ゴーストバスター
エルミンスール大聖堂の廊下を、ホールにつながる扉に向かって歩く。この廊下は採光窓はおろか照明器具すら無いので、手持ちのランタンで照らす必要がある。
転移魔法で飛ばされているのだが、ここが実際にどこにあるのかは分からない。厚い壁に遮られ、壁の向こう側を窺い知ることはできないのだ。その様子から、おそらく地下だろうと予想している。
ここに来るためには転移魔法の球体に飛び込む必要がある。もしあの装置が停止してしまったら、俺たちはここに閉じ込められてしまうだろう。
真上に向かって穴を掘れば出られそうだが、いったい何メートル掘る必要があるのだろうか……。数メートルでは足りない気がする。
ゆっくり、ゆっくりと歩みを進める。警戒しているわけではない。リリィさんとリーズの足取りが重いのだ。ディエゴに会うのがそれほど嫌か……。
「じゃあ、扉を開けるぞ」
扉の目の前に立ち、そう宣言した。今回はディエゴが扉のこちら側に来ることは無かった。気配察知で、扉の向こうで待ち構えていることが分かる。リーズも気が付いているようで、暗い表情を浮かべている。
「行くしか……ないのだな」
リリィさんはそう呟いて、俺の後ろに立った。リーズもそれに倣い、俺の背後に立つ。魔王城の扉を開けるかのようにおずおずと扉を押すと、音もなくすうっと開いた。
扉の向こうでは、ディエゴが腕を組んで仁王立ちのまま待ち構えていた。顎を突き出してこちらを見下すように睨んでいる。やはり少しイラっとするな。
「吾輩に何の用だ? いまさら話すことなど無いぞ」
ディエゴは低いトーンの声で言う。前回無視して帰ったので、ちょっと拗ねているらしい。面倒臭いやつだな。
「お前に用は無い。隅っこで体育座りでもしていろ」
「む……また吾輩を無視する気か?」
「邪魔なんだよ。
話し相手が欲しいのか? ナイフを貸してやるから、これに向かって喋っていろよ」
予備のコンバットナイフを取り出して、近くの椅子の上に突き立てた。
「愚弄するな! 吾輩を何だと思っておる!」
ディエゴが勢いよく殴りかかってきた。しかし、ゴーストのディエゴは俺の体をスルリと抜けて、そのままホールの外に出ていった。
リーズがすかさず扉を閉める。仕事が早いな。
「よし、調査を始めよう。
まあ、俺にできることはあまり無いから、手伝いが要るようなら呼んでくれ」
俺も魔道具の仕組みを読むことはできるが、リリィさんとリーズの方が早い。俺が余計な口出しをすると、かえって邪魔になってしまうかも知れないので、2人に任せる。俺の仕事は護衛だ。ディエゴが邪魔をしそうだからな。
2人は、カベルに聞いていた操作盤を無事に見つけることができたようだ。遠くで作業を始める2人を眺めていると、入り口の扉をすり抜けてディエゴが入ってきた。締め出すことができればいいのだが、こいつに扉は無意味なんだよなあ。
「何故閉める! 吾輩が外に出てしまったことはわかっているだろう」
ディエゴが大股を開いて腕を振り回す。振り上げた右腕を正面に持ってきて、俺に指をさした。その指先と尖った顎の先端が、俺の目に向かっている。とても不快だ。
「だからだよ……」
すぐにディエゴの手を振り払いたいのだが、虫を払うように手を振るっても、ディエゴの腕をすり抜けるだけだ。顔の前を飛び回る小バエのようで、どうにもならない苛立ちを感じる。
「まぁ良い。何の用が有ってここに来た?
