プロローグ、いつもの帰り道
「コーくん、ちょっと待って」
いつもの帰り道、そそくさと帰宅する俺を呼び止めたのは、同じクラスのリア充カップル(仮)だ。
俺は二人とも話をする程度には仲は良いのだが、休日や学校帰りに遊びに行くような仲ではない。
俺は学校では男からはコー、女からはコーくんと呼ばれている。
クラスに同じ名字のやつがいて紛らわしいということで、入学三日目にはすでに定着していた。
「何か用?」
「先生が呼んでたよ。ていうかホームルームの後、職員室来いって言ってたじゃん」
このカップル(仮)の男の方、市村善はイケメン真面目くんで、先生から面倒事を押し付けられることに定評がある。
女の方、一条美織さんは、善が押し付けられる面倒事によく巻き込まれているが、いつも楽しそうにしている。
勝手にドMなんじゃないかと思っている。
カップルが(仮)なのは、確認したわけではないからだ。
子供の頃からの家族ぐるみの付き合いらしいことは会話から感じ取れたので、詳しくは聞いていない。
カップルの馴れ初めを聞くとか。何の罰ゲームだよ。
「進路希望の件だってさ」
「さすがにあれはないと思うよ……」
と、二人が言う。なんだ、見たのか。
面倒なことになりそうだったから呼び出し無視したんだよね。
俺の進路希望はこうだ。
第一希望『約365日、ヨーロッパ放浪の旅。』
第二希望『アジア横断遺跡巡り』
第三希望『アフリカ一周旅行~珍獣を求めて~』
さすがに『旅』とだけ書くのはどうかと思ったので、タイトルはツアーガイド誌を参考に考えた。
何が悪いと言うのだろうか。
「いや、何が問題なんだろう?」
俺の正直な感想。
「進路希望ってさ、どこの大学に行きたいとか、何学部に行きたいとか、そういうのじゃん」
「来年は大学行かないから。1年間バックパッカーするつもりだからさ」
親の了承も得ている。日本に帰国してから大学を受験する予定だ。
受験料と学費がもったいないから妥当な判断だと思うんだが。
「うーん、俺たちは一応伝えたからね。ちゃんと先生のところへ行ってくれよ」
めんどくさい。何度か両親も交えて担任と面談したのだが、大学を受験するか就職するかの二択しか許されない雰囲気だった。
教員の理解が必要とは思えないんだけどなあ。このまま家に帰らずヨーロッパへ行きたいくらいだ。
「一人旅とか、なんかすごいな」
「でも、何で旅なの? 今じゃなくてもいいじゃん。大学行きながらでもいいしさ」
「それを説明するのが面倒なんだよね」
なぜ旅がしたいのかって、登山家に「なぜ山に登るの?」と質問するくらい愚かな質問だと思う。
なぜ今なのかというのは、単純に大学に入学してからだと休学復学の手続きが面倒だからだ。
「旅費とかどうするの? 食費だってかかるし、ホテル代だって……」
「いや、俺は趣味でよくキャンプしてるから、野宿も慣れているし野草が採れれば食費もそんなに掛からないよ」
俺の趣味、ソロキャンプ。長期休暇は最低限の装備で一人で山に籠もり、自給自足生活をする。
最初は二日程度だったが、最近では長期休暇中ずっと籠もっている。
狩猟免許を持っていないので、素手で獲物を捕まえる練習もした。
どうしてもヘビやカエルばかりになってしまうが、極稀にうさぎなどの小動物も捕れる。
三人で会話しながら帰宅する。当然、学校に戻る気は無い。
この手の呼び出しは無視すると後から面倒になるものだが、卒業するまですべてを無視すると決めているので問題ない。
「何かうるさいな」
善が何か言い出した。「うん。鈴の音みたいね」と、一条さんも同調する。しかし、俺には変な音は聞こえない。遠くから聞こえるセミの鳴き声と車の音。
いつもの地方都市の帰り道。知らない人が車をぶつけたことが大きな事件になるほどの平和な街。
ここで異音騒ぎがあれば明日の学校はこの噂で持ちきりだろう。
「何も聞こえないぞ」
「何だこれ、すげえ近いぞ」
善たちにはうるさいくらい聞こえているらしい。俺には聞こえない。
考えられるのは指向性スピーカーか? 誰かがイタズラを仕掛けているのかもしれない。
すると突然、三人のちょうど真ん中あたりから、地面が緑色に光った。光はすぐに広がり、円形になる。
地面は普通のアスファルト、光源は見当たらない。レーザーポインタにしては影が無い。
気味が悪いのでその場から大きく飛び退いた。光の円から脱出したと思ったのだが、円の中心は逃げる俺を追いかけてくる。
リア充どもはその場で蹲っているので円から外れたのだが、それに合わせて円が大きくなる。
タチの悪いイタズラだ。ドローンからレーザーを当ててるのか? そう思い、上を見上げると、全身が脱力していくような感覚とひどい目眩に襲われた。
「なんだ、これ……」
踏ん張れば踏ん張るほど状態は悪化する。
ジェット機が唸り声を上げるかのような酷い耳鳴り。地面にめり込んでいるかのような脱力感。
目に見える世界は、大きくうねりをあげて俺の頭の中を揺らす。
何もできないまま遠のく意識の中、誰かの声にならない叫び声を聞いた気がした。