海2
計算通り、一日の移動で海辺の街に入ることができた。海辺の街の中に入ったが、海の香りのようなものは感じられない。海辺だと言うくらいだから、すぐそばに海があるのをイメージしてたんだけど……。
「海はどこだ?」
「こんなところからは見えないぞ。こう見えて、この街は結構広いのだ」
リリィさんから解説を受けた。街道に面した門は、海から最も遠い位置にあるらしい。奥に進めば海が感じられるということだろう。
さっそく海を見に行きたいところだが、思ったよりも移動に時間が掛かってしまったようで、日が傾きかけている。先に宿を探すべきかな……。いや、海に近い宿なら一石二鳥か。
「なるほどね。じゃあ、今日はできるだけ海の近くの宿を探そうか」
「そうだな。ここから少し走ったところに、窓から海が見える宿がある。今日はそこを目指そう」
「おお、いいじゃないか。案内を頼むよ」
せっかく海に来たんだから、宿屋のロケーションには拘りたい。海が見えるというのなら、多少ボロでも文句は言わないぞ。
というわけで、屋根の上を走って今日の宿に向かう。屋根の上に立つと、遠くに薄っすらと海が見えた。海辺に来たのだという実感が、ようやくわいてくる。
リリィさんの言う通り、本当に少し走ったところで宿に到着したらしい。リリィさんはスッと立ち止まると、周囲を確認して地上に降りた。目の前には大きな建物がある。ここが今日の宿なのだろう……。
リリィさんは「ここだよ」とだけ言い、ツカツカと建物の中に入っていった。俺たちもその後を追う。
建物の中はかなり広い。1階は食堂になっているようで、多くの人で賑わっている。壁際には宿の受付らしきカウンターの横に、食事を提供するカウンターも設置されている。おそらく、宿泊者以外も利用できるのだろう。
にしても、ちょっと混みすぎじゃないか……? 部屋が空いてないと面倒だから、食事の前に宿泊の手続きを終わらせたい。だが、今は従業員を呼び止められそうな雰囲気ではない。
「ここの料理は人気なのか?」
「そうだな。ここの料理は少し割高だが、評判がいいらしいよ。私はここしか知らないけどな」
リリィさんが笑顔で答える。詳しくないと言っていたリリィさんが知っているくらいだから、どうやら有名店だったようだ。
「料理は期待できそうだな。宿泊の手続きをしたら、すぐに食事にしよう」
従業員らしき人は結構いるんだけど、みんな忙しそうに料理を運んでいる。カウンターの近くに立って、従業員の手が空くのを待った。
すると、若い女性の従業員らしき人と目が合って、声を掛けられた。
「いらっしゃいませ!」
元気のいい声がフロアに響く。従業員で間違いないな。
「やあ。宿泊したいんだけど、部屋は空いてる?」
「何名様ですか?」
「5人なんだけど、2部屋だ。会議室付きの2人部屋と4人部屋の2部屋だな」
いつもの部屋割だ。冒険者向けの宿には、会議室が付いた部屋が必ずある。パーティが複数の部屋に分かれる時に、ミーティングルームや集合場所として使う。部屋代は高いんだけど、寝るだけの部屋では落ち着いて話ができないからね。
「空いてます。準備してくるので、少し待っていてください」
従業員の女性はそう言って踵を返すと、カウンターの横にある階段を駆け上がった。ベッドメイキングなどの作業があるのだろう。言われた通り少し待つが……先に食事にしても良かったのになあ。従業員がせっかちな人だったみたいで、食事のことを言い出せなかったよ。
仕方がないから、食事は後だ。一度部屋に入って、軽く休んでからにしよう。
ぼんやりとカウンターのそばに立っていると、不意に話し掛けられた。
「おっ! コーじゃないか! 本当に来たんだな!」
レイモンドだ。1人で2人分のテーブルを占領して、4人分くらいの料理と対面している。俺たちはレイモンドの後を追ったようなものだから、ここで会っても不思議ではない。
「よう。レイモンドたちもこの宿なのか?」
「いや、宿は違うぞ。メシを食いに来ただけだ。俺たちが泊まっているのは、メシ抜きの安宿なんだよ」