返答次第では特別に許してやろう」
ディエゴは突き出した腕を腰に移動させて言った。顎先はまだこちらに向かっている。殴りたい。
でも話がこじれるとリーズたちの作業を邪魔してしまうので、穏便に会話を進める。
「この宮殿の仕組みを調査しているんだよ。魔道具作りの参考にする」
「フンッ。研究熱心なことだな。良いぞ。勤勉な女は良い。お主は女の使い方を心得ておるな」
ディエゴが鼻を鳴らして言う。こいつは基本的に他人を見下しているのだが、女性のことは更に低く見ているような印象を受ける。こいつの言い方だと、まるで俺が女性を小間使いにしているようなニュアンスになってしまう。俺にそんなつもりは一切無い。
女性陣がこいつを嫌う理由が理解できてきたぞ。生理的に受け付けないというやつだ。顔が良いとも言えず、威厳が無く、根拠なく偉そう。そして、女性を見下している。うーん、これは嫌われるわ。
「言い方に気を付けた方がいいぞ。そういう言い方をするから、嫌われるんだよ」
「ん? 何の事だ? 吾輩が褒めておるのだ。素直に喜べば良い」
全く意に介さない様子だ。こいつはもう手遅れだな。今も昔もこれからも、女性に嫌われて過ごしていくのだろう。
「理解できないなら、いいよ。後はそのナイフと話をしていてくれ」
「む……まさか、このナイフは意思を持つ剣なのか。普通のナイフにしか見えぬが……」
意思を持つ剣なんてあるのか。それは知らなかった。魔法の世界は不思議でいっぱいだな。今度探してみよう。
「根気よく話し掛けていれば、返事を返してくれるかもな」
当然、このナイフは普通のナイフなんだけどね。ディエゴの根気次第で意思を持つかも知れない。頑張れ。
「おい、ナイフよ。吾輩は偉大なる預言者、ディエゴである。吾輩の問いかけに答えよ」
ディエゴがナイフに向かってブツブツ言っている。あとはナイフに任せ、リーズたちの様子を見に行こう。
リーズとリリィさんは、壁に書かれた謎の模様を熱心に書き写している。魔法陣らしき模様だが、複雑過ぎて俺には理解できないな。手を出さない方が良さそうだ。
「あれっ? 変な人の相手はもういいの?」
リーズが俺に気付いてこちらを向いた。変な人って……。まあ変な人なんだけどさ。頑なに名前を呼ぼうとしないのは、何かのこだわりなのかな。
「ああ。あっちでナイフと会話をしているよ」
「え……あれって……」
リーズが何かを察したようだ。口元を引きつらせて息を漏らした。
「ちょっとうるさいかも知れないけど、しばらく絡んでくることは無いぞ」
ナイフを突き立てた椅子は出入り口付近で、2人が作業しているのはホールの最奥だ。結構離れているので、何かを喋っていても内容までは聞き取れない。
しかし、何かを喋っていることがうっすらと窺える。耳障りな声だが、目の前で騒がれるよりはマシだ。
しばらくは作業に集中することができた。ナイフに意思があるのなら、後でご褒美をあげないとな。感謝しながら研いでやればいいか。
作業も終盤に差し掛かったところ、突然ディエゴが奇声を上げてこちらに向かってきた。
「貴ィ様ァァァ! あのナイフに意思など無いではないかァァァ!」
「熱心に語りかければ意思が宿ると思ったんだけど、ダメだったか」
「そんなことがあるわけ無かろうが! 吾輩を愚弄するのもいい加減にせよ!」
無いのか。残念。ディエゴくらいウザかったら、ナイフにも嫌われるかと思ったんだけどなあ。
せっかく集中できていたのに、このままではディエゴに邪魔をされてしまうぞ。
「わかったから、隅っこでおとなしくしててくれ。邪魔なんだよ」
「あくまでも、吾輩を邪魔者扱いするのだな。もうわかった。覚悟せよ!」
ディエゴの右腕から鈍い光が発生し、目の前に大きな火の玉が現れた。炎の魔法だな。ゴーストは物に触れることができない。そのため、ゴーストの攻撃手段は魔法に限られる。ディエゴは元エルフなので、詠唱せずに魔力操作で発動できる。
