第十一話 嗚呼、夜空に輝くキン星山よ の巻
次回は三月十五日に投稿でゴワスよ。
数十年前、綿津海部屋にて。
「ミスター雷電!私に本当のスモーを教えてください!この通りです!」
その時の羽合庵には恥も外聞も無かった。
流浪の末ついに巡り合えた”真の強さ”に感動し、尊敬の念を抱き。そして真の強さを己のものにすることが出来るなら「今日ここで死んでも良い」とさえ考えていた。
羽合庵は地べたに座り両手をついて頭をめいいっぱい下げる。
生涯初の土下座であった。
一方、雷電親方の方は奇縁で面倒を見ることになった若手力士に突然呼び出されたかと思えば目の前で土下座をされ些か混乱気味になってしまう。
「待ってくれ、羽合庵。そんな風に頼まれんでも私は君に稽古をつけてやるつもりだぞ。いきなりどうしたというのだ?」
羽合庵は来日後、雷電親方に対して挨拶をされても返さないといった具合に心を閉ざしていた。
「私は貴方を誤解していました。どんな相手にでも頭を下げる意気地の無い男だと見下してさえいました」
羽合庵は綿津海部屋に来た初日に雷電親方を親方を弟子たちが見ている前で投げ飛ばした。
その時、雷電親方は笑いながら羽合庵に握手を求めてたのである。
以来、羽合庵は雷電親方を一方的に見下し綿津海部屋のトレーニングメニューに従うこともなく自己流の鍛錬を続けた。
羽合庵自身最初から他の弟子たちに反発されることを覚悟していたが、確かな論理に裏打ちされた近代トーニングは根性論を嫌う若手のスモーレスラーたちから高評価を得た。
綿津海部屋の力士たちの中でも羽合庵のことを最も高く評価していたのが、雷電親方の一人息子海星英樹だった。
既に両親が他界している羽合庵は英樹に親を大切にしろと説教をしたものだが、やがて英樹の熱意に絆されて彼を直弟子のように扱うようになった。
一方、雷電親方は初日にして見事に面子を潰されたが、彼の弟子たちは羽合庵のことを認めたが親方を卑下することはなかった。
この時、羽合庵は英樹は弱いから自分に道を譲ったくらいにしか考えていなかった。
(師の全てを受け入れようとする愛に気がつかないとは我ながら恥ずかしいものだ)
今こうして羽合庵の目の前にいる光太郎の顔は全く雷電親方には似ていなかったが、風格は英樹よりも雷電親方のそれに近いものがった。
そして、羽合庵は心穏やかにこの出会いに感謝する。
舞台は変わって現代、等々力不動の滝。
「海星光太郎。最初に言っておくが、私はお前たちジャパニーズスモーレスラーの未来など知ったことではない。これだけはよく覚えておくがいい」
羽合庵は自分の口から発せられた言葉に驚いていた。
今海星光太郎に言うべきことは競技としてのスモーを捨てろ、力とテクニックを根本から鍛え直せとかそういった心構えの話だった。
だが現実の羽合庵は相手のやる気を削ぐような実に歯切れの悪い話をしていた。
「私がお前のような将来性皆無のスモーレスラーに味方をする理由はただ一つ、数年後に控える全世界のスモーレスラー最強選手決定戦、スモーオリンピックを見据えてのことだ。テキサス山は強い。このまま放っておいても彼はプレジデントに昇格し、アメリカ代表としてスモー五輪に参加することになるだろう」
(スモーオリンピックでゴワスと!?)
