第三十二話 テキサス山の底意地!!の巻
次回の更新は7月4日でごわす。今後はこういうことが起こらないように神に祈っておくでごわす。
テキサス山は光太郎との距離を取ってから、左の肩を軽く回した。
テキサス山の腕力は並外れて強く、張り手を打った反動で脱臼することも稀にある。
この関節のウォームアップを済ませてから戦いに臨むという行為は半分、お呪いのようなものだが今日に限ってはテキサス山自身が単なる願掛けに終わらないような気がしていた。
(ダブルアームが極まり、逆さの体勢で頭から落とされていれば ME の負けだった)
かつてない焦燥感。心臓が、両手が燃えるように熱くなっていた。光太郎は両腕を上げて、上半身の顔面だけを集中的にガードする構えを取った。さらに脇を締め、足は八の字で立つ。それはボクシングでいうところのイナイイナイバアに近いバトルスタイルだった。
光太郎が新たな戦闘スタイルを披露した時に観客咳から失望の声があがった。
「何やってんだ、海星っ!これは相撲の試合だぞっ!ボクシングじゃねぇんだっ!真面目にやれっ!」
良識ある相撲ファンからすれば当然の反応だろう。
しかし、同じ土俵に立つテキサス山は光太郎の奇策には一切動じない。
貴賓席から両者を睥睨する孤高の王者倫敦橋も固唾を飲んで見守るばかりだ。
(あれは我が我上院部屋に伝わる戦法”鉄の処女”に似た構えだな。まさかこのような島国(※お前の故郷も同じだっつーの!!)で見かけようとは…)
倫敦橋は鋼の仮面の奥から光太郎の姿を見据える。
アイスブルーの瞳は、わずかな挙動さえ見逃さぬといった様相で試合の展開を見続けていた。
その一方で観客席にいる光太郎の父、英樹親方は膠着した戦況を見て気が気でならぬといった様子だった。
「羽合庵。ウチの光太郎は本当に大丈夫か?親のワシが言うのも何だが、アイツはその昔からプレッシャーというヤツに弱くて弱くて」
英樹親方は光太郎と羽合庵を交互に見ながらしどろもどろになっている。
羽合庵は盛大にため息を吐いた後に、組んでいた両腕を解いて英樹親方の背中を叩いた。
修行、現役時代には何事にも動じない肝っ玉の太さを見せた英樹親方だったが息子の試合の時は別人のような顔を見せる。
今の今まで口にすることは無かったが長男の翔平が姿を消した時も内心は困惑と悲嘆でいっぱいだったのだろう。
豪放磊落を地で行く雷電とは正反対の性格である。
また羽合庵としても弟分がこうなってしまってはもはや笑うしかない。
「落ち着け、英樹。今の状況、彼奴の師匠である私の目から見ても五分と五分の状況にある。そして光太郎は今まで底辺の地位に甘んじてきていた力士だが、その経験を無駄にするような愚か者ではない」
「しかしのう…」
英樹親方は弱気を晒したその時、テキサス山が動いた。
土煙を上げながら一足飛びで距離を縮める。
その動きはヘビー級ボクサーが放つ一撃必殺の左ストレートのモーションと重なって見えた。
この動きには羽合庵や英樹親方も驚きを隠すことは出来ない。
十分に引き絞られて放たれた矢のようなテキサス山の動きは相撲のそれでは無かったからである。
(若造が!!…お前がテキサスの暴れ馬と呼ばれる所以たる”早撃ち張り手”に磨きをかけてきたか!!)
以前、テキサス山が倫敦橋と戦った時に見せた張り手とは比較にならないほどの速度だった。
しかし光太郎は動じない。上半身を後ろに向かって流れるように反らすのみ。
「よし!!」
美伊東君は会心の笑みと共に、対テキサス山戦の為の戦法が成功したことを確信する。
その証拠にテキサス山の打った張り手は光太郎の両腕を弾くどころか、逆に吸い込まれるように当って勢いそのものを殺されてしまったのだ。
(当る前にかわす必要はないでごわす。当たってから身を引くでごわす)
テキサス山は違和感に動じること無く続いて張り手を打ち続けた。
しかし、張り手は何度も光太郎の腕に当たることはあってもガードを弾くことも、光太郎を後退させることも無かった。
「フン、陳腐な手品だな。とてもではないが英国では流行りそうにない」
倫敦橋は肩をすくめながら、さも面白くなさそうに光太郎の戦法を卑下する。
アナウンサーが急に機嫌を悪くした倫敦橋の様子に驚き、光太郎が一方的にテキサス山の攻撃を防ぎ続けている状況についての説明を求めた。
「サー倫敦橋。一体どうされましたか?今の試合で貴方の不興を買うような出来事があったのですか?」
「別に大したことではないさ、アナウンサー君。ただあの海星光太郎というスモーレスラーは涼しい顔でテキサス山の攻撃を防いでいるように見えるが実はそうではない。まあ、実に単純安直かつ姑息な努力ではあるが足元を見たまえ」
倫敦橋は眼下で土俵の上でテキサス山の猛攻を防ぎ続ける光太郎の足元に向かって指をさす。
すぐに倫敦橋の指先を目で追ったアナウンサーは驚愕のあまり大声をあげる。
あろうことか光太郎の足元には決して土俵際に追い詰められぬよう巧みにテキサス山を誘導した轍が残っていたのだ。
「つまり、つまりですよ!!海星光太郎選手は我々の目にはその場でテキサス山選手の攻撃を防いでいるような姿を見せながら、その下では実は動きながら自分に有利に試合を進めていたということですか?」
アナウンサーの回答を満足げに聞いた倫敦橋は皮肉っぽく微笑する。
だがその視線は光太郎とテキサス山を逃すことはなかった。
「その通りだ。おそらく計算ではないだろうが海星光太郎というスモーレスラーはテキサス山の猛攻を防ぎながら確実に勝利へのステップを踏んでいるというところだろうな」
しかし、その局面にまで進んでもテキサス山は鉄砲を止めることは無かった。
両者にとってこの状況もまた試合当初から予想された上体の一つにすぎない。
やや時を経て、心臓の鼓動が一際激しさを増す。
テキサス山の脳裏にスモーデビルにして好敵手たる山本山のシルエットが浮かぶ。
あの五体を焼くような魂の高鳴りに、テキサス山は狂喜する。
本当の戦いが始まろうとしていたのだ。
「海星光太郎…。YOU に一つだけ言っておくことがある」
テキサス山は殺意の込められた視線を光太郎に向けた。
覚悟を決めて勝負に臨んだはずの光太郎とて思わす踏み止まる。
土俵の上での異変にいち早く気がついた美伊東君は二人の姿を見守った。
「これから ME は本気を出すつもりだが、途中で死ぬなよ?」
テキサス山は一歩踏み込んでから、左で張り手を打つ。
光太郎は連敗ストッパーの構えを続行する。
ズバンッ!!
テキサス山の張り手が光太郎の両腕を貫通し、胸骨に響くほどの衝撃を与える。
わずかに反応が遅れた為か食らった後に目の焦点が定まらない。
光太郎は必死の思いで歯を食いしばり、その場に踏み止まることに成功した。