貧乏舌
早朝にはエルフの村を出発し、かなり早い時間にアレシフェの街に到着した。まだ街には入らず、位置を確認しただけだ。
やはり街は高い壁に覆われているのだが、今までの街よりも強固な壁に覆われているように思える。比較的危険な地域なのだろう。
最近金を使いすぎたので、冒険者ギルドに行くついでに金を稼いでおこうかな。街の場所はマップに表示されたので、近くで少し狩りをしよう。
「リーズ、近くに適当な魔物は居るか?」
マップでは3kmほどしか表示されないが、リーズの気配察知では倍以上の距離が感知できるらしい。その感覚は俺よりも鋭いので、索敵はリーズ任せになっている。
「うーん……。あっちかなー。1匹だけど、かなり大きいよ」
リーズの先導で街道を進むと、リーズが突然立ち止まった。
「こんさん、ごめん……」
リーズがバツの悪そうな顔を浮かべて謝る。その理由は、気配察知の感覚が間違っていたからだ。
俺でも何となく察知できる距離だ。前方でかなり大きな気配が動いている。大きすぎる気配に潰されていたが、人間が何人も居る。どうやら戦闘中のようだ。
目視できる位置まで近付くと、大きな気配が人だかりの中心で暴れまわっている。とんでもない威圧感をばらまきながら、周囲の人間をなぎ倒していた。そのあまりの威圧感に勘違いしていたが、中心に居るのは人間だ。
遠くからチラリと見えるシルエットは、まるでトドの魔物のよう。大きなハンマーを振り回し、囲まれながらも他者を圧倒している。トド?
「ボナンザさんだな……。あんな所で何をしているんだろう」
ボナンザさん、魔物説。いやいや、強い人から出る威圧感は、魔物の気配に似ている。強い気配に弱い気配がかき消されることもよくある。今回はたまたまそれが複合しただけだ。
「ボナンザさんというのは、店主が言っていた元冒険者だね。助けなくていいのかい?」
リリィさんはまだボナンザさんに会ったことが無く、俺達が話す噂を聞いただけ。どれほどヤバイ人か知らないのだ。まあ実際に対峙したのはパーティでは俺だけだから、ヤバイ人具合は俺しか知らないんだけどね。
「ああ、問題無い。
囲んでいる連中は、どうせ碌でもない人なんだろう。関わっても良いことは無いぞ」
宿屋の店主もそうなのだが、あの人はとても敵が多い。趣味で盗賊を狩るような人なんだ。悪い人はみんな恨んでいるのだろう。囲んでいるのも盗賊かもしれない。関わるだけ損だ。
「うん、負ける要素は無いね。かえって邪魔になりそうだ」
リリィさんはそう言って、1人で納得した。まあ、俺達が余計なことをして集中が削がれることの方が危険だろう。
「リーズ、他に居ないか?」
「あの気配が強すぎて、わかんないよー」
困った顔で答える。ボナンザさんの威圧感で、周囲の魔物の気配が上手く掴めないようだ。とりあえずこの場から離脱しよう。
適当に周辺を走っていると、適当なグリーンブルを発見した。5匹の群れだ。最小限の損傷で狩ることができれば、1匹あたり金貨28枚になる。小遣い稼ぎにはちょうど良いな。
1人1匹、確実に仕留める。一度戦った相手なので、特に危なげなく討伐することができた。
俺とルナとリーズは、いつも通り。サクッとトドメを刺して終わった。元々突進するしか能がない魔物なんだ。怪我をするようなことは考えられない。
クレアはファルカタの初の実戦投入だ。グリーンブルの固い皮膚を、いとも簡単に切り裂いた。豆腐でも切るかのように、スッパリと。やはりファルカタは人数分作るべきかな。材料費がエグいのだが、まあ何とかなる。
最後はリリィさん。頑なにメリケンサックで殴り続けていた。俺のクレイモアをあげたんだから、使えばいいのに。
