ゲロゲーロ
ミルジアに向けて走り出してから、数時間が経過した。普段なら到着している時間だが、今日はようやく吊橋に到着したくらいだ。倍の時間が掛かっている。
吊橋を渡るために、一度馬車を停車させた。馬車が妙に静かになったと思ったら、眠ってしまったようだ。既に深夜だからなあ。無理もない。外はかなり肌寒い。風邪を引かなければいいのだが……。
椅子に座る2人は、共に大量のゲロで覆われている。依頼者はわかるが、試験官も? 貰っちゃったのかな。馬車は既にゲロまみれなので、俺の毛皮は貸したくないな。マントを被っているから大丈夫だろう。
申し訳程度に耐熱魔法を掛けておく。保温くらいの役には立つはずだ。
吊橋を慎重に渡り、車夫を交代する。次はルナの番だ。ゆったりと優しく出発した。
少し進んだだろうか。ミルジアの兵士が声を掛けてきた。深夜だというのに、仕事熱心なことだ。
「何用だ?」
「骨董市に参加するために移動中だ。後ろの人は商人で、今日中に到着する必要があって急いでいる」
「ふむ……。なるほど。馬に逃げられたか?」
馬車を牽くルナと座席で眠る2人を交互に見て、訝しげに聞いてきた。
「最初から俺たちが牽いている。馬では遅すぎるんだ」
兵士は俺の話を聞きながら、ゲロに塗れた座席の2人に近付くと、すぐに後退りした。
「そうか……頑張れ」
漂う臭気を感じたのか、酷く顔を歪めて去っていった。
整備されていないと言っても、未舗装の獣道のような街道がある。街道を外れない限り、再度兵士が声を掛けてくることは無い。安心して進もう。
全員で車夫を交代しながら夜通し走り続け、明け方にはミルジアの街『グントゥール』が見えてきた。幸い、ここまでの道中で馬車が故障することは無かった。しかし、車輪に違和感を覚える。次に使うまでに修理が要るだろうな。
まあ、グリーンブルよりは優しく牽引できたはずだ。多少の故障は諦めてもらおう。
もうすぐ到着なので、寝ている2人を起こす必要がある。だが、馬車は嘔吐物に塗れ、異様な臭気を漂わせている。近付きたくない……。遠くから声を掛けた。
「おい、起きろよ」
返事がない。余程熟睡しているのか。馬車を揺すって無理やり起こす。
「うっ……」
試験官はようやく起きたようだ。続けて、依頼者も目を覚ました。
「ずいぶんぐっすり寝ていたな」
「……寝ていたわけではない……」
試験官が頭を横に振りながら言った。言い訳?
ひどい有様の2人にウォッシュの魔道具を貸し出し、服を洗ってもらった。これで街に入っても大丈夫だ。
「一生分叫んだよ……」
依頼者はぐったりとしながら枯れた声を絞り出した。喉が潰れたままでは商売に関わるので、治癒魔法を掛けておく。
「もう吐く物が無いぞ……ははは……」
試験官は、焦点が合わない目で言葉を絞り出し、乾いた笑いを上げた。何はともあれ、期限内にキッチリと依頼を遂行することができたぞ。これで文句は無いだろう。
「もうすぐ到着だ。身なりを整えておいた方がいい」
「もう着くのか! 早い! 凄い! 苦労した甲斐があった!」
依頼人は苦労していないだろうに。乗っていただけなんだから。
「本当に到着できたのか? 私は死者の国で夢を見ているのか?」
試験官は生気のない表情で支離滅裂なことを言っている。まだ目が覚めていないのかな。治癒魔法を掛けておこう。
「街が見えているだろう。到着だ」
「あっ! 馬車を交換しないと……」
依頼者はそそくさとロープを解き、馬車から降りた。
ミルジアでは、魔道具の使用が自粛されている。そのため、街に入る前に大型の馬車を出し、荷台に商品を入れてマジックバッグの存在を隠すのが通例なのだそうだ。
