第四十六話 高まる闘志‼猛烈修行開始‼の巻
すっげえ遅れてしまったでごわす‼ごめんなさい。次回は少し変則的に9月22日くらいに更新するでごわすよ‼
舞台は日本に戻る。
今、光太郎は羽合庵から受け取った総重量100キロくらいありそうな具足をつけて稽古に打ち込んでいた。
光太郎は綿津海部屋の同門の弟子たちと取っ組み合いを続けている。
羽合庵の言葉を借りるならば”今の光太郎に足りないものは地力である”ということらしい。
光太郎は根っからのヘタレだが、努力を苦としない性格の為に文句の一つも言わずに稽古に打ち込んでいた。
光太郎専属の付き人である美伊東君は光太郎が怪我をしないように見張っている。
全身に汗をかきながら光太郎の姿を見たタナボタ理事と英樹親方は気が気でない様子で、羽合庵に真意を問うた。
「羽合庵よ。こんな前時代的なトレーニングで印度華麗に勝てるのか?アンタのコーチとしての実力は最早疑うべくもないが今時砂袋を背負って筋トレとか普通では絶対に有り得んぞ?」
現役時代は鬼と恐れられた羽合庵を知る英樹親方は言葉を選びながら慎重に羽合庵が何故このような前時代的な稽古をすることに思い至ったか問うてみた。
隣ではタナボタ理事が固唾を飲みながら二人の姿を見守っている。
光太郎の祖父、雷電親方が生きていた頃から英樹親方とタナボタ理事は修行に行き詰まると必ず年上の羽合庵のところに相談を持ち掛けた。
しかし、その度に厳しいお説教を受けては凹まされた経験があった。
羽合庵は昔から面倒見の良い性格だったが同時に甘さや優しさとは無縁でもあったのだ。
当時の記憶を思い出してか、英樹親方とタナボタ理事の言動には覇気というか自信のようなものが感じられない。
「英樹、タナボタ。よく聞け。これは子供のいない私が言うべきセリフではないのかもしれないが、光太郎は既に独り立ち出来るところまで成長している。かつての我々がそうであったように今は守ってやる子供ではなく、自立した一人の人間として見てやるべきではないのか?」
光太郎が同門の力士のぶちかましを正面から受け止めて二、三歩よろめく。
すると英樹親方とタナボタ理事は情けない声をあげながら「大丈夫か。怪我はないか、光太郎」と言って駆け寄ろうとしている。
その姿を見た羽合庵は怒った様子でため息をついた。
実際、この二人の男たちは最近この調子なのである。
二人の情の深さは師匠である雷電親方譲りであり、羽合庵もある程度は理解してやっているつもりだった。
おそらくは翔平や光太郎が角界入りした頃からずっと外に出してこそいなかったが、内心は動揺し放しだったのだろう。
「よく見ていろ、二人とも。光太郎は必ず一人で立ち上がる。あの男には他人の助けなど必要ないのだ」
光太郎はすぐに立ち上がり、別の力士の体当たりを受け止める。
そして、踏ん張ってから今度は横に向かって押し返した。
(そう私の役目ももうすぐ終わりを迎える。別れの日は近い)
羽合庵は寂しさを覚えながらも光太郎の修行を見守った。
しかし、羽合庵の親心とは裏腹に光太郎が倒れそうになる度に英樹親方とタナボタ理事は大きな声を出して一喜一憂するばかりだった。
ついには羽合庵の怒りに火がついて二人は稽古部屋から追い出されてしまった。
「のう、美伊東君。親方とタナボタのおっちゃんはどうしたんでごわすか?さっきから何かと五月蠅いでごわすが」
光太郎は身体についた砂を落としながら美伊東君に尋ねる。
美伊東君は数名の力士にタオルを渡した後に光太郎のもとにやって来た。
美伊東君は自分の立場は光太郎専属の付き人だが、今でも綿津海部屋の力士の中で一番の下っ端であることを知っている。
こうして何かある度に他の力士の世話を焼いて回るのは自分の仕事であることも理解していた。
光太郎の側に到着するなり美伊東君は腰についた砂を叩き落とした。
「親方と理事は若の心配をしているんですよ。普通に考えれば、重りをつけて稽古なんかしたら間違い無く怪我をしてしまいますからね。親方は若のお兄さんである翔平さんを、理事はご自分の引退した時のことを思い出して心配されているのではないのですか?」
