やかすから、かなりつけあがっていたのだろう。こんな奴を放置したら、今後はそいつの仲間しか来なくなるぞ……。
「そんなことは後から考えればいいだろ。マナーを守らない奴が悪い」
「おかしなことを言わないでください! 特別扱いが必要な方がいることは、あなた方もご存知でしょう!」
ようするに、VIP待遇っていうことかな? そういった対応が必要な人が居る、ということは承知している。でも、今回の件に必要だったとは思えない。
「そういう対応ってさ、周囲の人間全員が納得できる理由がないとダメなんじゃないのか?」
たとえば王侯貴族のようにね。
「それを決めるのは我々です! 勝手なことをしないでください!」
我々じゃないだろ。それをやってしまうと、俺たちが周囲に反感を持たれることになる。納得できる理由がないと、「なぜあいつだけ」という文句を言われるだろう。俺だって、わけのわからない奴がVIP待遇されていたらそう思うよ。
もし俺だったら、そんなことをする店には二度と行かない。意地でも行かない。なんだかムカつくからね。
「双方の損になるんじゃ……いや、やめておこう。次から気をつける」
言いたいことを言うと揉めるらしいから、ここはグッと堪える。
「わかっていただければ結構です……」
おじさんは不承不承に頷いて、俺たちのもとから去っていった。はぁ……使徒の仕事って、本当にキツイなあ。






