第四十二話 禁断‼タワーブリッジ投げ占い‼の巻
次回は8月28日に投稿します。作品の更新が遅れてばかりですが、頑張っています。
もっと頑張るか…。
ザザザザ…。
降り止まぬ雨の中、男は己の宿命を嘆く。
”スモーを続ける限り、殺戮の衝動と逃走の輪廻からは逃れられぬ”
亡きものとなってしまった師の言葉を胸の奥に隠して印度華麗は遠く離れた日本の地を目指す。
次の戦いこそは、主命の終着駅であることを祈りながら…。
今から三年前、イタリア相撲界の王者「奈堀譚」がトレーニング中に大怪我をするという事件があった。
とある外国人力士とのスパーリング中に奈堀譚は全身の関節を破壊されてしまったのである。
プロ相撲の世界では稽古中に死人が出ることは珍しくないので誰の目にも止まることのないあるふれた事件だった。
一部の人間を除外しては。
その例外とはスモーオリンピックの運営委員会の関係者、インド角界の力士達、英国相撲界の絶対王者にしてスモーオリンピックの覇者倫敦橋だった。
特にこの事件を聞かされたインド角界の力士たちは「またアイツが何かやらかしたのか」と鼻をつまむような思いだったという。
その一方でオリンピック関係者は前大会で好成績を残した例の力士の行き過ぎた行動に驚きを隠すことが出来ない。
記録によれば印度華麗は過去に国内大会で何度も優勝している選手であり、素行には問題は無く慈善事業にも参加している良きスポーツマンの見本のような好人物として知られていた。
少なくとも表向きは。
だが、第三者でありながら印度華麗の本質を見抜いていた男が一人だけいた。
倫敦橋である。
倫敦橋は全大会の決勝トーナメントで印度華麗の試合を一度だけ観戦したことがある。
対戦相手は当時のアメリカ代表霊丸、舞台俳優出身の異色の力士だった。試合の内容は始終、霊丸の優勢であり印度華麗にはほとんど見せ場は無かったとされている。
しかし、倫敦橋の目にはまるで別のものが映っていた。
印度華麗は巧みなフットワークで霊丸を翻弄し、わざと体力を消耗させて判定に持ち込んでいたのだ。
倫敦橋はその次の試合準々決勝で霊丸と対戦して見事に勝利したのだが、肝心の霊丸は”抜け殻”だったことを記憶している。
今、倫敦橋は腕を組みながら自分の家の書斎で当時の出来事を回想していた。
すでに引退した霊丸の言葉をそのまま表するのであれば、印度華麗との対戦は蟻地獄に捕まって食われるような戦いであったという。
その霊丸もまたテキサス山、倫敦橋と続けて敗れ引退して久しい。
だが同じくして当時の霊丸は力士の実力は最盛期と断言しても良い。
とにかく脂が乗った勢いのある時代でもあったのだ。
もしかすると霊丸から力を奪ったのは印度華麗やも知れぬと倫敦橋は訝しむ。
(…春九砲丸よ、お前ならばこんな時は二の句も告げずに印度華麗のもとに行くのだろうな。だが私は我上院部屋の、大英帝国を代表するスモーナイトなのだ。私心から敵を選ぶことなど出来ぬ)
倫敦橋は思索にふけりながら、日本でのキン星山とテキサス山との戦いを思い出していた。
どちらも失って惜しい逸材である。
特にキン星山を襲名した海星光太郎には奇縁のようなものさえ感じていた。
「お悩みのようですな、サー・倫敦橋。それと紅茶のお代わりも必要ですかな?」
倫敦橋の側にはいつの間にか鉄仮面の燕尾服姿の男が控えていた。
声質からして高齢者であることが想像される。
誰であろうか第一部の最初の方で登場した倫敦橋の実家に仕えるウォルター氏である。
以前に登場した時に比べ仮面についたヒゲの飾りと後ろ髪が白くなっていた。
そして、倫敦橋が声をかける前に紅茶を用意する。
(気が利きすぎるのも考えものだな…)
倫敦橋は喉の奥にこみ上げる笑いを殺しながら着席する。