ただ、しっかり進歩している。前回は不可能だった『殴るだけでトドメ』を実行した。リリィさんが仕留めたヤツだけボロボロになっているのだが、喜ぶリリィさんに水を差すのは良くないな。
グリーンブルをマジックバッグに詰め込んで、改めて街に向かう。今度はチラ見ではなく、街の中に入る。
門番に身分証を見せると、珍しく絡んできた。
「君たちは王都から? 用は何? 冒険者登録はいつ?」
他の街でこんな絡まれ方をしたことが無い。いつもなら「はいどうぞー」と流れ作業的に通される。他所よりも物騒な街なのかもしれないな。
「まあ、王都からだな。冒険者の昇級試験を受けに来た。登録は……いつだったかな。数カ月前だ」
門番はフンフンと頷きながら、身分証を見ている。机の上には他の都市にはない謎の金属板が置かれている。その上に身分証を置いた。
「身分証は本物だな。じゃあ鞄の中身を見せて」
どうやら偽造をチェックする装置のようだ。魔道具職人なら魔力の流れで真贋が分かるが、ただの門番には難しいのだろう。
しかし、他の街では……例え王都であっても、こんなに厳重なチェックをしない。
「構わないが、こんなに厳しいのは初めてだぞ」
そう言いながらマジックバッグの口を広げる。グリーンブルが場所を取っているが、本当に大した物は入っていない。
「近くで盗賊が目撃された。近日中に騎士団が派遣されるが、それまでは警戒せねばならん」
さっきボナンザさんが戦っていた相手、やっぱり盗賊だったんだな。残念だが、その騎士団は無駄足になるだろう。
俺たちのマジックバッグは無駄に容量が大きいため、確認に手間取っているようだ。容量にまかせて嵩張る物が結構入っているので、余計に大変そうだ。門番は時折ため息をつきながら、せっせと確認している。
チェックの終了を待っていると、ドドドドドと地鳴りが響く。後ろからものすごい勢いで人の気配が近付いてきた。
振り返ると、土煙を上げながら気持ち悪い速度で接近してくるトドの魔物が見えた。
「ボナンザさんだ。終わったみたいだな」
ボナンザさんは門の前で急ブレーキを掛け、俺に話し掛けてきた。
「あら、久しぶりじゃない。元気してた?」
「まあな。ボナンザさんも元気そうだな」
「そうでもないのよ。大事な服が破れちゃって、全然調子が出ないわ」
ボナンザさんがうんざりとした様子で答える。
さっきまで滅茶苦茶元気に暴れていたじゃないか。
「アレが本気じゃないの……?」
リリィさんが優しい化け物を見るかのようにボナンザさんを見つめ、ふと洩らした。
「何? もしかして見てたの?」
「ああ。邪魔しちゃ悪いと思って、すぐに離れた」
「声を掛けてもいいじゃないのよ。つれないわねぇ」
ボナンザさんはそう言いながら眉間にシワを寄せた。
「あれは何だったんだ?」
「盗賊よぉ。偶然見かけたから、駆除してきたの。見る?」
あ、襲われたんじゃなくて、襲っていたのか。
盗賊は原則生け捕り禁止。ボナンザさんが見せようとしているものは、つまりそういうことだ。見たくない。
「遠慮しておくよ。そこの門番に見せてやってくれ」
「残念ねえ。雑魚だったけど、大漁だったのよ」
ボナンザさんは、不満げに奥へと進み、門番にマジックバッグの中を見せる。
門番はマジックバッグを覗き込んだ後、口元を手で押さえて走り去った。兵士なら見慣れているはずなのだが、それでも耐えられなかったようだ。あの鞄の中で、余程凄惨な光景が広がっていたのだろう。見なくて良かった。
すぐに代わりの門番が現れ、確認を続けた。その人も鞄を覗き込んで顔を歪めたが、なんとか耐えている。ボナンザさんと何かやり取りをしていたが、やがて確認が終わる。
「じゃあ、あたしは調書があるから。また会いましょう」
ボナンザさんはそう言って、詰め所の方へと歩いていった。ややこしい事情聴取があるのだろう。趣味とは言え、よくやるよ。
