第二十四話 決戦前夜!!の巻
次回は五月の二十五日に更新する予定でごわすよ。
光太郎は手を八の字の形にして構える。
羽合庵は四本の棒を漢字の「井」のような形に組み上げたトレーニング危惧を使って、光太郎に次々と攻撃をしかけた。
光太郎は羽合庵の猛攻を平手で落とし、時には薙ぎ払って何とか五分の状態を保った。
羽合庵は現役時代に攻めと守りの相撲を巧みに使い分ける技巧派として知られている。
弟子である光太郎に攻守両方のスタイルを教えた結果、意外にも光太郎は守りの技を使いこなしていた。 そのことを知った時、羽合庵は思わず笑ってしまったことを思い出す。
羽合庵の師であり光太郎の祖父雷電も、光太郎の父英樹親方も守りの相撲を得意としていた力士だったのだ 。(光太郎の兄翔平は羽合庵とほぼ同じスタイル)
故に光太郎の力士としての適性を知ったその時から羽合庵の稽古は激しいものとなっていった。今もこうして光太郎は羽合庵の攻撃を難無く防いでいるように見えるが実際両腕は赤く腫れあがり皮膚は擦り切れている。
その壮絶さたるや途中、稽古を見ていた美伊東君と英樹親方が何度か止めにはいろうかと迷ったほどである。
「光太郎よ。よくぞ今日まで私のトレーニングに耐えた。今日は特別に褒めてやろう」
羽合庵は音符の「♯」みたいな形の道具をバラバラにしてアタッシュケースの中にしまっている。
今日の稽古は終わりだ、という意味でもある。
光太郎はほっぺたを両手で勢い良く叩くと立ち上がった。
「今のおいどんに誉め言葉など無用でごわす。もしもおいどんを褒めてくれるというのならテキサス山との戦いで死んで土俵の土にでもなったら、その時は好きなだけ褒めてくだしゃんせ!!」
光太郎は片足を上げて、地面を踏みしめる。
そして、口の中に残った血をゴクリ飲み込んだ。
羽合庵は破顔しながらアタッシュケースから例の道具を取り出した。
(やれやれ。この図太さは血統ゆえか)
その後、羽合庵のトレーニングはさらに激しさを増し光太郎が自力で立ち上がることが出来なくなるまで続いたという。
「仮にですよ、お師匠。今羽合庵師匠がテキサス山と戦ったらその時は勝てますか?」
「若い時分はともかく年老いた私には無理だな。MISSION IMPOSSIBLE というやつ
だ。技で誤魔化すことは出来ても、体力が続かない。OLD が恥を晒すだけの結果となるだろうよ」
羽合庵は稽古の時とは違うくだけた調子で語った。
美伊東君は光太郎の顔や上半身に湿布薬などを貼って治療をしている。
たった一週間で光太郎の身体は歴戦の猛者のような身体つきに変わっていた。
そして三十歳という普通に考えれば、引退を考えなければいけない年齢を迎えているのにも関わらず光太郎は成長しているのだ。
こうなっては流石の美伊東君といえどコーチ、トレーナーとしての羽合庵の力を認めざるを得ない。
「ふぬう…」
しかし、光太郎は親指の爪を噛んでは心底悔しそうな顔をしている。
それもそのはず今や羽合庵は光太郎の中では両親、兄、大神山、美伊東君に次ぐ尊敬すべき存在となっていた。
本心を言えば嘘でも「楽勝だ」と言って欲しかったのだ。
「テキサス山は、今の米角界においては鶏群の一鶴とも言うべき存在となっているだろう。しかもあの天才は妥協という言葉を知らない。そしてテキサス山は以前の何倍も強くなっている可能性は否定出来まい。どうする、光太郎?今から土下座をして謝りにいくというのならつき合ってやってもいいぞ」
この時の羽合庵の予言にも似た言葉は見事に的中する。
実際にスモーデビル山本山との戦いを経てテキサス山は自らの限界を打ち破ったのだから。
しかし、羽合庵という希有な実力者はここでは終わらない。
まるで近い将来を予見していたかのように海星光太郎に最終試練を与えることを考えていたのだ。
