第十九話 この身に宿るもの!!の巻
次回は4月29日に投稿するでごわす。
羽合庵とのぶつかり稽古を終えた直後、光太郎は走って家に帰った。
結果は見るまでもなく惨敗。
心技体、全てにおいて羽合庵は光太郎を勝っていた。
倒れては立ち上がり。
立ち上がっては突き進み。
倒される。
数多の敗北を授けられた光太郎の目は光を失うどころかさらに輝きを増している。
羽合庵は土だらけになってしまった光太郎の姿を楽しく思っている。
事実、羽合庵は今回の試合形式の稽古内において一度も手を抜いたつもりはなかった。
ともすれば光太郎が二度と立ち直れぬほどに、相撲には二度と関わりたくないと思うまで打ちのめしたつもりだった。
(生半可な覚悟では困る。光太郎はキン星山になるのだ)
だがあの逞しい背中を見る限りでは光太郎という炎の塊に燃料を足してしまったのではないかとさえ考えてしまう。
羽合庵は光太郎の忘れて行った衣類をまとめて海星家に戻る。
久しく忘れていた相撲の愉悦に浸りながら、光太郎のいない今だけは修行の成果を褒めてやろう。
羽合庵は夕空を眺めながら今は亡き恩師、海星雷電との修行の日々に思いを馳せるのであった。
「もぐもぐもぐ。うまいのう、美伊東君。修行の後のおでんは格別でごわすのう、美伊東君」
光太郎はまた懲りもせずにコンビニのおでんを頬張っていた。
前回、無茶な買い食いのせいで腹が破裂して死にそうになったにも関わらず同じ事を繰り返しているあたりは光太郎という点では人間に成長は見られない。
光太郎は最初に牛すじ串を食べると黒いコンニャクを食べていた。
光太郎曰く大根、がんもどきが主食でハンペンはデザート的なあつかいらしい。
「また買い食いなんかして。家に帰って同じメニューでも僕は知りませんからね」
美伊東君はスポーツドリンクを振ってから飲んでいる。
コンビニで購入したスポーツドリンクなので別に振る必要はないのだが、いつもの粉を溶かして作ったスポーツドリンクを飲む時のクセでつい振ってしまうらしい。
シャカシャカシャカ。
美伊東君は真剣な表情でペットボトルを振っている。
光太郎はシェイカーを使ってカクテルを作るような仕草をしている美伊東君を見ながらゲラゲラと笑った。
(美伊東君。家でプロテインを作る時もこんな顔をしているでごわすよ)
美伊東君は光太郎の様子に気がついて気を悪くしていた。
「ところで若、実際今日まで修行を続けて何か収穫はありましたか?」
その時、光太郎は羽合庵との修行の日々に思い出していた。
特別なことをしていたわけではない。
少しだけハードな練習だったような気もする。
強いて言うなら覚悟というものだろう。
自分という人間は事実、一人の力で立っているのではない。
多くの人に支えられているという現実を思い知った。
これ以上、他人を裏切りたくない。
だから誰にも言われたわけでもなく土俵に立った。
どんな結果も受け入れる。そういった自分だけの、自分にしか見えない覚悟のようなものが修行の日々で備わったような気がする。
しかし、今はまだ自信というか自覚に至るまでには及ばない。
となれば相撲の修行が足りていないのだろうか。
光太郎は頭を捻るばかりだった。
その時、飲み込もうとしたコンニャクが喉に詰まった。
「収穫のう…、ふうむ。むぐっ!?」
光太郎は咽返って何度も咳をする。
…。
やがて光太郎の咳が止まり呼吸が落ち着いた後、美伊東君は光太郎の為に用意しておいた麦茶を渡した。
光太郎はこの出来事を教訓としてコンビニで買ったおでんの残りをを夜食にすることにした。
そして、お約束とばかりに海星家のその日の夕食はおでんだった。
光太郎は覚悟を決めてガツガツとおでんを食べ始める。
この日、光太郎は羽合庵との修行が思いのほか上手く行っていることを自覚した為か2倍くらいの量のおでんを食べてしまった。
そして、美伊東君と一緒に食器の片付けを手伝った後にまたランニングに出かける。
「光太郎。オーバーワークは禁物だぞ」
光太郎と美伊東君がランニングに出る前に稽古場の戸締まりをしていた羽合庵に声をかけられる。
光太郎が食後に稽古をつけてもらおうかと羽合庵に声をかけたのが反対されてしまったのだ。
「あいすまぬ、羽合庵師匠。すぐに戻るでごわす!」
光太郎は元気良く出発の挨拶を返した。
美伊東君が「若のことはお任せください」とばかりに首を縦に振っていた。
「明日からは本格的な基礎トレーニングに入る。くれぐれも体調管理を怠るな」
羽合庵は腰蓑に手を突っ込みながら部屋に戻ってしまった。
その後、光太郎は近くの運動競技場まで走った後に美伊東君と二人で相撲の稽古を思う存分気が済むまで続けるのであった。
「若。それで実際どうなんですか?テキサス山には勝てそうですか?」
美伊東君は丸めたマットを持って構えている。
光太郎は低姿勢からマットに向かってぶちかましを決めた。
光太郎のぶちかましを受け止めた瞬間、美伊東君は苦痛に顔を歪ませるが何も言わない。
「そうさのう。今のところ勝率は3割、いや1割くらいだったりして。なんちゃってでごわすよ!」
光太郎はおどけて見せた後にもう一度ぶちましをマットに決めた。
美伊東君はまもや身体ごと吹き飛ばされそうになるが何とかその場で堪える。
「いや、もう十分です。若の実力は良くわかりました。後一年くらいはがんばりましょう。そうすればテキサス山の食事係くらいにはなれるかもしれませんよ」
美伊東君は親指を立てながら二カッと笑った。
美伊東君としては渾身の皮肉のつもりだったが、光太郎は黙ったままになっている。
光太郎は考える素振りを止めた後、親指を立てて美伊東君にもう一度ぶちかましを受け止めるように頼んだ。
美伊東君は無言で頭を縦に振った。
光太郎は後退して距離を取ってから、もう一度美伊東君の構えるマットに向かってぶちかましを決めた。
今度は驚いたことに美伊東君が地面に尻もちを突くことはなかった。
これには光太郎自身も驚いている。
「相手を傷つけず。尚且つ、相手を確実に仕留める。その奥義とはまさか他者への配慮だったとは海星光太郎、感服してしまったでごわすよ」
光太郎はこの時、羽合庵が何故スモー教室に自分を連れて行ったかを理解した。
強すぎる力はやがて自らの力で滅びの道を辿ることになる。
弱い心では何かを守ることは出来ない。光太郎は羽合庵がなぜスモー教室に自分を連れて行ったのかを理解した。
要するに節制だ。力士ならばまず己の力を操る術を身につけろ、と言っていたのである。
「美伊東君。今日の稽古はここまででごわす。この後、おいどんはもう少し走るつもりでごわすが美伊東君はどうするつもりでごわすか」
「何言っているんですか。お供しますよ、若」
こうして二人は再度、ランニングに出かけるのであった。