確かに美伊東君の言う通りタナボタ理事は無理を押した連戦が原因で腰と太腿を痛めて引退し、翔平も姿を消す前には何度か故障の危険性を医師から通告されていた。
光太郎は砂を落としながら肩や肘の痛みが長引いている部分をそれとなく意識する。
だが、そこで不意にテキサス山との熱い激闘を思い出してしまった。
(万全の状態の力士など存在しないでごわす。あの時は手負いであればこそ勝利に食らいつくことが出来たでごわすよ)
痛みはいつの間にか身体の中から消えていた。
代わりに抑えがたい熱さが沸き上がってくる。
ぱんっ‼
光太郎は自分の頬を叩いて気合を入れ直した。
手近に控えている同門の力士に次の相手をしてくれにかと声をかける。
光太郎の姿を見ながら、久々に手の空いた美伊東君は羽合庵に今回の修行の特殊性について尋ねてみることにした。
”へのへのもへじ投げ”を会得する為の修行とは具足を装着して稽古に参加することだけでは無かったのだ。
「羽合庵。そろそろ僕にも今回の修行のもう一つの条件”決して自分の方から攻めてはいけない”という規則について聞かせてくれませんか」
羽合庵は今回の修行をするに当たって二つの条件を出してきた。
一つは修行期間中は羽合庵が用意した重りの入ったプロテクターを装着する。
そして、もう一つは今しがた美伊東君の言った通りにぶつかり稽古の時は常に受け手に徹するということだった。
羽合庵とは、強い信頼関係で結ばれた弟子である光太郎は一切の異論を挟まずに修行に打ち込んだのだが光太郎専属のアシスタントでもある美伊東君は最初からこの修行方法には納得がいかったのである。
その理由とは他でもない”へのへのもへじ投げ”という技の性質と修行そのものが合致していないというものであった。
元来”へのへのもへじ投げ”とは次々と相手に技を仕掛けて、こちらの技への対処方法というか逆の選択肢を限定させるという技である。
例えば敵を横に追い詰めて、後退するという選択肢よりも前に強引に攻めることを選ばせるといった戦術的な要素が強い。
技巧達者な羽合庵ならばともかくいまだに勢い任せの光太郎には不向きな技だった。
「心配無用だ、美伊東君。今の段階では大それた理由は無い。強いて言うならば意図した脱力。この稽古で無駄な力を全て消費してしまうことが重要なのだ。印度華麗は痩身ながらも規格外の膂力の持ち主であることを、私は知っている。仮に、そんな相手に体格で勝る好太郎がぶつかり合ったらどうすると思う?」
羽合庵は片目を閉じて悪戯っぽく笑った。
言わずもがな、事前情報を得ていない者であるならば力だけで押し切ろうとするだろう。
そして当然のように待ち構えていた印度華麗は力士の肉体を飴細工のように捻じ曲げ、破壊するという流れだ。
実際、過去の戦歴では大抵はそういった展開だった。
(理解した。この修行の本質は敵を侮らせない為のものでもあったんだ。流石は歴戦の勇士、羽合庵。今の段階では僕の敵う相手ではない)
美伊東君は英樹親方とタナボタ理事とは別の意味で老力士の姿に畏怖する。
同時に美伊東君は光太郎の実力と羽合庵の眼力を信じ切れなかった自分に対して深く反省した。
「つまり貴方はうちの若が不必要な力みを失うまでこの修行を続けさせるつもりなんですね?」
美伊東君が眼鏡のレンズを輝かせながら語った時、光太郎の動きに何らかの変化が生じていた。
柳に風といった様子で突進してくる相手の力士を流すような動作を多用するようになっていたのである。
無意識のうちに。
「その通り。私の目的はすでに半分は達成されつつある。もう一つの懸念さえ、解消されれば今すぐにでも印度華麗と戦っても良いくらいだ」
そう言った羽合庵の表情に一瞬だけ曇りが生じた。
その懸念とは、正直なところ羽合庵としても杞憂であって欲しいと思っている案件でもある。
「その懸念とは何ですか?」
美伊東君の視線はいつもよりも増して険しいものに変わっている。
事が光太郎にとって悪しきものならば黙ってはいられないといった様相である。
「私のたった一つの懸念、それは印度華麗がスモーデビルの邪念に冒されているのではないかという推論だ。今の段階では何とも言えないが…」