レイモンドたちは素泊まりしかできない宿に滞在しているようだ。そういった宿の宿泊費は格段に安いが、治安が悪かったりするので、俺はあまり利用したくない。
日本のゲストハウスくらいしっかりとした宿だったら選択肢に入るんだけど、この世界の安宿は安いだけあるから……。素性の知れない人も利用しているため、どうしても治安が悪くなってしまうのだ。
レイモンドたちは、遊んでばかりだが高ランク冒険者だ。金には困っていないはず。わざわざ安全とは言えない宿を選ぶことはないと思う。
「お前ら、金が無いわけじゃないんだろ? どうしてそんな宿に泊まるんだ?」
「おいおい、安宿を悪く言うなよ。俺はあの雰囲気が好きなんだ。おもしれえ経歴を持ったやつが多いんだぜ」
レイモンドは好き好んで安宿を選択しているらしい。確かに、誰でも泊まれる安宿には変わった経歴の持ち主がわんさか居そうだな。話を聞く分には面白いかもしれない。仲良くなりたくはないけど……。
安宿が気にならないわけではないが、俺たちが利用したら、やんちゃな人に絡まれる気がする。俺たち風貌は、高ランク冒険者には見えないだろうからなあ。見た目が厳ついレイモンドだから、問題が発生してないだけのように思えるよ。
「そっか……。旅の楽しみ方は人それぞれだな」
「まあ、そういうこった」
「ところで、その料理は1人で食うのか?」
話をしながら周囲を確認したが、レイモンドは見るからに1人だ。それに対して、レイモンドの前に並んだ料理は約4人前。下手をしたら、俺たち全員で食べる量と同じくらいかもしれない。
「ん? 何を言っている? 当たり前だろう」
どう見ても1人で食べ切れる量じゃないんだけど……とういう言葉を飲み込んだ。大食いは個人の趣味だから、俺が文句を言うことじゃない。
それはいいとして、レイモンドは常に数人のメンバーと共に行動している。メンバーの入れ替わりは激しいようだが、誰かと行動しているのは変わらない。メンバーたちは、この街にも一緒に来ているはずだ。
「他のパーティメンバーはどうしたんだ?」
「いやぁ……誘ったんだが断られたよ。今頃どこかの安い酒場で、酒を飲みながらメシを食ってるだろうさ」
レイモンドが苦笑いを浮かべながら言うと、クレアがそっと俺に耳打ちしてきた。
「叔父さん、自分が食べる量をメンバーにも押し付けるから……嫌がられてるのかも……」
なるほどなあ。『自覚がない大食いの人あるある』だわ。本人は自分が食べる量が標準だと思っているから、他の人も同じだけ食べると思っている。
もちろんレイモンドには悪気がないし、強要しているつもりもない。でも、リーダーに「食べろ」と言われたら、メンバーは「多少無理しても食べなければならない」と考えても不思議じゃない。避けたくなるのも理解できる。
この話題には、もう触れない方がいいかな……そう思ったら、レイモンドの方から話題を変えてきた。
「で、お前らも魚が目当てなのか?」
レイモンドの話では、とんでもない大きさの魚が居るらしい。思い当たるのはクジラかサメ……もしかしたら地球には居ない魔物かもしれない。これが楽しみなんだよ。
「そうだけど、そもそも、この街にはそれしか無いって聞いたぞ」
「くっくっくっ。確かに、それ以外はねえな。新鮮な魚が並ぶのは早朝だ。楽しみにしてな」
「へえ……」
この街の漁師は、夜のうちに漁に向かって明け方に帰ってくるスタイルを取っているようだ。今日は早く寝て、明日に備えようかな。
「ああっ! そうだ! オレのダチがこの街で漁師をやってんだ! 明日会わせてやるよ!」
レイモンドは食べかすを飛ばしながら大声を上げた。
「それは嬉しいけど、いきなり大声を出すなよ……」
飛んできた食べかすを払い除けながら言う。うーん……バッチィ。
「はっはっはっ。スマンな、オレもこの街に来て初めて知ったんだ。そいつも元冒険者だよ」
レイモンドは豪快に笑った。レイモンドは知り合いの突然の転身に驚いて、テンションが上っているのだろう。
