第八話 越えられぬ壁。アメリカン力士、羽合庵の巻
次回は2月29日に投稿する予定でゴワス。
”自らの意志でテキサス山と戦う”
光太郎は己の口から出た言葉を疑う。
現時点でのテキサス山と光太郎の実力差は例え正面から戦ったとしても勝てる勝てないというレベルの話ではなかった。
果たして光太郎が土俵に上がって戦う資格があるか否か。そんなことは光太郎自身が一番理解している。
いざこの時になってばかりは口から本来の思いとは真逆の言葉が出てしまった。
当惑する光太郎。英樹親方の雷鳴の如き一喝が現実に引き戻す。
「馬鹿を抜かすな!!海星光太郎!!お前ごときが、あのテキサス山と戦って勝つだと!?恥を知れいッ!!」
バチンッ!!
英樹親方は右手を頭上に上げた後、光太郎を大きく張り飛ばした。
英樹親方は引退してからも力士たちの心に寄り添う為に自身の鍛錬を疎かにすることはない。
今光太郎が食らったビンタは現役時代のそれと変わらぬ威力を持っていた。
普段の光太郎ならば涙を流して父親に謝っていたことだろう。
だが力士としての矜持が。
家を去った兄との約束が光太郎をその場に立たせていた。
鼻から鼻血を、両目から涙を流しながら光太郎は父親と向き合う。
「お願いいたします。英樹親方。ワシを男にしてください。ワシをテキサス山と戦わせてください。どうか。何卒。力士人生の最後にテキサス山と戦わせてください。この通りでゴワスッ!!」
光太郎は頭を下げる。
今、この場で土下座をする必要は無い。
もしも光太郎が英樹親方に土下座をするのはテキサス山を倒した時だけだった。
「よく聞け、光太郎。テキサス山の実力は尋常ならざりものだ。今はアメリカ角界において中堅の地位に甘んじてはいるが、その実力はスモープレジデント以上のものと考えてもおかしくはないだろう。本当に戦うつもりなのか。一度も戦いに勝ったことが無いお前が勝ちに行くつもりだというのか?」
英樹親方の両目から涙が溢れ出していた。
師として、父親として、光太郎の行く末を見守る者として英樹親方は英樹親方なりに心配していたのだ。
「お父ちゃん…」
「これが父親としての最後の言葉だと思え。諦めろ。お前には到底無理だ。いつものように逃げ出してしまえ。光太郎、お前には才能の欠片もない。お前は誰にも期待されてはいない。お前は生きている価値の無い人間なのだ」
英樹は親として伝えなければならないことをはっきりと伝えたつもりだった。
力士はただの人間ではない。
戦士なのだ。
安っぽい同情は必要ない。
ゆえに力士の端くれとして生きてきた光太郎は父の真意を即座に理解する。
今、父親が光太郎に望んでいることそれは即ち、反逆。
父に逆らってでも我が道を行けと言っているのだ。
「英樹親方。オイドンは力士。海星光太郎は力士でゴワス。だから!どんなことがあっても今回ばかりはテキサス山に勝ちに行きます!」
光太郎は心のままに吠える。
自らの手で絆を断ち切った。
目の前に立つ男は父親ではない、敵。敵は倒すのみ。
己の目の前に立ちふさがる者は全て力でねじ伏せる。
それが力士の道。
英樹は涙を止めて、光太郎の頬をもう一度張り飛ばす。
「そこまで言うのならワシも止めはせん。骨は拾ってやる。全身全霊でぶつかって、負けて来い!!」
光太郎は鼻血を垂らしながら笑った。
英樹親方も笑っている。
今ここに海星親子は必勝の願いを込めた誓いの握手を交わす。
美伊東君と大神山は歓迎と祝福の意を込めて拍手を送る。
しかし、この男だけは違った。
男はそれまで組んでいた両腕を解き、英樹親方を押しのけて光太郎の前に立つ。
(この男、出来る!!)
光太郎は一瞬で男の、羽合庵の圧倒的な実力を見抜いてしまった。
羽合庵は光太郎の眉間に向かって人差し指を向ける。
光太郎は額を拳銃で撃ち抜かれたような錯覚を覚えてしまった。
「くだらぬ。JAPANESEお得意の精神論というやつか。覚悟を決めれば敵を倒せる。まさか本当にそんなことを考えているのか、BOY。これからお前が戦うYOUNG GUN(※若手の力士のこと)はアメリカ史上最強といっても過言ではないスモーレスラーだ。笑い話にもならぬわ」
間近に羽合庵の顔。
身構える前にそれはやってきた。
脳の芯まで揺らす、頭蓋を砕かんとする猛き鉄槌。
羽合庵は光太郎の額に頭突きをぶちかました。
痛みより先に恐怖を覚える。
まず光太郎は割れた額の疵よりも羽合庵の闘志に委縮してしまった。
速度と重量、何より力強い頭突き。
(これが引退して十年以上経っているという力士の頭突きでゴワスか!?)
光太郎は瞳に宿る光を取り戻し、第二撃に備える。
「羽合庵ッ!!」
英樹親方が叫んだ。
だが彼自身、一番よくわかっていたことだ。
羽合庵は普段は滅多に口を開かぬ不言実行の男。
そして何より内に秘めたる闘志は炎よりも熱き男。
そう今まさに父子の新たなる契を目の当たりにしら羽合庵は彼らの決意が真なるものか確かめずにはいられなくなっていたのだ。
羽合庵は光太郎の後頭部を掴み、二度目の頭突きを当てた。
しかし光太郎も黙ってはいない。
自らもまた持てる力の全てを発揮して、羽合庵との頭突き比べに応じる。
剛と剛が真正面からぶつかり合った。
「見せてみろ、海星光太郎。お前というスモーレスラーの全力を!!GOD AND DEATHッッ!!」
三度目の衝撃。
脳が爆ぜ、目玉が飛び散りそうなほどの力。
だが力士に後退という文字は無い。
光太郎は力の限り抗う。
海星光太郎は日本の力士なのだ。
四度目は光太郎の側から頭突きを放った。
たとえ血まみれの砕けた額でも、魂を込めて打ち込めば金剛石も塵芥と化す。
そんな叶わぬ願いを込めて。
光太郎は一本足で地面を撃った。
「何のこれしき!!おかわりは!!カツカレーのカレー抜きでゴワスよ!!」
ガツッ!!
羽合庵は嗤う。
今日この日を迎える為に己は生き恥を晒してきたのだ、と嗤った。
競り負けた光太郎の額が窪んだ。
五度目の衝突、光太郎には既に意識はない。
六度目、ついに光太郎は土俵に倒れ込んでしまった。
一人残った羽合庵は天井を見上げながら祈りを捧げる。
(師よ。二代目、キン星山よ。ついに私は貴男の意志を受け継ぐにふさわしい男に巡り合いました)
羽合庵は一人、泣いていた。