第十四話 特訓!!道なき道を行け!!の巻
一日遅れてすいません。ですが次回は四月四日に投稿します。
お待たせして本当にごめんなさい。
次の日から光太郎と羽合庵の猛稽古が始まった。
早朝、光太郎はタイヤにロープを括り付けながら砂浜を走る。タイヤの上には羽合庵と美伊東君が乗っていた。
精神論が一人歩きをしている極めて前時代的なトレーニングだったが今の光太郎は文句一つ言わない。
歯を食いしばり、身体にかかる負荷に耐えてひたすらタイヤを引っ張る。
途中、タイヤが腹に食い込んでシャツの上から血が滲むような場面があった。
しかし、光太郎は何も言わない。
痛み、疲れに動じることはない。
なぜならば海星光太郎は相撲取りだから。
「どうした。キン星山。もうGIVE UPか?」
羽合庵は語気を強めながら殊更に光太郎を「キン星山」と呼んだ。
光太郎は不敵に笑い、再びタイヤを引く。
光太郎のアニメの美少女キャラがプリントされたシャツの腹の部分に真っ赤な染みが浮き出る。
美伊東君は思わず光太郎にトレーニングを中止するように言うが光太郎は強がりの微笑で答えるばかりだった。
その後、光太郎は砂浜にうつ伏せになったまま動けなくなるまでトレーニングを続けた。
今、光太郎は水分が不足して声をあげることも出来ない。
だがそれでも光太郎は砂地に手をかける。
そして立ち上がり、一歩二歩と進んでは倒れてしまった。
ついに羽合庵はタイヤから降りて光太郎に水分補給をさせる。
ふと羽合庵は両腕を組み、真剣な表情で光太郎を見た。
光太郎は瞳を輝かせながら嬉しそうに答える。
「羽合庵師匠、おいどんはまだ行けるでごわす。おいどんの真の実力はここからでごわすよ」
光太郎は中が空になった水筒を美伊東君に渡した。
そして、もう一度腰にロープを縛りつけて砂浜を突っ走る。
羽合庵は両手を組んで光太郎の背中を見守った。
羽合庵の視線を感じ取った光太郎は死力を尽くして砂浜を駆けた。
限界を超えた限界の領域に一歩でも多く近づく為に、海星光太郎はタイヤを引きながらひたすら砂浜を走るのであった。
そして夕方になった頃、光太郎は全身を使って呼吸しながら夕闇に彩られた空を見る。
その傍らには羽合庵と美伊東君の姿があった。
「おめでとう、三代目キン星山。今日のトレーニングを採点するならば全て不合格だよ。もう一度言う。海星光太郎、君には才能の欠片も無い。尻尾を巻いて逃げるなら今のうちだと思うのだが?」
羽合庵は両方の掌を晒して”お手上げのポーズ”を取った。
美伊東君は何かを言い返そうとしたが、光太郎は肩を掴んで首を横に振る。
(全てはわかりきっていることでごわす。おいどんは本気になることを恐れ、今まで怠け続けていた。そんな男に才能などあろうわけはないでごわす)
光太郎は頬を両手で叩いて喝を入れる。
そして、羽合庵に向かって精一杯頭を下げた。
「羽合庵師匠。今日もご指導ありがとうございました」
羽合庵は光太郎の謝辞を背中で受け止める。
羽合庵は何も告げずに一人、綿津海部屋に戻って行った。
ドタッ。
羽合庵の背中を見送った後、光太郎は地面に倒れ込んだ。
美伊東君がすぐに冷やしたタオルと飲み物を持参してうつ伏せになっている光太郎のもとに駆け寄った。
「若。お疲れ様でした!今、汗を拭きますから!後これスポーツドリンクです。良かったら飲んでください!あ、ゆっくりと噛むように飲んでくださいね」
「サン、キューでゴワス、美伊東君。生き返るでごわすよ」
美伊東君は上半身だけを起こした光太郎のシャツを脱がしてからタオルで汗を拭った。
その間、光太郎は温めのスポーツドリンクを飲んで水分補給をしていた。
「修行初日から駄目出しをされたでごわすよ。おいどんはつくづく駄目な力士でごわすな」
美伊東君はタオルが吸った光太郎の汗を絞った後、再び冷水の入ったバケツの中にタオルを沈めた。
夕陽に照らされた光太郎の横顔は疲労が限度に達しているにも関わらず、どこか満ち足りたものになっている。
(心配している僕の身にもなってくださいよ…)
美伊東君はタオルを絞りながら敢えて辛辣な言葉を口にした。
「そんなに辛いなら修行を辞退したらいいじゃないですか。自分に合わないと思ったらいつ辞めてもいいって羽合庵も言っていたし」
「美伊東君、意地悪を言わんでくれ。おいどんだってこれが最後の機会だということぐらいはわかっておるのでごわすよ。ここが海星光太郎の運命の瀬戸際。もうどこにも逃げ場はないのでごわす」
光太郎はふらふらと立ち上がり、自分のスポーツバッグのところまで歩いて行った。
美伊東君はバケツの中の冷水を海に流して、光太郎の後ろについて行く。
その日の夜、帰宅した光太郎は腹いっぱいになるまで飯を食うとそのまま眠ってしまった。
光太郎は眠ってしまってからも夢の中でタイヤを引いていた。
タイヤの上には昼間と違って英樹親方や大神山さらに兄翔平が乗っていることもあった。
光太郎は夢の中の出来事にすぎにが彼らの姿を思い浮かべる度に力士の力士たる所以を思い知らされる。
力士の強靭な肉体は物理的な力を誇示する為のものではなく、精神の、受け継がれてきた歴史を背負う為に存在するのだ。
夢の中の兄を乗せたタイヤを引きながら光太郎は己が真の力士に近づいていることを確信する。
だが次の日はしっかりと朝寝坊をして羽合庵と美伊東君の両方に怒られてしまった。
さらに次の日、光太郎は張り手の練習をすることになった。
昨日と同じ浜辺で押し寄せる波を相手に前進しながら張り手を打つという修行である。
その日の海の様子は穏やかなもので一見、楽な修行かと思われたが太陽が空の真ん中まで昇ってくる頃には光太郎は昨日以上の苦戦を強いられることになっていた。
波が、濡れた砂がいつしか全身につけられた重りのように光太郎の体の自由を許さない。
浜辺では羽合庵が光太郎の修行する姿を見ている。
(ここで羽合庵師匠に侮られるわけにはいかない!!)