……冷静に観察している場合ではないな。対策をしないと作業が中断してしまう。
火球の魔法は、強い風に煽られると軌道がずれる。ブロアの元になった風の魔法でいいだろう。
『ドゥワァァァ!』
風に煽られた火球は、軌道を天井に変えて飛び、大きな音を立てて天井を焦がした。黒いススが残ったが、すぐにスゥと消える。状態保存の魔法が消したのだろう。
やられっぱなしというのも気に入らないな。覚えたての浄化の魔法を試してみよう。両手に付与して殴り掛かる。
『ボウッ!』
右腕に腕に風船を殴ったような感触を残し、ディエゴはラグビーボールのように不規則に跳ねながら飛んでいった。怪我を負わせた感触ではなかったため。ダメージが入ったのかよく分からない。
だが、飛んでいった方向を見ると、ディエゴが頭を地面に突き刺してひっくり返っていた。それなりにダメージが通ったようだ。
「おまたせー。終わったよ」
「長居したい場所ではない。すぐに出よう」
ディエゴの相手をしているうちに、作業が完了したようだ。
突き刺したナイフを引き抜いて出口に目を向けた時、ディエゴが起き上がってこちらを睨んだ。
「吾輩をこれだけ愚弄して、そのまま帰るつもりか?」
「ああ。用は終わったからな」
このまま無視して帰るつもりだったんだけどなあ。呼び止められてしまった。
ディエゴは深くため息をつきながら言葉を出した。
「まぁいい。その犬を置いていけ」
「はあ?」
あまりにも身勝手な要求に、一瞬気が抜けてしまった。
殴り飛ばそうと拳を振り上げた瞬間、『バスッ!』と音を立ててリーズの平手がディエゴの顔面に直撃。くるくると回転して壁に突き刺さった。
「足りない……。とどめを刺してくるよー」
リーズが真顔で呟く。かなり本気だ。
いや、問題はそこじゃない。ゴーストへの攻撃には浄化の魔法が必要だ。リーズは魔法が使えないはずなんだ。
「なんでできるんだよ!」
「こんさんのを真似しただけだよっ。早くしないと起きちゃう。行ってくるねー」
リーズは心ここにあらずと言った様子で笑みを浮かべると、ディエゴに向かって歩いていった。器用だな。まさか魔法まで見よう見まねでやってしまうとは。
しかし、今回はディエゴを擁護できないぞ。俺もかなりイラッとしたんだ。俺が殴っていたら、手加減できなかっただろう。
「ぅぐっ……。吾輩が何をしたというのだ?」
ディエゴは突き刺さった体を壁から抜き、立ち上がってぼやいた。
何が悪いのか理解していない様子だ。顔と態度だけじゃなく、頭も悪いのかな。救いようが無いな。
「それが理解できないのなら死んだ方が良いだろう。リーズ君、トドメを刺したまえ」
リリィさんも物騒なことを言っている。でも俺には止められない。
「ぬっ! 拙い!」
ディエゴがそう叫ぶと、体が淡い光に包まれ、辺りの景色が球体に歪んだ。転移魔法だ。そんなことができるのか……。
「逃さないよっ!」
リーズはそう言ってディエゴに飛びかかったが、一足遅かった。ディエゴは淡い光とともにその場から姿を消した。
その直後、背後から荒い息遣いが聞こえた。
「ゼハァッ! ハァハァハァ……ゲホッ……」
振り向くと、ディエゴが息を切らして片膝をつき、蹲っていた。転移の距離、短すぎない?
「そこかぁっ!」
リーズもディエゴの姿を確認し、追い打ちをかけるべく勢いよく踏み込んだ。
「勘弁してくれっ! この通りだぁ!」
ディエゴは蹲った状態から両手を地面につけ、流れるように速やかに、土下座スタイルに移行した。慣れた手付きだ。
「もういいだろう。今日のところはこれくらいにしておこうよ」
リーズとリリィさんも、ディエゴの情けない姿に溜飲が下がったようだ。2人は臨戦態勢を解いた。
今日はこれで帰るけど、転移の魔法が気になる。
たぶんエルフの村の長老よりも下手だと思うが、一度話を聞く必要があるな。でも、ディエゴに頭を下げるのは何となく遠慮したい。
適当に煽ててやれば調子に乗って教えてくれそうだな。暇になったら試してみよう。