俺たちもそれに倣い、必要な物をマジックバッグから取り出した。武器は腰からぶら下げ、少しの金を小袋に入れて懐に仕舞う。着替えなどは、適当な布袋に詰め込んだ。
マジックバッグは、衣類と一緒に詰め込むのがコツ。普通の鞄にしか見えないので、それ以上の追及はされにくいそうだ。使わなければバレない。
グントゥールの街は、一応壁で覆われている。身長ほどの高さしかない、頼りない壁だ。厚さも無い。たぶん一発殴れば壊れる。
壁を破壊して侵入するわけにもいかないので、門に回り込む。そこには、眠そうな門番が2人、槍を構えて立っていた。
門番には、依頼者が代表して対応する。
「アレンシア、ビスワズ商会のサントスと言う。出店許可証もある。通してもらいたい」
先程までゲロ塗れだったとは思えないほど、堂々とした姿だ。
対する兵士は、眠そうな目で許可証と荷物を精査している。俺達にも許可証の提示と荷物検査を求められたので、それに応える。やましいことは無いのだが、魔道具を大量に持っている。それだけは注意だな。
腕輪は外していないし、その他の魔道具はマジックバッグに突っ込んでいる。クレアに至っては、堂々と腰にファルカタをぶら下げている。でも、素人には魔道具の見分けがつかないからな。言わなければわからない。
「問題あるか?」
俺が代表して聞く。ルナとリーズがソワソワしているので、突っ込まれたら拙い。この2人は嘘が下手だ。すぐに顔に出る。
「ふん。いいだろう。後ろの女は? 落ち着かないようだが、どうした」
突っ込まれたけど、2人に話をされるわけにはいかないな。きっとボロが出る。
「極度の人見知りなんだよ。初めての街で緊張している」
「そうか。通れ」
よし。すんなり通れたな。早朝ということもあって、街の中はとても閑散としている。まだ寝ている時間なのだろう。
建物は、木造が多い。木の柱を組み合わせて立て、側面を土壁で覆ってある。日本で言う、田舎の古民家に近い。しかし、ミルジアの家はもっと簡素で、押せば倒れそうだ。
この国では、住宅も消耗品になるようだ。キレイな家と、崩壊寸前の家が入り乱れている。たぶん頻繁に建て替えているんだ。
依頼者とはここでお別れだ。報酬はギルドから受け取るので、ここでは依頼終了のサインを貰うだけだ。
「こんなに早く到着できるとは思っていなかった。まさか、丸1日気絶していて、実は期日を過ぎている、なんてことは無いよな?」
依頼者が困惑した顔をして言う。
24時間起きること無く寝続けることは簡単ではない。本気で言っているわけではないだろう。
「そんなにぐっすり寝られたのか? 寝心地の良い馬車なんだな」
冗談には冗談で返す。それが礼儀だ。
「そんなわけ無いだろう……。自分が如何に無理な依頼をしたか、痛感したよ。今後は気を付ける」
あれ? 「HAHAHA」と笑うところじゃないかな。面白くなかったのかな。
依頼者は勝手に反省しているが、俺も反省しよう。
依頼者はサインを残し、去っていった。俺たちも骨董市に顔を出すつもりなので、もしかしたらまた会うかもしれないな。
改めて試験官に向き直り、終了の確認をする。
「パーティ『コーさんと愉快な仲間たち』よ。見事だった。これで依頼は完了だ。依頼票を持って、アレシフェのギルドに戻るぞ」
腕を組んで堂々と宣言した。これで終わり、というのは少し拍子抜けだな。正直、もう少し苦戦すると思っていた。オーガを100匹倒してこいとか、ゴブリンの耳を1000匹分持ってこいとか。そんな試験だったら、それなりに苦労したと思う。
「本当にこの程度の試験で良かったのか?」
「油断はするなよ。アレシフェに戻るまでが試験だ」
家に帰るまでが遠足です、みたいなことかな。まあ、帰り道で事故に遭ったら元も子もないもんなあ。でも、このまま真っ直ぐ帰る気は無いぞ。
