嫁の乳バンド
嫁の乳バンドを干す時、何気なく掴んだパットの湿気に、モヤリとした感情がわく。別に嫌な訳では無いが、けっして良い気持ちでもない。ただただモヤリと隆起した何かが平たくなるまで、パンツを挟もうが、バスタオルを伸ばそうが、頭の片隅を捉えるそれは晴れる事がなかった。
それらを吊るしにベランダへ。久しぶりの青空を、原付の音が切り裂く。分厚い素材のバスタオルなどから吊るし、下着類は最後に、ほかの洗濯物で隠れるように吊った。
少女でもあるまいに、嫁は外から下着が見える事を嫌がる。いや、少女ではないから、人に見せるのをはばかるのだろうか。そうした恥じらいは嫌いではない。
サンダルを脱いでいる時、洗濯物が何気なく回転した。
「嫌な訳では無い」
乳バンドが右手の甲を愛撫する。
「うん、嫌な訳では無い」
感触の余韻に語りかける。
「でも、けっして良い気持ちでもない」
余韻を消すように戸にキッチリと鍵をかける。
「でも、嫌な訳でもない」
フラフラと揺れる乳バンドの優位性に、少しだけ気持ちを引かれる。モヤリと広がった何かがなんなのか、考えるために、ポットのスイッチを入れる。
カップとフィルターを用意しながら、意識的に洗濯物を見ないでいると、コーヒー豆の袋を取る右手の感度が上がっていた。
袋のジッパーを開ける、ただそれだけで、身を切るような感覚に襲われる。
ジッと湿り気を帯びた嫁の乳バンドの圧は、何かの念を持ちながら、何も言わずに蒸泄していく。
私は失われる念に対し、祈るようにコーヒー豆を蒸らす。
その香りを吸い込むと、ようやく念の薄い膜が消えていった。
嫌いな訳では無い、決して好きでは無い。ただ怖れがあるだけだ。
太陽光線と風が浄化する中、後頭部に乳バンドの念を受けながら、テレビを見るふりをしてコーヒーを飲んだ。
はたしてこれは擬人化作品でしょうか? 黒井羊太さんのヤオヨロズ企画という、擬人化作品を集めたものに寄稿したのですが、よく分からなくなっています。
主人公は乳バンドに対して「愛撫」とか「念」とかの擬人化をしている訳ですが、読み手=主人公ではないから、読み手にとっては他人(主人公)がそう感じてるだけなんですよね。
取り敢えずタグは付けたまま、様子をみて外すかもしれません。