光太郎はこの時、己の鼓動がかつてないほどに高鳴り脈動していることを自覚する。
ほんの一瞬だが、夢を見てしまったのだ。日本の最底辺の全戦全敗力士である自分が日本代表としてスモーオリンピックに参加している姿を。
兄翔平ではなく。
海星光太郎として、自分が代表の襷をかけて現在工事中のハイパー蔵前国技館を歩いている姿を想像してしまったのだ。
「テキサス山は強い。おそらくはこの私よりも遥かな高みにいる。だが、今の戦功に走ったテキサス山ではあの男には絶対に勝てない。私も間近で見るまでは噂以上の評価しか持ち得なかった。だが昨年のテキサス山との戦いで確信に至った。現世界スモー界においてあの男倫敦橋に勝てるスモーレスラーは存在しないと」
光太郎の眼光が幾分か厳しいものに変わった。
世界中の力士たちにとっての、雲の上の実力者。
覇王と呼ばれる天才力士、倫敦橋。
光太郎は不敵な笑みを浮かべながら倫敦橋の幻影と火花を散らす。
「相手は世界の倫敦橋。今のオイドンなら負けて当然。どんと来いてゴワス」
妄想の中で光太郎は倫敦橋のぶちかましを喰らい五体がバラバラになっていた。
だが今の光太郎ならば自力でバラバラになった身体を繋ぎ合わせ、死の淵からも立ち上がる。己の生死は己が決める。
それが土俵の雄、力士だ。
羽合庵も野生をむき出しにした笑顔で光太郎の返事を受ける。
「若!!いけません!!」
「おわわっ!!美伊東君、すまんこってす…
美伊東君はスモーの熱に感化された光太郎の姿に不安を覚え、羽合庵と光太郎の間に立った。
そして、光太郎は美伊東君の声を聞いて思わず正気を取り戻す。
いつの間にか至近距離で羽合庵と話をしていた。
羽合庵は美伊東君の姿に無鉄砲だった頃、常に自分のブレーキ役として隣にいてくれた英樹親方のことを思い出していた。
「光太郎。なかなかYOUはGOODなADVISERがついているな。勇ましいだけがスモーレスラーではない。時には冷静さも必要だ」
「美伊東君はオイドンにはもったいないくらいの相談相手でゴワス。いつも感謝しているでゴワス。そして、羽合庵殿。オイドンを弟子にするという話はどうなったでゴワスか!!」
光太郎は真剣な表情で羽合庵に迫った。
羽合庵は”剛”と呼ぶにふさわしい褐色の太い両腕を組む。
本当ならば内心は笑ってしまいたいくらい痛快なやり取りだった。
なぜならばおそらく本当は二人とも最初から答えを知っているのだ。
「確かに。今のお前ならば私のコーチングを受ける資格はある。だがしかし、私がこれから出す条件を飲み込めないというのならお引き取り願おうか」
「力士の立ち合いに待ったなしでゴワス。条件とは如何なるものでゴワスか!!」
次の瞬間。
羽合庵の目つきが光太郎が知るものの中でも一番鋭いものに変わった。
その場から逃げ出したい気持ちを必死にこらえながら光太郎は己の耳と目に全神経を集中する。
(一字一句、聞き逃してはならない。ここがオイドンの桶狭間なのだから)
光太郎は試合の時のように膝を曲げ、腰を落とす。
「私の出す条件はただ一つ。海星光太郎。お前には今日ここで死んでもらうことにした!!」
雷鳴の如き一喝に時間が停止する。
光太郎と美伊東君は口を開けたまま閉じることさえ出来ない。
「オ、オイドンは死なんといかんでゴワスか!?」
羽合庵はさらに大きな声で宣言する。
海星光太郎の死を声高らかに告げる。
だが光太郎は如何なる宣告にも動じることはない。
今の光太郎は土俵に上がった力士なのだから。
死んでも土俵に断ち続けるのが力士なのだ。
「そうだ。今日からお前は、お前の祖父海星雷電の真の四股名”キン星山”の名を継いでもらう。だがこの名を受け継ぐ以上、お前にはここで命を捨ててもらわねばならん。我が師の遺命にかけて今ここで返答してもらうぞ。海星光太郎!!」
羽合庵は両目から赤い涙を流している。
それはついに雷電の跡を継ぐことが出来なかった羽合庵の無念の涙であり魂の咆哮だったのだ。