ボナンザさんを見送るとすぐに、吐きそうになっていた門番が戻ってきた。顔色は良くないが、もう元気みたいだ。
「待たせて悪かった。通っていい」
門番は口から酸っぱい臭いを漂わせながら言う。彼は耐えられなかったようだ。
この街の門は他の街よりも広く、通路も長い。数メートル先の出口に向かって、門番と共に歩く。
「しかし、生け捕り禁止というのは物騒だよな」
歩きながら、ちょっとした世間話だ。
「盗賊の証言は、何一つとして信用できんからな。アジトだと聞いて向かった先は罠だし、取引先として挙げる商会も大抵嘘だ。
奴隷にして鉱山送りにしていた時代もあるが、仲間が押し掛けて奪還しようとする。生かすだけ無駄なんだ」
これまでの恨みも多分に含まれているようだ。自業自得だな。
盗賊が狙うのは主に金と装飾品などの商品だが、そんな物は食べられない。食料や酒を確保するためには、商人と取引する必要がある。そのため、いくつかの商会は盗賊と関わっている。冒険者や傭兵が代理で取引を行うこともあるそうで、冒険者のチェックが厳しいのはそのためだ。
取引する商人が居なければ盗賊は生きられないのだが、悪い商人は後を絶たない。それも他国の商人だったりするので、盗賊を根絶やしにする方が手っ取り早いらしい。
門番に見送られて街に入る。アレシフェはアルコイに似ていて、とてものどかな様子だ。防壁は物々しい雰囲気だったが、中は平和なようだ。セキュリティが厳しいおかげかな。
この街の名物は食用油。街の中にはオリーブの香りが強く漂っている。オリーブが好きな人には堪らないだろう。
この国の油は、大きく分けて3種類ある。燃料用の3級品、一般家庭用の2級品、高級な1級品だ。産地や製法、材料なんかで変わり、3級品はかなり安い。
でも消費量を考えると結構割高なんだよな。毎日使うと、1Lは数日で無くなる。この街で買っておくべきかな。
適当な精油工場で大量に買おうと言ったら、クレアに止められた。
「油は工場では買えないわよ」
「どうして?」
「3級品に1級品や2級品を混ぜて、食用として売る商人が居るから。大量に買おうとすると疑われるわ」
最悪だな。食品偽装はどんな国でも発生するようだ。ちゃんと契約した、信用できる商会にしか卸さないらしい。仕方がない。商店で買おう。
王都の商店では見かけなかったが、この街の商店には証明書のような紙が掲げられている。それが正式に仕入れたという証明になるそうだ。王都で見かけないのは、高級品だから。俺たちが普段買っている安い商店では、この街の油を取り扱っていない。
近場の商店に入り、商品を見る。棚には、緑色の液体を入れられたガラス瓶が並んでいる。ガラス瓶の容量は500mLくらい。値段は金貨1枚と、かなり高額だ。
「せっかくだから、1級品を買おうか」
「え……? いいのですか? 2級品でも十分美味しいですが……」
ルナが遠慮がちに言う。王都で買うと、1瓶金貨5枚以上するらしい。5倍じゃないか。そんな高級品なら、ぜひ一度食べてみたい。
結局、全部の等級を買うことにした。2級品は約1Lで大銀貨3枚、3級品は約1Lで銀貨1枚。こっちは王都の約半額だった。
その日の夕食。さっそくパンにオリーブオイルをつけて食べた。
「くっさ! オリーブくっさ!」
鼻の穴に直接オリーブをブチ込まれたような衝撃を感じる。むせ返るようなオリーブの香りで、全く味がわからない。オリーブ好きには堪らないだろうが、俺はそんなオリーブ好きではないんだ。俺の安い舌には2級品で十分だな。
そう思っているのは俺だけのようで、みんなは美味しそうに食べている。不味くはないんだけどなあ。高級な味には慣れが必要らしい。






