第六十話 印度華麗の迷い‼の巻
次回は12月8日に投稿します。
「時に印度華麗よ。勝敗を分かつものとは、何だ?」
暗闇の中、印度華麗に何者かが問うた。
若き日の印度華麗は声の主に「心技体。この三つを揃えた者」と即答した。
この時、印度華麗の師は微笑みながら首を縦に振った。
印度華麗の師が用意した答えとは違っていたが、彼の意志は確かに印度華麗に受け継がれていたことを再確認したのだ。
”あの時はこれが正しいと思っていた”
そして時は流れ印度華麗は勝敗を分かつものが実力以外であることを思い知らされた。
情熱の量、矜持から生まれる覚悟、執念。
結局相撲における勝敗とは美醜を問わぬものであり、黒白の結果だけが残るということを知った。
今の印度華麗は、血の底から仄暗き表情でキン星山を見ている。
(お前ごときに何がわかる?)
印度華麗は意識を鮮明にしてすぐに立ち上がった。
試合続行は不可能と思われた状態からの復帰に、会場は湧き上がった。
その異様な熱気に、美伊東君と羽合庵は不安を覚えた。
「美伊東君よ。これは厄介な事になるかもしれないな…」
羽合庵の胸中に生まれた一つの不安。
それは「先取した二つの勝ち星」そのものにあった。
昔ならばともかく現在の光太郎に限って敵の真価を見誤るような愚行を選択するような事はないだろう。
印度華麗自身、全くダメージを受けた様子を見せない。
立ち姿が安定し、力士としての実力が浮き彫りになったような気さえする。
逆に光太郎は疲れや衰えを見せるようになっていた。
不慣れな試合形式、土壇場に来ての新技の実戦投入。羽合庵から見ても今の光太郎は試合開始の時よりも背中が小さくなってしまったような気がした。
光太郎は「ひっ、ひっ、…ふー」と場違いな呼吸法(※何を産むつもりだ)を試していた。
「貴方も気がついていましたか、羽合庵。今の印度華麗の戦闘力はデータ以上のものであることに間違いないでしょう…。若は少し勝負を焦ってしまったのかもしれません…」
印度華麗の立ち姿は前に出るような体勢に変わっていた。
これまでのデータにはない初見のバトルスタイルである。
日本の相撲に近い構えだった。
インド、欧州、アフリカの相撲はレスリングのそれに近い。
美伊東君はスレかけた眼鏡の位置を正しながら生まれ変わった印度華麗の姿を細かく観察した。
印度華麗は美伊東君の視線を気にすること無く、目の前の光太郎を見る。
光太郎もまた印度華麗に感化されたせいか、臨戦態勢に戻っていた。
「見合って、見合って…」
進行役の行司が軍配を手にしながら、印度華麗とキン星山の間に立った。
世界を舞台とした大相撲、観声はさらに大きなものとなる。
空っぽのカレー皿を持ったインド代表側の観客たちは印度華麗に逆転勝利を狙えと叫んだ。
日本側の観客たちは日の丸のミニ国旗を振るってここが正念場だと声援を浴びせる。
印度華麗はさらに低姿勢に、光太郎は腰の位置を高くした。
かくして両者は対照的な構えで相対することになった。
行司の軍配が頭上に掲げられ、地に向かって落とされた。
「はっけよい…、のこったァァッ‼」
行司のかけ声と共に、第三幕が始まった。
その瞬間、突如として印度華麗の姿が光太郎の視界から消えた。
印度華麗は突進して光太郎の右足を掴んだ。
そのまま自慢の剛力で持ち上げる。
光太郎は突然の出来事に驚愕する。
出足を取られる、浮かされる。
どちらも日本の相撲しか知らぬ光太郎にとって初めての経験である。
だが相撲もまた全局面に対応し得る格闘技であることには違いない。
光太郎は後退しつつ、印度華麗を追い払おうと張り手を仕掛けるが大して威力の無い打撃では流れを変えることは不可能だった。
(この形、もしや…ッッ⁉)
相手の足を取り、前に向かって振り落とす。
相手の足を釣り竿に見立て、海面から引き上げるが如し。