冒険者が転職するのは、別に珍しいことではない。冒険者とは常に危険に晒される仕事なので、ある程度の年齢になったら転職を考える人がほとんどだ。衰えた体力で続けられるような職業じゃない。俺たちだって、冒険者の次を見越して行動している。
「あの……すみません」
レイモンドとの話に、さっきの従業員が割り込んできた。話をしているうちに、宿の準備が整ったようだ。
「レイモンド、悪い。一度部屋に行くよ。明日はよろしく頼む」
「ああ、また明日な!」
レイモンドはニィと笑い、料理に向き直った。
漁師から直接買えるなら、市場に出回らないようなマニアックな魚が手に入るかもしれない。面白そうだな……。
従業員の方に振り返って「待たせたな」と話し掛けると、従業員は疲れたような笑顔で「ではご案内します」と言って歩き出した。俺たちは無言でその後を追う。
部屋に案内されたので、一息ついた。この部屋は、王都でよく泊まっている宿とよく似ている。この国の標準的な宿なのだろう。特筆すべき点は無いが、落ち着くので問題ない。
足を伸ばして軽く休んだところで、みんなを呼び集めて食堂に向う。俺たちが食堂に到着するころには、レイモンドはすでに居なくなっていた。まだ30分も経ってないと思うんだけどなあ。大食いな上に早食いなのか……。
空いている席に適当に座って料理を注文した。この国の食堂は、メニューが数種類しか無いのが普通だ。レイモンドが食べていたものと同じ料理が出てくるはずなんだけど、量に気を取られて内容を覚えていない。何が出てくるかな。
しばらく待っていると、フィッシュアンドチップスのような料理が運ばれてきた。
問題は魚が苦手だというルナだ。もしこの魚も食べられないようなら、明日の午後には帰る。
「ルナ、食べられそう?」
ルナにそう問い掛けると、ルナは皿を持ち上げて鼻に近づけた。
「……嫌な臭さは無いですね」
ルナは魚特有の臭みが苦手のようだ。その臭みの強弱は、種類や鮮度だけじゃなく、生育環境や時期でも変わる。たぶんルナはハズレの魚を食べたのだろう。
「食べられないなら、無理しなくていいからな」
ルナに一言添えながら、再度料理を確認した。きつね色のフライの横には、丸いパンも添えられている。サンドして食えということだろうか。ハンバーガーショップのフィッシュバーガーを思い出す。
なんて考えているのは俺だけで、他のみんなは魚を単体で食べ始めた。この国にはハンバーガーの文化が無いらしい。
「美味しい……これなら食べられますっ!」
ルナはそう言って目を輝かせた。苦手は克服できたらしい。
俺もフライにナイフを当てる。パン粉の衣の内側には、柔らかい白身の魚が収まっていた。元の姿を見ていないから断言できないが、見た目と味はタラに近いような気がする。海が近いだけあって、鮮度が良さそうだ。
「凄い……。これ、油で揚げてるんだよね?」
「そうみたいだな。それがどうかした?」
カロリー以外、気にすることは無いと思うけど。
「油って高いじゃない? アタシたちだって、揚げ物はそんなに作ってないの。高いから」
そう言えば、この国では食用の油が高いんだったな。どちらかと言えば高級食材だ。揚げ物はそんな油を大量に消費するから、料理のコストは相当掛かっているはずだ。
金があるはずの王城ですら、揚げ物が出てくることは無かった。この店が割高だという理由は、このあたりにあるのだろう。高くても仕方がない。油を大量に使っていることを考えれば、むしろ安いくらいだ。
「まあ、美味いんだからいいじゃないか」
「そうね……。めったに食べられるものじゃないから、今のうちに食いだめしておくわ」
クレアは不敵な笑みを浮かべて言うが……食いだめした分は脂肪になるだけだと思うぞ。揚げ物の威力を舐めたらいけない。後で腹肉をつまみながら後悔しても知らないからな。
「まあ、程々にな……」
軽く警告しておいたけど……大丈夫かな……。
料理はどれも悪くない。評判通りといったところだろう。
リーズが妙におとなしいと思っていたのだが、手と口は全然おとなしくなかった。凄い勢いで食べている。気に入ったようでなによりだ。ルナも平気そうだから、この街に留まっても大丈夫だな。