だんっ!
光太郎は疲れを感じる前に一歩前に進んでは空に向けて張り手を打つ。
羽合庵はそんな光太郎の姿を見ては心の中で相槌を打つ。
(そうだ、光太郎。今のお前の敵は大自然。目の前に広がる大海原こそが、お前の敵。力士の敵は力士だけとは限らぬ。力士は例え相手が無限の強さを持つ途方もない相手だとしても立ち向かわなければならぬ)
光太郎は水飛沫を上げては、前に進んだ。
そして前方の空に向けて張り手を打つ!
それから夕方まで光太郎は修行を続けた。
光太郎が美伊東君の持ってきた真水を使って身体を洗っている時に、羽合庵がその日の分の修行が終わったことを告げる。
光太郎は「無能者」と呼ばれる覚悟しながら師の言葉を待つ。
「光太郎、今日は少しだけスモーレスラーっぽくなったな。合格だ。だが安心するにはまだ早い。お前には明日から本物の地獄というものを見せてやる」
羽合庵は珍しく光太郎を褒めた。
否。褒めざるを得なかったのだ。
光太郎は自ずから「一度、土俵の中に入ってしまえば相手がどんな強敵でも戦わなければならない。力士に敵前逃亡という選択肢は存在しない」という羽合庵の修行の意図を理解し、見事に成し遂げたのだ。
誰であろうとこれを褒めるのは間違いではない。
「ごっちゃんです!!羽合庵師匠!!」
光太郎は羽合庵の全幅の信頼を真正面から受け止めて、頭を下げて謝辞を述べる。
羽合庵は何も言わずに背を向けて、一人で宿舎に帰ってしまった。
羽合庵が砂浜に残した足跡を見ながら、美伊東君が羽合庵の冷たい態度に不服を申し立てる。
「せっかく修行を褒めてくれたと思ったら相変わらず冷たいなあ、もう。若、羽合庵は本当は若に期待なんかしていないんじゃないんですか?」
「おいどんは才能ゼロの駄目力士じゃからのう。いろいろと覚えるのが遅くて愛想を尽かしてしまったのかもしれんのう。ところで美伊東君、帰りにコンビニでおでんでも買っていかんか?」
光太郎はふてぶてしい笑顔を浮かべながら、美伊東君の肩を軽く叩いた。
(まだ修行は始まったばかりだというのに、この人は何てお気楽な…)
美伊東君とて言いたいことはあるが光太郎のやる気を削ぐわけにはいかぬ。
美伊東君はぐっとこらえた。
そして、心配と呆れ半分にコンビニに立ち寄ることを楽しみしている光太郎に声をかけた。
「わかりました。おつき合いしましょう。ですけど、若のお母さんが家でご飯を用意していることを忘れないでくださいよ」
「ガッハッハッハ!母ちゃんの夕飯の一つや二つ、どんと来いでごわすよ!」
光太郎は美伊東君の持っているがま口財布から三千円を受け取ると手近なコンビニエンスストアに突撃する。
それからものの数分で買ったおでんを一番大きな容器に入れてコンビニから出て来た。
その後、結局光太郎はおでんを完食することが出来ず四分の一くらいの量を美伊東君君が食べることになる。
さらに追い打ちをかけるように光太郎と美伊東君が家に帰ると食卓にはおでんがギッシリと詰まった鍋が二人を待ち受けていた。
「今日は光太郎ちゃんの大好きなおでんよ!」
光太郎の母親は太陽のような笑顔で帰宅した息子を迎える。
今で新聞を読んでいた英樹親方も今晩の夕飯が好物がと知ってか珍しく上機嫌である。
「これは残すわけにはいかんのう。美伊東君」
「お供しますよ。うぷっ」
光太郎と美伊東君は表情を引きつらせながらいつもより少なめの夕食を取ることになる。
この後、光太郎はしばらくの間おでんを食べることは無かったという。