ウォルターは我上院部屋に伝わる伝統的な作法月面宙返り淹れを決めた後に、倫敦橋の好むオレンジペコーの入ったティーカップをテーブルの上に置いた。
倫敦橋は直接これを受け取るつもりだったが、幼い頃は家庭教師でもあった老執事から厳しい目を向けられて引っ込む。そして、少しだけ拗ねた口調でウォルターに相談した。
「ウォルター。その自覚は無いだろうが、お前の欠点は二つある。一つは融通が利かないこと。ヴィクトリア朝の頃ならば主人が使用人から物を受け取るということは無かったのかもしれんが今は違う。次からは私が手を出したら普通に渡してくれ。父だってそう思っているはずだ。そして、もう一つの欠点とは完全すぎることだ。私や私の両親が昔から君の前でどれほど緊張しながら貴族然とした振る舞いを強いられてきたと思う?」
倫敦橋は茶葉から香る芳醇な柑橘の匂いを楽しみながら一口つける。
普段の倫敦橋ならば、どんな高級レストランに言っても満足することはないのだがウォルターの用意する軽食と飲み物に文句をいう事は無かった。
みかんの葉っぱの匂いに自然と陶酔してしまう。
倫敦橋の満足する様子を見ながら、ウォルターは整然としながら答える。
否、彼の中で完成途中の結論を導き出しているだけなのかもしれない。
「お悩みならば、我上院部屋の伝統”タワーブリッジ投げ占い”をしてみてはいかがでしょうか?残念ながら、この私にも二者択一の正答など持ち得ませぬがゆえ」
そう言いながらウォルターは部屋の隅に掛けてある白い布製の人形を外した。
ズシッ‼
総重量1トンの、倫敦橋の必殺技タワーブリッジ投げを練習する為に作られた人形である。
それを両手で持ちながら平然とした様子を保っている老執事は只者ではない。
倫敦橋は空になったティーカップを皿の上に置くと、ベストを脱いだ後にネクタイを外した。
次にシャツの袖を捲り上げ、首を振って軽い準備運動を行う。
「相変わらず賢しいな、ウォルター。これから散々、勿体ぶってから私の心の内を語ってやろうと思ったのに…。実に残念だよ」
ウォルターは練習用の人形を倫敦橋に向かって投げた。
140キロくらいは出ていそうな人形を倫敦橋は容易にキャッチする。
そして人形の背中に頭をつけて首と膝に掴んでから一気に折り曲げた。
倫敦橋の必殺技タワーブリッジ投げの完成である。
ウォルターは懐中時計を見ながら、首を縦に振った。
「私個人の意見としてはテキサス山を印度華麗にぶつけるべきだと思っている。正直、彼の成長は止まったものかと思っていたがこの前の試合は固定観念というものを覆された気持ちだよ」
メリメリメリ…ッ。
倫敦橋はタワーブリッジ投げを極めながら、仮面の奥で笑っていた。
タワーブリッジ投げ占いとは練習用の人形に四十五秒間、必殺技をかけて地面に落とした後に人形の顔が誰になっているかで次の対戦相手を占うという大英帝国の伝統的な占いだった。
他の国でいうところの花占いに相当する行為である。
(残り10秒か…。流石は倫敦橋坊ちゃま、いささかの呼吸の乱れも無い)
ウォルターは倫敦橋の勇姿を誇らしげに見守った。
「ならばテキサス山様である必要はないでしょう。キン星山様になさいませ。私の個人的な情報網によれば、今テキサス山様はラーメン山様と戦っているはず」
「ほう。それは楽しみなことだ。あのラーメン山が相手ならば更なる成長を望めるというものだろう」
倫敦橋は両手に力を込めて、仕上げに入る。ウォルターは若い頃、ラーメン山の師匠である湯麵山と共に中国で相撲の修行をしていたことがある。彼は倫敦橋の父倫敦騎士の為に世界中を渡り歩き、人脈造りに勤しんでいた。
ビキビキビキッ‼バキィィンッ‼
ついに人形の胴体に亀裂が走り、倫敦名物タワーブリッジ投げが完成した‼
果たして人形はキン星山、テキサス山どちらの顔になっているのか⁉