「できれば骨董市を見学したいんだが、帰るのに期限はあるのか?」
「特に規定は無いが、まだ合格しておらんことは覚えておけ。ギルドで完了報告をした後、改めて査定を言い渡す。
アレシフェでの試験期間が終わるまでに戻らなかった場合、試験自体が無効になる可能性もあるぞ」
ああ、これは面倒だな。でも確か、あと15日くらい猶予があるはずだ。それまでには帰れるだろう。
「みんな、どうする?」
「初日だけ見て、帰りましょうか」
骨董市は、各地合わせて全部で30日ほど開催している。街を渡り歩いて売る人も居れば、一つの街だけで売り切る人も居る。ミルジアの出店は商人だけではないので、かなり自由度が高いらしい。
出店許可証の期限は30日に設定されているものの、明確な終了時期は定められておらず、売り切った人から順次撤収していく。そのため、10日も過ぎればめぼしい物は無くなるそうだ。
「いや、初日は混みすぎる。2日目か3日目で良いだろう」
リリィさんの提案で、初日は避けることにした。初日は業者と貴族関係者でごった返し、一般人は蔑ろにされるという。面倒な事になりそうなので、街から出ていようかな。
骨董市の開催はまではあと3日。今日は寝て過ごすから良いとして、明日から3日間は暇だ。アレシフェに報告に戻ることも可能だが……。
「とりあえず休んでから考えよう」
ということにした。一晩寝ずに走ってきたので、さすがに疲れが出ている。思考も上手く纏まらない。この状態の判断が、正しいとは思えない。
「ふむ。では、私は少々休んだら先に戻る。パーティ『コーさんと愉快な仲間たち』諸君は、期日までに戻るように。
私は同伴できぬが、道中で問題を起こすなよ」
そのパーティ名、連呼する意味はあるのか? 試験官が言いたいだけのような気がする。
試験官はそそくさと離れていった。休むと言っていたので、宿に向かったのだろう。俺たちも宿を取る。
昇格試験は、数人の試験官が本部から派遣されて実施されるそうだ。試験官の手が空いていないと、受験者はその街で待たされることになる。そのため、試験官はここに長居できないらしい。1人で寂しく帰るのか……。可哀想に。
ふと通貨が気になったのだが、基本的にアレンシアの通貨で通じる。但し、8割ほどの価値になるようだ。アレンシア金貨1枚で、ミルジア大銀貨8枚だ。計算がややこしい。
ミルジアの金貨をアレンシアで使う時は、逆にミルジア金貨が8割になる。そのため、無理に両替すると、物凄く損をする。多少ややこしくても、このまま使った方がいい。
と、通貨の仕様を知ったわけだが、それでもミルジアの宿は高すぎない? 一泊素泊まりで、2人部屋が金貨1枚と大銀貨2枚だってさ。アレンシアの2倍だよ。
「ミルジアの宿はボロいのだ。アレンシアと同等の宿を取ろうとすると、この値段になる。それに、骨董市の最中だからね。手頃な宿は埋まっているよ」
リリィさんが説明してくれた。中には比較的割安な宿もあるが、人が集中する時期だ。高くても仕方がないだろう。宿が空いているだけ御の字だ。
値段の割に安っぽい部屋で、長い一日が終わりを告げた。硬いベッドに横になり、泥のように眠るだけだ。疲れているので贅沢は言えないが、できれば昼過ぎには起きたいな。夜眠れなくなるぞ……。
……思考しているうちに、深い眠りに落ちていた。
宿の外から聞こえる、街の喧騒に起こされた。防音の魔道具を使っていないので、外の騒音がダイレクトに突き抜けてくる。まだ日が高い。望み通り昼過ぎに起きることができたようだ。
決して気分の良い目覚めではないが、せっかく目が覚めたのだ。みんなを起こして俺も起きよう。