そして光太郎もこの時師と同様に自身の修行が完成まで後一歩であることに気がついていた。
「師匠、お願いし申す。今こそおいどんにキン星山の奥義を教えてください」
羽合庵は一瞬、押し黙ってしまう。
それは光太郎に告げるべきか否かと胸中を騒がせていた言葉を先に本人から告げられてしまったからだった。
今の光太郎ならば伝家の宝刀必勝バスター投げを使いこなすことも可能だろう。
だが、キン星山の技はどれも技を仕掛ける側に多大な負荷をかける魔の技ばかりである。
果たして才能を開花したばかりの光太郎に教えるべきか否か。
「むう…ッ。そうしたいのは山々だが今のお前の実力では…」
羽合庵は弟子を思いやる心を先行させてしまった。
勝つ気に満ち溢れた光太郎にとっては不本意極まりない説教ゆえに反発は必至だろう。
羽合庵は光太郎の返事を待った。
「師匠。顔を上げてください。おいどんも師匠に止められて当然と思いながら聞き申した。自分でも本当はわかっていたのです。海星光太郎ではまだキン星山を名乗るには早すぎると」
「気を急かせたのは私の責任でもある。許せ、光太郎。英樹。美伊東君よ…」
羽合庵は三人に向かって頭を垂れた。
美伊東君が何かを言いかけたが、英樹や光太郎が黙っているのでそのまま言葉を止めてしまった。
後の正義スモー軍団の名参謀たる美伊東君にもこれといった打開策はない。
「羽合庵よ。相撲の王道には程遠いが、今回はテキサス山従来の戦法に則した戦法で戦っていくしかないのではないか?」
英樹親方は所謂データ相撲という手段を提案する。
伝統派と呼ばれる格闘技において相手の戦闘データと自分の実力を比較して対策を練るという戦術は否定されてきた。
この傾向及び風潮は現在までも続いている。
仮にも力士と名乗る者たちが相手の泣き所を突いて戦うなど言語道断ということなのだろう。
データ相撲に対して寛容な考え方を持っているアメリカ角界で育った羽合庵とて面と向かっては賛成できない。
羽合庵の複雑な心中を察してか、美伊東君が英樹親方の話を賛成するように言ってきた。
「若。そして、羽合庵。僕も英樹親方に賛成です。テキサス山はアメリカ角界に多い力押し一辺倒の力士ではありません。荒々しいファイトを好む一方で、合理的かつ冷静に試合を運ぶ頭脳も持っています。さらに悔しいことに今の若同様にまだ成長する可能性も持っている。悪いことはいいません、データ相撲で対策を練って行きましょう」
「光太郎。君の優秀な ADVISER はご覧の通りだ。一般的に考えれば妥当な意見なのだろうが頭の固い老人には些か受け入れがたい意見でもある。さて君はどうしたい?」
羽合庵とて内心は冷や汗を拭う思いでもあった。
美伊東君にも「よくぞ言ってくれた」と肩を叩きたい気分でもある。
しかし、当の光太郎はまだ難しい顔をしている。今までの稽古を否定されたような気持ちになっているのだ。
光太郎はもう一度、美伊東君を見た。
「今は僕の言葉を信じてください」と言われたような気がする。
体格的には半分にも満たない美伊東君が自分よりもずっと大きく見えていたことも確かだ。
今まで情けないだけの弱気な光太郎を信じてついて来てくれた美伊東君の何を疑えといのだ。
光太郎は自分という人間に心底嫌気がさしていた。
(そうでごわす。美伊東君の言葉は同じ道を共に歩んできたおいどんの心の言葉でごわす。ならば是を断る道理など無し)
光太郎はぶんっと頭を縦に振る。
「わかり申した、美伊東君。己を知り、敵を知れば百戦危うからずやでごわすな!!」
光太郎は鼻息を荒くしながら答えた。
しかし、美伊東君と羽合庵の顔は固まってしまっている。
「若。それ違いますよ。後で正しいのを教えてさしあげますから」
顔は笑っているが、目は笑っていない。
心なしか表情が引きつっているような気もする。
その時、美伊東君の眼鏡が不吉に輝いているような気がした。