第七話 決断の時、迫るの巻!!
次回は2月24日に投稿します。雪がいきなりふってきてかなり不調です。ごめんなさい。
その日の夜、光太郎はいつもの倍以上に疲れていた。
何をどうやって家の近くまで帰ってきたのかさえ覚えていなかった。
しかし、こうしてコンビニの唐揚げを食べている以上、コンビニに寄って行ったのは間違えないだろう。
「ふう。今日もチキンはこんなにうまいのに、心は晴れないでゴワスよ」
ガサゴソ。
光太郎は何十回目かのため息を吐いて、フライドチキンの包み紙をポケットの中に入れた。
フライドチキンの包み紙は意外と汚いので家に持ち帰るようにしよう。
まともなスモーをしたわけでもないのに、特に目の下に隈が出来ていたような気がする。
多分、体重計の上に乗れば目方が減っていることだろう。
情けないことに今になって姿を消した兄翔平の気持ちが理解できるようになってしまった。
(これがトップ力士の世界でゴワスか。生きた心地がしないでゴワス)
かつてない圧迫感に心臓が締めつけられた。
やはりテキサス山の強さは尋常なものではなかった。
光太郎はそのことを今日、肌身で感じてしまったのだ。
それまで光太郎はテキサス山を才能に恵まれただけの生まれつき幸運な力士だと思っていた。
情けない。
見当違いもいい所な浅はかな考えだった。
持って生まれた才能。
日々、命を削るような鍛錬。
数々の実戦によって研鑽された実力。
今の光太郎からすればどれもが計り知れないものだった。
光太郎の心境といえば真剣で斬り合いをして相手に滅多切りにされた挙句、運よく生き残り逃げ帰ってきたような惨めなものだった。
そして何より、あの目である。
テキサス山の氷のような瞳は光太郎を見てはいなかった。
もっと遠くの別のものを見ていた。
朧気に光太郎もそれくらいのことは理解できる。
(ワシは何という世界に足を踏み入れてしまったでゴワスか…。これではあまりにも惨めでゴワス)
光太郎は帰りの電車でそのようなことばかり考えていた。
途中、美伊東君に何回か注意されたが何も聞こえてはいなかったと思う。
「お母ちゃん、ただいまでゴワスー。今日は負けてないけどビーフカツ丼が食いたいでゴワスー」
光太郎は家に入って早速、母親に大好物のビーフカツ丼を出すように言った。
さっくりとした衣に、甘ったるいとんかつソース。
脂肪少なめの肉厚の牛かつとキャベツの千切りが上に乗せたビーフカツ丼が光太郎の大好物だったのだ。
どんなに落ち込んでいてもこいつを食べれば立ち直る自信があった。
しかし。
「おう。遅かったな。光太郎」
ガラガラガラ。
光太郎と美伊東君は光太郎の実家の古臭い引き戸に手をかけて玄関に入った。
途端、二人は吃驚仰天してしまった。
渦中の二人の男が待ち構えていたのだ。
言わずと知れた大神山と羽合庵だった。
大神山はスモーのコスチュームから浴衣に着替えていた。
テキサス山から受けたダメージが残っている為か本調子には見えない。
一方、隣の羽合庵は秋葉原場所の時と同じく腰蓑まわし一丁だった。
羽合庵の姿はある意味男らしいが、光太郎としては自宅では決して歓迎したくない服装だったことは言うまでもない。
羽合庵は非難がましい視線を送る好太郎を一顧だにせず家の中に入って行った。
光太郎が両親から後で聞いた話になるが、羽合庵は修行時代に光太郎の実家で暮らしていたらしい。
羽合庵は相変わらず素足のままだが家に入る前に洗っているらしい。
「ごっちゃんっす。羽合庵さん。大神山の兄ちゃん」
光太郎は頭を下げてすぐに自分の部屋がある二階に行こうとした。
しかし、英樹親方が背後から声をかける。
「光太郎。着替えを済ませてから一階に戻って来い。お前の進退について話がある」
事実上、光太郎は今日の試合に負けた。
本来ならば今日をもって引退を覚悟しなければならない。
光太郎にとっては死刑宣告も同然の一言であった。
「ごっちゃんっす」
光太郎は肩を落としながら階段を昇って行った。
英樹親方は盛大なため息を吐いた後に、羽合庵の肩を叩き羽合庵と大神山を今に通す。
大神山は恐縮した様子で英樹親方について行ったが、羽合庵は光太郎の後ろを見守るばかりであった。
(あの後ろ姿。血統というものか。やはり似ておられる)
羽合庵は光太郎の後ろ姿に恩師を重ねていた。
(来るべき時が来たのだ。伝説のスモーレスラーの復活の時が)
羽合庵はここ数年ぶりに胸中の闘志に火を灯して、海星家の居間に向かう。
この時すでに彼は海星光太郎という力士の可能性に気がついていたのだ。
十分後。
海星家の居間に光太郎と美伊東君、英樹親方と妻かほり、大神山と羽合庵が集まっていた。
光太郎はテーブルの上に置いてあるホットココアに口をつける。
しかし、美伊東君の袖を引っ張る手と心臓まで届きそうな英樹親方の鋭い視線に気がついて手を引っ込めてしまった。
オッホン!オッホン!
光太郎の口のまわりのココアに気がついた大神山がわざとらしく咳払いをする。
光太郎は母からおしぼりを受け取り、すぐに口元を拭った。
「時に光太郎。お前は試合の前に何と言ったか覚えておるか?」
英樹親方は光太郎の目を直接、睨みながら言った。
光太郎が力士になったその時から父子の情は捨てている。
スモーの世界とは即ち、歴史と伝統を中心に形成された力人の世界。
今日では格闘技という体裁を保っているが、力士はスポーツ選手ではない。
戦士であり、守人なのだ。
一度、口外したことは覆されるべきではない。
(許せ。翔平。俺は父である前に力士なのだ)
内心では家を去った翔平に謝りながらも海星英樹は光太郎とて例外にするつもりは毛頭無かった。
「負けたら引退する、と言いました。だけど…親方!!テキサス山との戦いに決着がつくまではどうかワシを力士のままでいさせて欲しいでゴワス!!」
かつてないほどに光太郎は己の意志を昂らせる。
しかし英樹親方は両腕を組み、眉間にしわを寄せるばかりだった。