数日前、師、羽合庵から教えられたあの投げ技だった。
「これはカツオの一本釣り投げでごわすか⁉」
「その通りだ、キン星山。お前の祖父が我が流派の技を教えられたように、私もまたキン星山の奥義を使うことが出来るのだ‼…頼むから死なないでくれよ、キン星山よ。私はまだまだお前を壊し足りないのだ‼」
光太郎は身をよじって直撃を避けようとする。
だが、印度華麗は持ち上げたところで止まっていた。
その時、光太郎の脳裏に美伊東君から教えられた
曰く”カツオの一本釣り投げ”についての知識が浮かんだ。カツオの一本釣り投げとは、は勝負の決着をつけるものではない”
光太郎の背筋をひどく冷たい汗が流れたような気がした。
曰く”技の威力は落ちることになるが、受け身を取らせないことによってその後の展開を有利にすることが目的である”
印度華麗は光太郎の身体を軽く放り投げた。
そして、含み笑い。
光太郎は背中から地面に落下した後に横転しながら印度華麗との距離を取る。
だが、これはあくまで相撲の試合である。
行事の軍配は、印度華麗の側に上がっていた。
「それまで、一本‼…印度華麗ッ‼」
次の瞬間、インド側から大歓声が上がる。
同時にほぼ無傷のまま光太郎は立ち上がった。
目の前には先ほどと同じ構えを取っている印度華麗の姿があった。
光太郎の体内にダメージは残っていなかったが、緊張から解放されたはずなのに疲労と虚脱が光太郎の肉体からある種の熱を奪いつつある。
さらに一本取り返したはずの印度華麗の表情は以前よりも増して険しいものとなっていた。
(これは何か精神的な動揺を誘った引っ掛けでごわすか…?)
光太郎は意図して印度華麗の姿を見ないようにしながら再び、戦闘態勢に戻った。
当の印度華麗の胸中こそ混沌の極みにあったのだ。
今の印度華麗の心は過去に囚われていた。
優勢のまま勝利するはずの試合を呆気なく逆転されたというのに、光太郎の精神からは闘志が失なわれていない。
まるであの時の印度華麗のように。
印度華麗は、ただ迷っていた。
このまま悪の道に堕ちた時のようにキン星山を破壊しても良いのか。
「目の前の敵を破壊しろ…、印度華麗よ。死と破壊こそ相撲の本分。それ以外のものがあってたまるか。GOD AND DEATH の精神を忘れるな」
若干の雑音と共に、印度華麗の頭の中にあの時聞こえた声が甦ってきた。
印度華麗は両耳を塞ぎ、頭を激しく振った。
しかし、頭の上に乗せられたカレー皿がこぼれることも”声”が消えることも無かった。
もっとも甘美にして、辛苦の根源たる誘惑の声は印度華麗を苦しめ続けている。
「印度華麗よ。お前が破壊の力を否定するのはわからんでもないが、今破壊の力を使わなければ母国でお前を待つ孤児たちはどうなるのであろうな?血と破壊を求めるだけの悪魔と化したお前を、救ってくれたあの子たちは?」
印度華麗の中で、量の少ないカレー皿を手にした孤児たちの姿が次々と浮かび上がった。
皆、笑っている。
例え皿の中のカレーライスが少なくても印度華麗と一緒に食べるインドカレーはおいしいと笑ってくれている。
試合相手を殺し、師から破門を受けた印度華麗の心を救ってくれた子供たち笑顔を守る為に印度華麗はスモーデビルの力を受け入れたのだ。
「ガラム、マサラ、クミン、コリアンダー…。(※いずれも孤児たちの名前)私はお前たちの為に勝たねばならぬ。たとえこの身がスモーデビルとなっても、スモーオリンピックで優勝しなければならないのだ‼」
印度華麗は血の涙を流しながら、再び光太郎の前に立った。
光太郎は目の前に立つ印度華麗という力士にかつてない畏怖を覚える。
だが光太郎も負けるわけにはいかない。
強敵、師、仲間たちとの約束が光太郎をこの場に立たせていた。
「はっけよい…、のこったァァッ‼
そして行司の合図と共に印度華麗と光太郎の本日四度目の立ち合いが始まった。